解題 尾題  終章  本文  序章 巻首題 目次  本巻 

    

 

    

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ケ地      熊本県天草   西伊豆  東京都新島  愛媛県松山市  推奨環境  XP・ビスタ(一部WIN・全マック不可)スクロールで画面移動        
制 作     
哥座星」   助監督 長谷川 義嗣 ・   舞踏 長谷川 恵美子  古典指導  長谷川 昇雲 ・ 総監督  長谷川 有                          熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな     六六一年

「超私的日本絵巻」 ポストモダンノ夢ノアト      






   






    


  

      
              

       
    

 





          万葉集 巻第一   

    

      
      

         
真仮名マトリックス
   
   
    
     訓注オンマウス 


 

泊瀬朝倉宮御宇天皇代 

一、天皇御製歌
篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母  




高市岡本宮御宇天皇代  

天皇登香具山望國之時御製歌
山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜國曽 蜻嶋 八間跡能國者 






三、天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌
八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊縁立之 御執乃 梓弓之 奈加弭乃 音為奈利 朝猟尓 今立須良思 暮猟尓 今他田渚良之 御執能 梓弓之 奈加弭乃 音為奈里 







四、反歌
玉尅春 内乃大野尓 馬數而 朝布麻須等六 其草深野  






五、幸讃岐國安益郡之時軍王見山作歌
霞立 長春日乃 晩家流 和豆肝之良受 村肝乃 心乎痛見 奴要子鳥 卜歎居者 珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃 獨座 吾衣手尓 朝夕尓 還比奴礼婆 大夫登 念有我母 草枕 客尓之有者 思遣 鶴寸乎白土 網能浦之 海處女等之 焼塩乃 念曽所焼 吾下情  

 

 

 

 

            

六、反歌
山越乃 風乎時自見 寐夜不落 家在妹乎 懸而小竹櫃  

 

 

 

明日香川原宮御宇天皇代

七、額田王歌
金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念

 
 
 
 
 

 


後岡本宮御宇天皇代

八、額田王歌

    

          六六一年 伊予熟田津

   


 熟田津尓 船乗世武登 月待者 

    潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜

 



    
          
    

      



     

 

                                 

 

           

     

  


         
   賞罰。

        

  潮毛可奈比奈比沼 可奈比 

                  

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月読のひかりのもと、白村江へと。
     
              そして・・・。
      
               日本といふ物語。


           目 次 

   序章  小学唱歌・前憲法・終戦詔書・現憲法     

   本巻  古事記・万葉集(一〜五巻)・竹取物語    

   別巻  源氏物語 
   終章  月

   補足  憲法十七條 日本書紀 記紀歌謡 解題

       人麻呂 古今 新古今 西行 芭蕉 一茶   

 

 


   

         序 章

    

 
     小学唱歌集 第一編
  
          明治十四年   
 



 
   第一 かをれ

  一 かをれ。にほへ。そのふのさくら。

  二 とまれ。やどれ。ちぐさのほたる。

  三 まねけ。なびけ。野はらのすゝき。

  四 なけよ。たてよ。かは瀬のちどり。


第二 春山
はるやまに。たつかすみ。
あきやまに。わたるきり。
さくらにも。もみぢにも。
きぬきする。こゝちして。


第三 あがれ
一 あがれ。/\。広野のひばり。
二 のぼれ。/\。川瀬の若鮎。


第四 いはへ
一 いはへ。/\。きみが代いはへ。
二 しげれ。/\。ふたばの小松。


第五 千代に
一 ちよに。/\。千代ませきみは。
二 いませ/\。わが君ちよに。


第六 和歌の浦
わかの浦わに。夕しほみちくれば。
きしのむら鶴。あし辺に鳴わたる。


第七 春は花見
一 はるは。はな見。
  みよし野。おむろ。
二 あきは。つきみ。
  さらしな。をぐら。


第八 鶯
一 うぐひす。きなけ。
  うめさく。そのに。
二 かりがね。わたれ。
  霧たつ。そらに。


第九 野辺に
一 野辺に。なびく。ちぐさは。
  四方の。民の。まごゝろ。
二 はまに。あまる。まさごは。
  君が。みよの。かずなり。


第十 春風
一 春風。そよふく。やよひのあした。
  あき風。みにしむ。はつきのゆふべ
二 弥生は。野山の。はなさくさかり。
  はつきは。みそらの。月すむ夜ごろ。


第十一 桜紅葉
一 春見に。ゆきませ。芳野の桜。
  あきみて。つげませ。龍田のもみぢ。
二 よし野は。さくらの。花さくみやま。
  たちたは。紅葉の。ちりしくながれ。


第十二 花さく春
一 花さく。はるの。あしたのけしき。
  かをる。雲の。たつこゝちして。
二 あき萩。をばな。はなさきみだれ。
  もとも。末も。露みちにけり。


第十三 見わたせば
一 見わたせば。あをやなぎ。花桜。
  こきまぜて。みやこには。
  みちもせに春の錦をぞ。
  さほひめのおりなして。
  ふるあめにそめにける。
二 みわたせばやまべには。
  をのへにもふもとにも。
  うすきこき。もみぢ葉の。
  あきの錦をぞ。たつたびめ。
  おりかけてつゆ霜に。
  さらしける


第十四 松の木蔭
一 松のこかげに。たちよれば。
  ちとせのみどりぞ。身にはしむ。
  梅がえかざしに。さしつれば。
  はるの雪こそ。ふりかゝれ。
二 うめのはながさ。さしつれば。
  かしらに春の。ゆきつもり。
  鶴のけごろも。かさぬれば。
  あきの霜こそ。身にはおけ。


第十五 春のやよひ
一 春のやよひの。あけぼのに。
  四方のやまべを。見わたせば。
  はなざかりかも。しらくもの。
  かゝらぬみねこそ。なかりけれ。
二 はなたちばなも。にほふなり。
  軒のあやめも。かをるなり。
  ゆふぐれさまの。さみだれに。
  やまほとゝぎす。なのるなり。
三 秋のはじめに。なりぬれば。
  ことしもなかばは。すぎにけり。
  わがよふけゆく。月かげの。
  かたぶく見るこそ。あはれなれ。
四 冬の夜さむの。あさぼらけ。
  ちぎりし山路は。ゆきふかし。
  こゝろのあとは。つかねども。
  おもひやるこそ。あはれなれ。


第十六 わが日の本
一 わがひのもとの。あさぼらけ。
  かすめる日かげ。あふぎみて。
  もろこし人も。高麗びとも。
  春たつけふをば。しりぬべし。
二 雪間にさけぶ。ほとゝぎす。
  かきねににほふ。うつぎばな。
  夏来にけりと。あめつちに。
  あらそひつぐる。花ととり。
三 きぬたのひゞき。身にしみて。
  とこよのかりも。わたるなり。
  やまともろこし。おしなべて。
  おなじあはれの。あきの風。
四 まどうつあられ。にはのしも。
  ふもとのおちば。みねのゆき。
  みやこのうちも。やまざとも。
  ひとつにさゆる。ふゆのそら。


第十七 蝶々
一 てふ/\てふ/\。菜の葉にとまれ。
  なのはにあいたら。桜にとまれ。
  さくらの花の。さかゆる御代に。
  とまれよあそべ。あそべよとまれ。
二 おきよ/\。ねぐらのすゞめ。
  朝日のひかりの。さしこぬさきに。
  ねぐらをいでゝ。こずゑにとまり。
  あそべよすゞめ。うたへよすゞめ。


第十八 うつくしき
一 うつくしき。わが子やいづこ。
  うつくしき。わがかみの子は。
  ゆみとりて。君のみさきに。
  いさみたちて。わかれゆきにけり。
二 うつくしき。わがこやいづこ。
  うつくしき。わがなかのこは。
  太刀帯て。君のみもとに。
  いさみたちて。わかれゆきにけり。
三 うつくしき。わがこやいづこ。
  うつくしき。わがすゑのこは。
  ほことりて。きみのみあとに。
  いさみたちて。わかれゆきにけり。


第十九 閨の板戸
ねやのいたどの。あけゆく空に。
あさ日のかげの。さしそめぬれば。
ねぐらをいづる。百八十鳥は。
霞のうちに。友よびかはし。
夢みるてふも。とくおきいでゝ。
むれつゝ花に。まひあそぶなり。
あさいねする身の。そのおこたりを。
いさむるさまなる。春のあけぼの。


第二十 蛍
一 ほたるのひかり。まどのゆき。
  書よむつき日。かさねつゝ。
  いつしか年も。すぎのとを。
  あけてぞけさは。わかれゆく。
二 とまるもゆくも。かぎりとて。
  かたみにおもふちよろづの。
  こゝろのはしをひとことに。
  さきくとばかり。うたふなり。
三 つくしのきはみ。みちのおく。
  うみやまとほく。へだつとも。
  そのまごゝろは。へだてなく。
  ひとつにつくせ。くにのため。
四 千島のおくも。おきなはも。
  やしまのうちの。まもりなり。
  いたらんくにに。いさをしく。
  つとめよわがせ。つつがなく。


第二十一 若紫
一 わかむらさきの。めもはるかなる。武蔵野の。
  かすみのおく。わけつゝつむ。初若菜。
二 若菜はなにぞ。すゞしろすゞな。ほとけの座。
  はこべらせり。なづなに五行。なゝつなり。
三 なゝつの宝。それよりことに。得がたきは。
  雪消のひま。尋ねてつむ。わかななり。


第二十二 ねむれよ子
一 ねむれよ子。よくねるちごは。ちゝのみの
  父のおほせや。まもるらん。ねむれよ子。
二 ねむれよ子。よくねるちごは。はゝそばの。
  母のなさけや。したふらん。ねむれよこ。
三 ねむれよこ。よくねておきて。ちゝはゝの。
  かはらぬみ顔。をがみませ。ねむれよこ。


第二十三 君が代
一 君が代は。ちよにやちよに。さゞれ
  いしの。巌となりて。こけのむす
  まで。うごきなく。常磐かきはに。
  かぎりもあらじ。
二 きみがよは。千尋の底の。さゞれ
  いしの。鵜のゐる磯と。あらはるゝ
  まで。かぎりなき。みよの栄を。
  ほぎたてまつる。


第二十四 思ひいづれば
一 おもひいづれば。三年のむかし。
  わかれしその日。わがちゝはゝの。
  かしらなでつゝ。まさきくあれと。
  いひしおもわの。したはしきかな。
二 あしたになれば。かどおしひらき。
  日数よみつゝ。ちゝまちまさむ。
  わがおもひごは。ことなしはてゝ。
  はやいつしかも。かへり来なんと。
三 ゆふべになれば。床うちはらひ。
  およびをりつゝ。母まちまさん。
  わがおもひごは。事なしはてゝ。
  はやいつしかも。かへりこなんと。
四 あしたになれば。かどおしひらき。
  ゆふべになれば。とこうちはらひ。
  父まちまさん。母まちまさむ。
  はやく帰らん。もとの国べに。


第二十五 薫りにしらるゝ
一 かをりにしらるゝ。花さく御園。
  霞にかくるゝ。鳥なくはやし。
  君が代いはひて。幾春までも。
  かをれや/\。うたへやうたへ。
二 つきかげてりそふ。野中の清水。
  もみぢばにほへる。外山のふもと。
  きみが代たえせず。いく秋までも。
  てらせや/\にほへやにほへ。


第二十六 隅田川
一 すみだがはらの。あさぼらけ。
  雲もかすみも。かをるなり。
  水のまに/\。ふねうけて。
  花にあそばむ。ちらぬまに。
二 隅田川原の。あきの夜は。
  水もみそらも。すみわたる。
  かぜのまに/\。ふねうけて。
  月にあそばん。夜もすがら。
三 すみだがはらの。ふゆのそら。
  よは白妙に。うづもれて。
  木々のこと/゛\。はなさきぬ。
  ゆきにあそばん。消ぬまに。


第二十七 富士山
一 ふもとに雲ぞ。かゝりける。
  高嶺にゆきぞ。つもりたる。
  はだへは雪。ころもはくも。
  そのゆきくもを。よそひたる。
  ふじてふやまの。見わたしに。
  しくものもなし。にるもなし。
二 外国人も。あふぐなり。
  わがくに人も。ほこるなり。
  照る日のかげ。そらゆくつき。
  つきひとともに。かがやきて。
  冨士てふ山の。みわたしに。
  しくものもなし。にるもなし。


第二十八 おぼろ
一 おぼろににほふ。夕づき夜。
  さかりににほふ。もゝさくら。
  のどかにて。のどけき御代の。楽しみは。
  花さくかげの。このまとゐ。
  このうたげ。
二 千草にすだく。むしの声。
  をぎの葉そよぐ。風のおと。
  身にしみて。眼にみる物も。きく物も。
  あはれをそふる。あきの夜や。
  つきのよや。


第二十九 雨露
一 雨露におほみやは。あれはてにけり。
  みめぐみに。民草は。うるほひにけり。
  かくてこそ。今の世も。かまどのけぶり。
  み空にも。あまるまで。たちみちぬらめ。
二 飢ゑこゞえ。なきまどふ。民もやあると。
  身にかへて。かしこくもおもほすあまり。
  あられうつ。冬の夜に。ぬぎたまはせる。
  大御衣の。あつきその。御こゝろあはれ。

第三十 玉の宮居
一 玉のみやゐは。あれはてゝ。
  雨さへ露さへ。いとしげゝれど。
  民のかまどの。にぎはひは。
  たつ烟にぞ。あらはれにける。
二 冬の夜さむの。月さえて。
  隙もるかぜさへ。身をきるばかり。
  民をおもほす。みこゝろに。
  大御衣や。ぬがせたまひし。


第三十一 大和撫子
一 やまとなでしこ。さま/゛\に。
  おのがむき/\。さきぬとも。
  おほしたてゝし。ちゝはゝの。
  底のをしへに。たがふなよ。
二 野辺の千草の。いろ/\に。
  おのがさま/゛\。さきぬとも。
  生したてゝし。あめつちの。
  つゆのめぐみを。わするなよ。


第三十二 五常の歌
一 野辺のくさ木も。雨露の。
  めぐみにそだつ。さまみれば。
  仁てふものは。よのなかの。
  ひとのこゝろの。命なり。
二 飛騨の工が。うつ墨に。
  曲もなほる。さまみれば。
  義といふものは。世の中の。
  人のこゝろの。条理なり。
三 成像ほかに。あらはれて。
  謹慎みたる。さまみれば。
  礼てふものは。世の中の。
  ひとのこゝろの。掟なり。
四 神の蔵せる。秘事も。
  さとり得らるゝ。さまみれば。
  智といふものは。世の中の。
  人のこゝろの。宝なり。
五 月日と共に。あめつちの。
  循環たがはぬ。さまみれば。
  信てふものは。世の中の。
  人のこゝろの守りなり。


第三十三 五倫の歌
   父子親あり。君臣義あり。
   夫婦別あり。長幼序あり。
   朋友信あり。

    小学唱歌集 第二編
        
明治十六年三月


第三十四 鳥の声
一 とりのこえ。きぎのはなのべにみちて
  かすみけりなのどかなるはるのひや
二 むしのこゑつゆのたまのべにみちて
  ゆくもゆかれずきよらなるつきのよや


第三十五 霞か雲か
一 かすみかくもかはたゆきかとばかりにほふ
  そのはなざかりももとりさへもうたふなり
二 かすみははなをへだつれどへだてぬともと
  きてみるばかりうれしきことはよにもなし
三 かすみてそれとみえねどもなくうぐひすに
  さそはれつつもいつしかきぬるはなのかげ


第三十六 年たつけさ
一 としたつけさの。そのにぎはひは。
  みやこもひなも。へだてなく。
  毬歌うたひつ。羽子つきかはしつ。
  こゝろ/゛\に。うちつれだちて。
  かしこもこゝも。あそびゆくなり。
  都も鄙も。あそぶなり。
二 のどけき春に。はやなりぬれば。
  わかきもおいも。わかちなく。
  さく花かざしつ。なく鳥きゝつゝ。
  こゝろ/゛\に。うちつれだちて。
  やまべに野辺に。あそびゆくなり。
  山辺に野辺に。あそぶなり
三 ことしもいつか。なかばは過ぎて。
  秋風さむく。身にぞしむ。
  すゞむし松虫。はたおる虫さへ。
  ながき夜すがら。なくねをきけば。
  われらもおいの。いたらぬいたらぬさきに。
  学の道に。いそしまむ。
四 千代ながづきの。月たちぬれば。
  まがきのうちと。へだてなく。
  しら菊はなさき。紅葉かゞやく。
  菊ともみぢを。かざしにさして。
  君が代いはへ。八千代もちよも。
  わが君いはへ。よろづ世も。


第三十七 かすめる空
一 かすめるそらに。雨ふれば。
  草木もともに。うるほひぬ。
  わらへるはな。にほへるやま。
  類なの。ながめかな。
二 山の端はれて。つき清く。
  ちさとのくまも。かくれなし。
  きらめく露。なくなるむし。
  たぐひなの。秋の夜や。


第三十八 燕
一 こよや/\。こよつばくらめ。
  おやもひなも。ひねもすかたり。
  たのしみし。その巣をいでゝ。
  とほき国辺に。たちわかるとも。
  帰り来よや。わがやどり。
  かへりこよや。つばくらめ。
二 来なけ/\。やまほとゝきす。
  われもひとも。夜はよもすがら。
  いねもせず。深山をいでゝ。
  都のそらに。なけほとゝぎす。
  なのれ/\。わがやどに。
  きなけ/\。ほとゝぎす。


第三十九 鏡なす
一 かゞみなす。水もみどりの。かげ
  うつる。柳の糸の。枝をたれ。
  気霽ては。風新柳の髪を梳り。
  氷消ては。浪旧苔の。髭を洗ふとかや。
  げにおもしろの。景色やな。
  けにおもしろの。けしきやな。
二 降る雪に。樵夫のみちも。うも
  れけり。みやまのおくの。夕まぐれ。
  かざせる笠には。影もなき。月をやどし。
  担へる柴には。かをらざる。花をたをるとかや。
  げにおもしろの。けしきやな。
  げにおもしろの。景色やな。


第四十 岩もる水
いはもる水も。松ふく風も。
しらべをそふる。つま琴の音や。
あれおもしろの。こよひの月や。
こゝろにかゝる。雲霧もなし。


第四十一 岸の桜
一 岸の桜の。はなさくさかりは。
  水のそこにも。白雲かゝれり。
  すみだの川の。かはのせくだし。
  漕やをぶね。花にうかれて。
  雲にさをさし。霞にながして。
  こぐや雲ゐに。かすみの海に。
二 秋のもなかの。さやけき月夜は。
  水のそこにも。白玉しづめり。
  隅田の川の。かはの瀬のぼし。
  こぐや小舟。つきにうかれて。
  棹のしづくの。光もさながら。
  真玉しら玉。しら玉またま。


第四十二 遊猟
一 さながら山も。くづるばかりに。
  をのへにとよむ。矢玉のひゞき。
  神てふ虎も。てどりにしつゝ。
  いさみにいさむ。益荒雄の徒。
二 葦毛の馬に。しづ鞍おきて。
  あづさの真弓。手にとりしばり。
  みかりたゝすは。ますらをなれや。
  美猟たゝせる。そのいさましさ。
 
 
 

第四十三 みたにの奥
一 みたにのおくの。花鳥あはれ。
  うづまく雲の。かぐはしのよや。
  たのしき春に。あふさか山の。
  岩根によせて。君が代うたへ。
二 たり穂の稲の。ゆふ風あはれ。
  よせくる浪の。にぎはしのよや。
  ゆたけき秋に。あふさか山の。
  巌によせて。君が代いはへ。


第四十四 皇御国
一 すめらみくにの。ものゝふは。
  いかなる事をか。つとむべき。
  たゞ身に持てる。まごゝろを。
  君と親とに。つくすまで。
二 皇御国の。をのこらは。
  たわまずをれぬ。こゝろもて。
  世のなりはひを。つとめなし。
  くにと民とを。とますべし。


第四十五 栄行く御代
一 さかゆく御代に。うまれしも。おもへば
  神の。めぐみなり。いざや児等。神の恵を。
  ゆめなわすれそ。ゆめなわすれそ。
  ゆめなわすれそ。時の間も。いざやくら。
  神の恵を。ゆめなわすれそ。ゆめなわすれそ。
  ゆめなわすれそ。ときのまも。
二 恵も深き。かみがきの。みまへの
  さかき。とりもちて。ちはやぶる。
  神の御前に。うたひまはまし。うたひまはまし。
  うたひまはまし。夜もすがら。ちはやぶる。
  神の御前に。うたひまはまし。うたひまはまし。
  うたひまはまし。よもすがら。


第四十六 五日の風
一 いつかの風も。とをかの雨も。
  時に順ふ。わがきみが世や。
  にしの国より。高麗百済より。
  よりくる人も。御代いはふなり。
二 豊葦原の。みづ穂のくには。
  ちよよろづ世も。うごきなき国。
  わが君が代に。ちよよろづ代も。
  動きなき御代。いはへもろ人。


第四十七 天津日嗣
一 あまつ日つぎのみさかえは。
  あめつちの共。きはみなし。
  わがひのもとの。みひかりは。
  月日とゝもに。かゞやかん。
二 葦原の。ちいほあき。瑞穂
  のくには。日の御子の。
  きみとますべき。ところぞと。
  神のみよゝり。さだまれり。


第四十八 太平の曲
一 ゆはづのさわぎ。飛火のけぶり。
  いつしかたえて。をさまる御世は。
  あめつちさへも。とゞろくばかり。
  万代までと。君が代いはへ。
二 たひらのみやこ。百敷の宮。
  みあとになして。むさしの国に。
  しづまりましぬ。年は三千とせ。
  代は百二十。御功績あふげ。


第四十九 みてらの鐘の音
一 みてらの鐘のね。月よりおつる。
  ふみよむ燈火。かすかになりて。
  一二三四五六七八。
二 月影かたぶき。霜さえわたり。
  ねよとの鐘のね。枕にひゞく。
  一二三四五六七八。
三 漁火しめりて。霜天にみち。
  姑蘇城外なる。鐘かもきこゆ。
  一二三四五六七八。


    小学唱歌集 第三編  
       
   明治17年



第五十 やよ御民
一 やよみたみ。稲をうゑ。井の
  水たゝへ。君が代は。腹つゞみ
  うち。身をいはへ。
二 やよ御民。萱をかり。わが
  家をふきて。君が代は。雨露
  しのぎ。世をわたれ。


第五十一 春の夜
一 かすみにきゆる。かりがね
  も。かすかにひゞく。笛の
  音も。をさまる御代の。
  しらべにて。たのしき
  はるの。ゆふぐれや。
  ともし火とりて。むかし
  のひとの。あそびし
  夜半も。かゝりけん。
  世はさま/゛\と。おもひし
  を。むかしもいまも。
  かくさきにほふ。
  はなにはそむく。
  人ぞなき。


第五十二 なみ風
一 浪かぜさかまく。あをうな
  ばらに。暗路をたどれる。
  ふれ人あはれ。やみ路を
  たどれる。船人あはれ。命と
  たのむは。棹かぢなれや。/\
二 虎さへうそぶく。荒山中に。
  やみぢにまよへる。たび人
  あはれ。やみぢにまよへる。
  旅人あはれ。いのちとたのむは。
  ともし火なれや。/\


第五十三 あふげば尊し
一 あふげばたふとし。わが師の恩。
  教の庭にも。はやいくとせ。
  おもへばいと疾し。このとし月。
  今こそわかれめ。いざゝらば。
二 互にむつみし。日ごろの恩。
  わかるゝ後にも。やよわするな。
  身をたて名をあげ。やよはげめよ。
  いまこそわかれめ。いざゝらば。
三 朝ゆふなれにし。まなびの窓。
  ほたるのともし火。つむ白雪。
  わするゝまぞなき。ゆくとし月。
  今こそわかれめ。いざゝらば。


第五十四 雲
一 瞬間には。やまをおほひ。
  うちみるひまにも。海をわたる。
  雲てふものこそ。くすしくありけれ。
  くもよ/\。雨とも霧とも。みるまに
  変りて。あやしく奇きは。雲よ/\。
二 ゆふ日にいろどる。橋をわたし。
  みそらに声せぬ。浪をおこす。
  雲てふものこそ。奇しくありけれ。
  雲よ/\。なきかとおもへば。おほ空
  おほひて。あやしく奇きは。雲よ/\。


第五十五 寧楽の都
一 奈良のみやこの。そのむかし。
  みやびつくして。宮びとの。
  遊びましけん。龍田川原の。紅葉。
  たつたがはらのもみぢば。今もにほふ。
  ちしほの色に。残るかたみは。
  千代もくちせず。今かいまかと。
  君をまつらん。その紅葉。
二 ふるきみやこの。そのむかし。
  桜かざして。おほきみの。
  あそびましけん。滋賀の
  花園。はなさき。しがの花
  ぞの。花さき。今もにほふ。
  色香をそへて。ゑめる姿は。
  ちよもかはらす。今やいまやと。
  行幸まつらん。その花は。
 
 
 

第五十六 才女 
一 かきながせる。筆の
  あやに。そめしむらさき。
  世々あせず。ゆかりのいろ。
  ことばのはな。たぐひも
  あらじ。そのいさを。
二 まきあげたる。小簾の
  ひまに。君のこゝろも。
  しら雪や。廬山の峯。
  遺愛のかね。めにみるごとき。
  その風情。


第五十七 母のおもひ
一 はゝのおもひは。空にみち。
  ゆくへもしらず。はてもなし。
  つきの桂を。たをりてぞ。
  家の風をば。ふかせつる。
  あふげ/\。母のみいさを。
二 母のなさけの。撫子よ。露
  なわすれそ。めぐみをば。
  家をうつすも。そだて草。
  機をきるさへ。教へぐさ。
  したへ/\。母のなさけを。


第五十八 めぐれる車
一 めぐれる車。ながるゝ水。われらは
  いこへど。やむ間なし。
二 岩根をつたふ。しづくの水。積れば
  つひに。海となる。


第五十九 墳墓
一 松ふく風は。こゝろにしみて。
  おもへばあはれ。わがなき父の。
  奥津城どころ。
二 浅茅が露に。むしのねかれて。
  おもへばあはれ。わがなき母の。
  おくつきどころ。
三 苔むす墳は。文字さへ消えて。
  おもへばあはれ。いづれのひとの。
  なきあとなれや。


第六十 秋の夕暮
一 花や紅葉も。およぶものかは。
  浦のとまやの。秋のゆふぐれ。
二 こゝろなき身も。あはれしれとや。
  鴫たつ沢の。あきの夕暮。
三 あはれさびしや。色はなけれど。
  槙たつ山の。あきの夕ぐれ。

第六十一 古戦場
 
一 屍は朽て。骨となり。刃はをれて。
  しもむすぶ。今はた靡く。旗薄。
  皷のおとか。まつ風か。
二 人影みえず。風さむし。蓬はかれて。
  霜しろし。命を捨し。真荒雄が。
  その名は千代。も朽せじな。


第六十二 秋艸
一 さきのこりたる。あさがほや。
  命とたのむ。つゆも浅ぢの。
  あさがほや。
二 あや錦おる。はぎがはな。
  たまもいろなる。霜ぞこぼるゝ。
  萩がはな。
三 たれまねくらん。はなすゝき。
  風もふかぬに。露ぞみだるゝ。
  はなすゝき。


第六十三 富士筑波
一 駿河なる。ふじの高嶺を。
  あふぎても。動かぬ御代は。
  しられけり。
二 つくばねの。このもかの面も。
  てらすなる。みよのひかりぞ。
  ありがたき。


第六十四 園生の梅
 
一 そのふの梅の。追風に。わがすむ山も。
  春めきぬ。門田の雪も。むら消て。
  若菜つむべく。野はなりぬ。
二 弥生のそらに。野辺みれば。菫の
  花さく。山みれば。雪かあらぬか。そこ
  かしこ。桜の花も。さきそめぬ。


第六十五 橘
一 ちゝの実の。父やもうゑし。
  なつかしき。かにこそにほへ。
  よにふるさとの。花の橘。
二 はゝそばの。母やもうゑし。
  したはしき。かをりぞすなる。
  しのぶの里の。花の橘。

 

 

 


     
   

 

 

 

第六十六 四季の月

一 さきにほふ。やまのさくらの。
  花のうへに。霞みていでし。
  はるのよの月。
二 雨すぎし。庭の草葉の。
  つゆのうへに。しばしはやどる。
  夏の夜の月。
三 みるひとの。こゝろ/\に。
  まかせおきて。高嶺にすめる。
  あきのよの月。
四 水鳥の。声も身にしむ。
  いけの面に。さながらこほる。
  冬のよの月。

 

 

 

 

第六十七 白蓮白菊
一 泥のうちより。ぬけいでゝ。濁りにしまぬ。
  はな蓮。月のひかりか。ひるすごく。
  霜とさゆれば。夏さむし。乱るゝ露は。
  たまとみえ。かをれる風は。身にぞしむ。
  氷のすがた。雪のいろ。つゆなけがしそ。
  世のちりに。
二 草木もかれし園の中。雪にも色は。
  まさりぐさ。いたゞく霜は。身をよそひ。
  さえゆく月は。香ににほふ。霜はくすりと。
  きくの水。梅はみさをの。おのがとも。
  暗の夜はさへ。てらすなり。東籬の
  もとに。書やみん。/\。


第六十八 学び
一 まなびはわが身の。光りとなり。
  富貴も。栄花も。こゝろのまゝ。
二 驕りはわが身の。仇とぞなる。
  努々ゆるすな。こゝろの駒。
三 学びはわが身の。ひかりなり。
  驕りはわが身の。仇とぞなる。


第六十九 小枝
一 さえだにやどれる。小鳥さへ。
  礼はしる。道をもならひし。
  その人を。わするなよ。
二 吾家にかひぬる。犬さへも。
  恩はいる。君にもつかふる。
  大丈夫よ。身をつくせ。


第七十 船子
一 やよふな子。こげ船を。
  こげよ/\。/\/\。
  やよふな子。
二 しほみちて。風なぎぬ。
  こげよ/\。/\/\。
  やよふな子。


第七十一 鷹狩
一 しらふの鷹を。手にすゑもち。
  馬にまたがり。いさめる君。
  すはや狩場に。ゆけ/\/\。
二 雪は狩場に。ふれ/\/\。
  犬はかり場を。かれ/\/\。
  鳥ぞむれたつ。それ/\/\。


第七十二 小船
一 流るゝ水の。うへにもさく花。
  こゝろせよや。をぶね。
  底にもはなのかげ。
二 渕瀬もみえず。そらより散花。
  こゝろせよや。をぷね。
  袖にも花の浪。


第七十三 誠は人の道
一 まことは人の。道ぞかし。つゆな
  そむきそ。其みちに。
二 こゝろは神の。たまものぞ。露な
  けがしそ。そのたまを。


第七十四 千里のみち
一 千里の道も。足もとよりぞ。始まれる。
  葉末の露も。積れば渕と。なるぞかし。
二 雲ゐる山も。塵ひぢよりぞ。なれりける。
  書よむ道も。ことわりのみは。ひとつなり。


第七十五 春の野
一 いつしか雪も。きえにけり。
  梅さく野辺に。いざゆかん。
二 みどりに草も。もえぬれば。
  わかなつむ子も。うちむれて。
三 柳のいとも。なびくなり。
  こゝろをのべに。あそばまし。


第七十六 瑞穂
一 蒼生の。いのちの種と。かしこき
  神の。たまへるたねぞ。
二 採る手もたゆき。山田の早苗。
  ゆたけき秋の。たのみもしるし。
三 わづかにのこる。門田のいねを。
  苅るまで残れ。夕日のかげも。
四 ことしの稲の。初穂をとりて。
  新嘗つかへ。神をぞまつる。


第七十七 楽しわれ
一 たのしわれ。まなびもをへ。
  日もくれぬ。あすもまた。
  朝とくより。学ばまし。かくて
  年月。たえせざらば。月の桂
  をも。われぞをるべき。
二 うれしわれ。ふみよみはて。
  ひもくれぬ。あすもまた。
  朝とくより。勉めまし。かくて
  とし月。撓まざらば。龍の腮
  なる。玉もとるべし。


第七十八 菊
一 庭の千草も。むしのねも。
  かれてさびしく。なりにけり。
  あゝしらぎく。嗚呼白菊。
  ひとりおくれて。さきにけり。
二 露にたわむや。菊の花。
  しもにおごるや。きくの花。
  あゝあはれ/\。あゝ白菊。
  人のみさをも。かくてこそ。


第七十九 忠臣
一 嗚呼香ぐはし。楠の二本。あゝ絶せじ。
  みなと川。浪の音も。身にぞしむ
  なる。其あはれその功績。忠臣
  嗚呼忠臣。兄弟の人。忠臣あゝ
  忠臣。たぐひなや。
二 嗚呼かぐはし。花の二もと。あゝうるはし。
  芳野やま。ちりはてゝ世にこそ残れ。
  そのうたと。そのまこと。忠臣
  あゝ忠臣。兄弟のひと。忠臣嗚呼
  忠臣。たぐひなや。


第八十 千草の花
一 千草の花は。露をそめ。野中の
  水は。月やどる。そまらぬいろと。空の
  かげ。はかなきものか。よの中は。
二 錦をよそふ。萩の花。もみぢを
  さそふ。夜はの霜。夢野のあとゝ。
  消ゆかば。木枯ばかり。あれぬべし。
三 はかなきものを。誰めでん。きえゆく
  ものを。たれとはん。跡あるものは。筆
  の花。かをりをのこせ。後のよに。


第八十一 きのふけふ
一 きのふけふと。思ひしを。春は過て。
  夏来ぬ。雁はかへり。燕きぬ。君は
  ゆきて。かへらず。かへれ/\。/\とく。
  あはれ/\。わが友。花は散りて。あと
  もなく。空しき枝に。風ふく。
二 松は常磐。竹は千代。人の世のみ。
  つねなし。雪にほゆる。薬さへ。人の
  世には。かひなし。かへれ/\。/\とく。
  あはれ/\。わが友。君をおきて。友
  もなし。たちつゝゐつゝ。わがまつ。


第八十二 頭の雪
一 草木にのみと。おもひしを。春秋
  とほく。へだゝれば。隔てぬ君が。
  頭にも。ふりけるものか。雪と霜と。
二 面のなみを。みあげても。久しき
  としは。しられたり頭の雪の。光り
  にも。みえけるものを。高き齢。


第八十三 さけ花よ
一 さけ花よ。さくらの花よ。
  のどけき春の。さかりの時に。
  さけ花よ。桜のはなよ。
二 ふけかぜよ。春風ふけよ。
  さきたる花をちらさぬほどに。
  ふけ風よ。はるかぜふけよ。
三 なけ蛙。やよなけかはづ。
  すみゆく水の。にごらぬ御代に。
  なけかはづ。やよ鳴け蛙。
四 なけ鳥よ。うぐひすなけよ。
  さきたる花の。さかりの春に。
  なけとりよ。鶯なけよ。
五 やよ人よ。ひと/\うたへ。
  鶯かはづ。うたをぱうたふ。
  やよ人よ。ひと/\うたへ。


第八十四 高嶺
一 たかねをこえて。
  日はいでにけり。
  わがなすわざを。
  たすけむため
  に。日はいでに
  けり。
二 つき日のかげは。
  わが身のまもり。
  空しくなすな。
  しばしのひまも。
  つとめよはげめ。


第八十五 四の時
一 よつのとき。ながめぞ
  つきぬ。春ははな。
  おりなす錦。あきは
  月。ますみのかゞみ。
  なつごろも。かとりも
  すゞし。冬のあさけ
  雪もよし。ひとの
  世の。たのしきものか。
  神の恩。国のおん。
  君の恩。わするな人。


第八十六 花月
一 花を見る時は。こゝろいとたのし。
  心たのしきは。花のめぐみなり。
二 月をみる時は。心しづかなり。
  こゝろ静けきは。月の恵なり。
三 よきをみて移り。悪をみてさけよ。
  朱に交はれば。あかくなるといふ。


第八十七 治る御代
一 治る御代の。春の空。たゞよふ雲も。
  はれにけり。晴るゝみそらの。その
  雲は。めぐみの風に。はるゝなり。
二 治るみよの。春の風。千里の外に。
  みてるなり。みてるめぐみの。風に
  こそ。青人草は。さかゆらめ。


第八十八 祝へ吾君を
一 祝へ吾君を。恵の重波。やしまに
  あふれ。普ねき春風。草木もなびく。
  いはへ/\。国の為。わが君を。
二 祝へ吾国を。瑞穂のおしねは。野もせ
  にみちて。しろかね黄金。花咲栄ゆ。
  いはへ/\。君の為。わが国を。


第八十九 花鳥
一 山ぎはしらみて。雀はなきぬ。はや疾く
  おきいで。書よめわが子。書よめ吾子。
  ふみよむひまには。花鳥めでよ。
二 書よむひまには。花鳥めでよ。鳥なき
  花咲。たのしみつきず。楽みつきず。
  天地ひらけし。始もかくぞ。


第九十 心は玉
一 こゝろは玉なり。曇りもあらじ。
  よる昼勉めて。みがきに磨け。
二 蛍をあつめて。まなびし人も。
  ひかりは其まゝ。身にこそそはれ。
三 月影したひて。学びし人は。
  ひかりをうけえて。世をこそ照らせ。


第九十一 招魂祭
一 こゝに奠る。君が霊。蘭はくだけて。
  香に匂ひ。骨は朽ちて。名をぞ残す。
  机代物。うけよ君。
二 此所にまつる。戦死の人。骨を砕くも。
  君が為。国のまもり。世々の鑑。
  光りたえせじ。そのひかり。
 
              




 

   

 


 
     五箇条のご誓文

 


 一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ

 

一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸(けいりん)
     ヲ行フベシ 

 

一、官武一途庶民ニ至ルマデ各(おのおの)
     其(その)志ヲ遂ゲ
     人心ヲシテ倦マザラシメンコトヲ要ス

 

一、旧来ノ陋習(ろうしふ)ヲ破リ
     天地ノ公道ニ基(もとづ)クベシ

 

一、知識ヲ世界ニ求メ大(おほい)ニ皇基ヲ
    振起スベシ

 


 



 

    大日本帝国憲法   

 


      明治二十二年二月十一日公布、
      明治二十三年十一月二十九日施行

告文
皇朕レ謹ミ畏ミ
皇祖
皇宗ノ神霊ニ誥ケ白サク皇朕レ天壌無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ宝祚ヲ継承シ旧図ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ発達ニ随ヒ宜ク
皇祖
皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ条章ヲ昭示シ内ハ以テ子孫ノ率由スル所ト為シ外ハ以テ臣民翼賛ノ道ヲ広メ永遠ニ遵行セシメ益々国家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲民生ノ慶福ヲ増進スヘシ茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ此レ皆
皇祖
皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス而シテ朕カ躬ニ逮テ時ト倶ニ挙行スルコトヲ得ルハ洵ニ
皇祖
皇宗及我カ
皇考ノ威霊ニ倚藉スルニ由ラサルハ無シ皇朕レ仰テ
皇祖
皇宗及
皇考ノ神祐ヲ祷リ併セテ朕カ現在及将来ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆ラサラムコトヲ誓フ庶幾クハ
神霊此レヲ鑒ミタマヘ
憲法発布勅語
朕国家ノ隆昌ト臣民ノ慶福トヲ以テ中心ノ欣栄トシ朕カ祖宗ニ承クルノ大権ニ依リ現在及将来ノ臣民ニ対シ此ノ不磨ノ大典ヲ宣布ス
惟フニ我カ祖我カ宗ハ我カ臣民祖先ノ協力輔翼ニ倚リ我カ帝国ヲ肇造シ以テ無窮ニ垂レタリ此レ我カ神聖ナル祖宗ノ威徳ト並ニ臣民ノ忠実勇武ニシテ国ヲ愛シ公ニ殉ヒ以テ此ノ光輝アル国史ノ成跡ヲ貽シタルナリ朕我カ臣民ハ即チ祖宗ノ忠良ナル臣民ノ子孫ナルヲ回想シ其ノ朕カ意ヲ奉体シ朕カ事ヲ奨順シ相与ニ和衷協同シ益々我カ帝国ノ光栄ヲ中外ニ宣揚シ祖宗ノ遺業ヲ永久ニ鞏固ナラシムルノ希望ヲ同クシ此ノ負担ヲ分ツニ堪フルコトヲ疑ハサルナリ

朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ乃チ明治十四年十月十二日ノ詔命ヲ履践シ茲ニ大憲ヲ制定シ朕カ率由スル所ヲ示シ朕カ後嗣及臣民ノ子孫タル者ヲシテ永遠ニ循行スル所ヲ知ラシム
国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ朕及朕カ子孫ハ将来此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ
朕ハ我カ臣民ノ権利及財産ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ此ノ憲法及法律ノ範囲内ニ於テ其ノ享有ヲ完全ナラシムヘキコトヲ宣言ス
帝国議会ハ明治二十三年ヲ以テ之ヲ召集シ議会開会ノ時ヲ以テ此ノ憲法ヲシテ有効ナラシムルノ期トスヘシ
将来若此ノ憲法ノ或ル条章ヲ改定スルノ必要ナル時宜ヲ見ルニ至ラハ朕及朕カ継統ノ子孫ハ発議ノ権ヲ執リ之ヲ議会ニ付シ議会ハ此ノ憲法ニ定メタル要件ニ依リ之ヲ議決スルノ外朕カ子孫及臣民ハ敢テ之カ紛更ヲ試ミルコトヲ得サルヘシ
朕カ在廷ノ大臣ハ朕カ為ニ此ノ憲法ヲ施行スルノ責ニ任スヘク朕カ現在及将来ノ臣民ハ此ノ憲法ニ対シ永遠ニ従順ノ義務ヲ負フヘシ
御名御璽
明治二十二年二月十一日
 
内閣総理大臣      
伯爵 黒田 清隆
枢密院議長       
伯爵 伊藤 博文
外務大臣        
伯爵 大隈 重信
海軍大臣        
伯爵 西郷 従道
農商務大臣       
伯爵 井上  馨
司法大臣        
伯爵 山田 顕義
大蔵大臣 兼 内務大臣 
伯爵 松方 正義
陸軍大臣        
伯爵 大山  巌
文部大臣        
子爵 森  有礼
逓信大臣        
子爵 榎本 武揚

 


第一章 天  皇  

第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

第五条 天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行
第六条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス
第七条 天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス

第八条 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ依リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ 代ルヘキ勅令ヲ発ス
  此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ
第九条 天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ案寧秩序ヲ保持シ及臣民ニ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム
  但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス
第十条 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各々其ノ条項ニ依ル
第一一条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第一二条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム

第一三条 天皇ハ戦イヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
第一四条 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
  戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以之ヲ定ム

第一五条 天皇ハ爵位勲章及其ノ他ノ栄典ヲ授与スル
第一六条 天皇ハ大赦特赦減刑及復権ヲ命ス
第一七条 摂政ヲ置クハ皇室典範ノ定ムル所ニ依ル
  摂政ハ天皇ノ名ニ於テ大権ヲ行フ


第二章 臣民権利義務


第一八条 日本臣民タル要件ハ法律ノ定ムル所ニ依ル
第一九条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均シク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ 就クコトヲ得
第二十条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス
第二一条 日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ納税ノ義務ヲ有ス
第二二条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ移住及移転ノ自由ヲ有ス
第二三条 日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ
第二四条 日本臣民ハ法律ニ定メタル裁判官ノ裁判ヲ受クルノ権ヲ奪ハルルコトナシ
第二五条 日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク他其ノ許諾ナクシテ住所ニ侵入セラレ捜索サルルコトナシ
第二六条 日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク他信書ノ秘密ヲ侵サルルコトナシ
第二七条 日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルルコトナシ
  公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所 ニ依ル
第二八条 日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
第二九条 日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス
第三十条 日本臣民ハ相当ノ敬礼ヲ守リ別ニ定ムル所ノ規程ニ従ヒ請願ヲ為スコトヲ得
第三一条 本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇体権ノ施行ヲ妨クルコトナシ
第三二条 本章ニ掲ゲタル条規ハ陸海空軍ノ法令又ハ規律ニ牴触セサルモノニ限リ軍人ニ準行ス


第三章 帝国議会

第三三条 帝国議会ハ貴族院衆議院ノ両院ヲ以テ成立ス
第三四条 貴族院ハ貴族院令ノ定ムル所ニ依リ皇族華族及勅任セラレタル議員ヲ以テ組織ス
第三五条 衆議院ハ選挙法ノ定ムル所ニ依リ公選セラレタル議員ヲ以テ組織ス
第三六条 何人モ同時ニ両議院ノ議員タルコトヲ得ス
第三七条 凡テ法律ハ帝国議会ノ協賛ヲ経ルヲ要ス
第三八条 両議院ハ政府ノ提出スル法律安ヲ議決シ及各々法律安ヲ提出スルコトヲ得
第三九条 両議院ノ一ニ於テ否決シタル法律案ハ同会期中ニ於テ再ヒ提出スルコトヲ得ス
第四十条 両議院ハ法律又ハ其ノ他ノ事件ニ付各々其ノ意見ヲ政府ニ建議スルコトヲ得但シ其ノ 採納ヲ得サルモノハ同会期中ニ於テ再ヒ 建議スルコトヲ得ス
第四一条 帝国議会ハ毎年之ヲ召集ス
第四二条 帝国議会ハ三箇月ヲ以テ会期トス必要アル場合ニ於テハ勅令ヲ以テ之ヲ延長スル コトアルヘシ
第四三条 臨時緊急ノアル場合ニ於イテ常会ノ外臨時会ヲ召集スヘシ臨時会ノ会期ヲ定ムルハ勅令ニ依ル
第四四条 帝国議会ノ開会閉会会期ノ延長及停会ハ両院同時ニ之ヲ行フヘシ
  衆議院解散ヲ命セラルタルトキハ貴族院ハ同時ニ停会セラルヘシ
第四五条 衆議院解散ヲ命セラレタルトキハ勅令ヲ以テ新ニ議員ヲ選挙セシメ解散ノ日ヨリ五箇月以内ニ之ヲ召集スヘシ
第四六条 両議院ハ各々其ノ総議員三分ノ一以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開キ議決ヲ為ス事ヲ得ス
第四七条 両議院ノ議事ハ過半数ヲ以テ決ス可否同数ナル時ハ議長ノ決スル所ニ依ル
第四八条 両議院ノ会議ハ公開ス但シ政府ノ要求又ハ其ノ院ノ決議ニ依リ秘密会ト為スコトヲ得
第四九条 両議院ハ各々天皇ニ上奏スルコトヲ得
第五十条 両議院ハ臣民リ呈出スル誓願書ヲ受クルコトヲ得
第五一条 両議院ハ此ノ憲法及議院法ニ掲クルモノノ外内部ノ整理ニ必要ナル諸規則ヲ定ムルコトヲ得
第五二条 両議院ノ議員ハ議院ニ於テ発言シタル意見及表決ニ付院外ニ於テ責ヲ負フコトナシ但シ議員自ラ其ノ言論ヲ演説刊行筆記又ハ其ノ他ノ方法ヲ以テ公布シタルトキハ一般ノ法律ニ依リ処分サレルヘシ
第五三条 両議院ノ議員ハ現行犯罪又ハ内乱外患ニ関ル罪ヲ除ク外会期中其ノ院ノ許諾ナクシテ逮捕サルルコトナシ
第五四条 国務大臣及政府委員ハ何時タリトモ各議院ニ出席シ及発スルコトヲ得



第四章 国務大臣及枢密顧問

第五五条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責メニ任ス凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス
第五六条 枢密顧問ハ枢密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ応ヘ重要ノ国務ヲ審議ス


第五章 司  法

第五七条 司法権ハ天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ裁判所ノ構成ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム
第五八条 裁判官ハ法律ニ定メタル資格ヲ具フル者ヲ以テ之ヲ任ス裁判官ハ刑法ノ宣告又ハ懲戒ノ処分ニ由ルノ外其ノ職ヲ免セラルルコトナシ
  懲戒ノ条規ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム
第五九条 裁判ノ対審判決ハ之ヲ公開ス但シ安寧秩序又ハ風俗ノ害スルノ虞アルトキハ法律ニ依リ又ハ裁判所ノ決議ヲ以テ対審ノ公開ヲ停ムルコトヲ得
第六十条 特別裁判所ノ管轄ニ属スヘキモノハ別ニ法律ヲ以テ之ヲ定ム
第六一条 行政官庁ノ違法処分ニ由リ権利ヲ傷害セラレタリトスルノ訴訟ニシテ別ニ法律ヲ以テ定メタル行政裁判所ノ裁判ニ属スヘキモノハ司法裁判所ニ於テ受理スルノ限ニ在ラス


第六章 会  計

第六二条 新ニ租税ヲ課シ及税率ヲ変更スルハ法律ヲ以テ之ヲ定ムヘシ
  但シ報償ニ属スル行政上ノ手数料及其ノ他ノ収納金ハ前項ノ限ニ在ラス国債ヲ起シ及予算ニ定メタルモノヲ除ク
  外国庫ノ負担トナルヘキ契約ヲ為スハ帝国議会ノ協賛ヲ経ヘシ
第六三条 現行ノ租税ハ更ニ法律ヲ以テ之ヲ改メサル限ハ旧ニ依リ之ヲ徴収ス
第六四条 国家ノ歳出歳入ハ毎年予算ヲ以テ帝国議会ノ協賛ヲ経ヘシ
  予算ノ款項ニ超過シ又ハ予算ノ外ニ生シタル支出アルトキハ後日帝国議会ノ承諾ヲ求ムルヲ要ス
第六五条 予算ハ前ニ衆議院ニ提出スヘシ
第六六条 皇室経費ハ現在ノ定額ニ依リ毎年国庫ヨリ之ヲ支出シ将来増額ヲ要スル場合ヲ除ク外帝国議会ノ協賛ヲ要セス
第六七条 憲法上ノ大権ニ基ツケル既定ノ歳出及法律ノ結果ニ由リ又ハ法律上政府ノ義務ニ属スル歳出ハ政府ノ同意ナクシテ帝国議会之ヲ廃除シ又ハ削減スルコトヲ得ス
第六八条 特別ノ須要ニ因リ政府ハ予メ年限ヲ定メ継続費トシテ帝国議会ノ協賛ヲ求ムルコトヲ得
第六九条 避クヘカラサル予算ノ不足ヲ補フ為ニ又ハ予算ノ外ニ生シタル必要ノ費用ニ充ツル為ニ予備費ヲ設クヘシ
第七十条 公共ノ安全ヲ保持スル為緊急ノ需要アル場合ニ於テ内外ノ情形ニ因リ政府ハ帝国議会ヲ召集スルコト能ハサルトキハ勅令ニ依リ財政上必要ノ処分ヲ為スコトヲ得前項ノ場合ニ於テハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出シ其ノ承諾ヲ求ムルヲ要ス
第七一条 帝国議会ニ於イテ予算ヲ議定セス又ハ予算成立ニ至ラサルトキハ政府ハ前年度ノ予算ヲ施行スヘシ
第七二条 国家ノ歳出歳入ノ決算ハ会計検査院之ヲ検査確定シ政府ハ其ノ検査報告ト倶ニ之ヲ帝国議会ニ提出スヘシ会計検査院ノ組織及職権ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム


第七章 補  足

第七三条 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スル必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得ス
第七四条 皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス
        皇室典範ヲ以テ此ノ憲法ノ条規ヲ変更スルコトヲ得ス
第七五条 憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス
第七六条 法律規則命令又ハ何等ノ名称ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ総テ遵由ノ効力ヲ有ス歳出上政府ノ義務ニ係ル現在ノ契約又ハ命令ハ総テ第六七条ノ例ニ依ル

 

 


 

 

  教育ニ関スル勅語

 

 

朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我ガ國軆ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重ジ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉ジ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラズ又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
朕爾臣民ト倶ニ挙挙服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

 

明治二十三年十月三十日

             御 名 御 璽 





         

                       
            漂 - A

 


 

 


 
終戦詔書 (玉音放送) 
 
一九四五年(昭和二十年)八月十五日正午 

朕深く世界の大勢と帝國の現状とに鑑み非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し茲(ここ)に忠良なる爾(なんぢ)臣民に告く
朕は帝國政府をして米英支蘇四國に対し其の共同宣言を受諾する旨通告せしめたり
抑々帝國臣民の康寧を図り万邦共榮の楽を偕にするは皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々(けんけん)措(お)かさる所
曩(さき)に米英二國に宣戰せる所以も亦実に帝國の自存と東亞の安定とを庶幾するに出て他國の主權を排し領土を侵すか如きは固(もと)より朕か志にあらす
然るに交戰己に四歳を閲し朕か陸海將兵の勇戰朕か百僚有司の励精朕か一億衆庶の奉公各々最善を尽せるに拘らす戰局必すしも好転せす世界の大勢亦我に利あらす
加之敵は新に残虐なる爆彈を使用して頻(しきり)に無辜を殺傷し惨害の及ふ所眞に測るへからさるに至る
而(しか)も尚交戰を継続せむか終に我か民族の滅亡を招來するのみならす延て人類の文明をも破却すへし
斯の如くは朕何を以てか億兆の赤子を保し皇祖皇宗の神霊に謝せむや是れ朕か帝國政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり
朕は帝國と共に終始東亞の解放に協力せる諸盟邦に対し遺憾の意を表せさるを得す
帝國臣民にして戰陣に死し職域に殉し非命に斃れたる者及其の遺族に想を致せは五内爲に裂く
且戰傷を負ひ災禍を蒙り家業を失ひたる者の厚生に至りては朕の深く軫念(しんねん)する所なり
惟ふに今後帝國の受くへき苦難は固より尋常にあらす
爾臣民の衷情も朕善く之を知る
然れとも朕は時運の趨く所堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ以て万世の爲に太平を開かむと欲す
朕は茲に國體を護持し得て忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し常に爾臣民と共に在り
若し夫れ情の激する所濫に事端を滋(しげ)くし或は同胞排擠(はいせい)互に時局を亂り爲に大道を誤り信義を世界に失ふか如きは朕最も之を戒む
宜しく擧國一家子孫相傳へ確く神州の不滅を信し任重くして道遠きを念(おも)ひ総力を將來の建設に傾け道義を篤くし志操を鞏(かた)くし誓て國體の精華を発揚し世界の進運に後れさらむことを期すへし爾臣民其れ克く朕か意を體せよ

 


 

 

                      

            - B

 

 


 

   昭和二十一年年頭詔書


 ここに新年を迎ふ。かへりみれば明治天皇、明治のはじめに、国是として五箇条の御誓文を下し給へり。

 

 いはく、

一、広く会議を興し、万機公論に決すべし

一、上下心を一にして、盛んに経綸を行ふべし。


一、官武一途庶民に至るまで、おのおのその志を

   遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
     
一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。


一、知識を世界に求めおほいに皇基を振起すべし。

 

 叡旨公明正大、また何をか加へん。朕(ちん)は個々に誓ひ新たにして、国運を開かんと欲す。すべからくこの御趣旨にのつとり、旧来の陋習を去り、民意を暢達し、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、もつて民生の向上をはかり、新日本を建設すべし。

 

 大小都市のかうむりたる戦禍、罹災者の艱苦、産業の停頓、食糧の不足、失業者増加の趨勢等は、まことに心をいたましむるものあり。しかりといへども、わが国民が現在の試練に直面し、かつ徹頭徹尾文明を平和に求むるの決意固く、よくその結束をまつたうせば、ひとりわが国のみならず、全人類のために輝かしき前途の展開せらるゝることを疑はず。それ、家を愛する心と国を愛する心とは、わが国において特に熱烈なるを見る。いまや実に、この心を拡充し、人類愛の完成に向かひ、献身的努力をいたすべきの時なり。

 

 思ふに長きにわたれる戦争の敗北に終りたる結果、わが国民のややもすれば焦燥に流れ、失意の淵に沈淪(ちんりん)せんとするの傾きあり。詭激(きげき)の風やうやく長じて、道義の念すこぶる衰へ、ために思想混乱あるは、まことに深憂にたへず。

 

 しかれども、朕は汝ら国民とともにあり。常に利害を同じうし、休戚(きうせき)を分かたんと欲す。朕と汝ら国民との紐帯(ちうたい)は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず。天皇をもつて現御神(あきつかみ)とし、かつ日本国民をもつて他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。

 

 朕の政府は、国民の試練と苦難とを緩和せんがため、あらゆる施策と経営とに万全の方途を講ずべし。同時に朕は、わが国民が時難に決起し、当面の困苦克服のために、また産業および文運振興のために、勇往(ゆうわう)せんことを祈念す。わが国民がその公民生活において団結し、あひより助け、寛容あひ許すの気風を作興(さくこう)するにおいては、よくわが至高の伝統に恥ぢざる真価を発揮するに至らん。かくのごときは、実にわが国民が人類の福祉と向上とのため、絶大なる貢献をなすゆゑんなるを疑はざるなり。一年の計は年頭にあり。朕は朕の信頼する国民が、朕とその心を一(いつ)にして、みづから誓ひ、みづから励まし、もつてこの大業を成就せんことをこひねがふ。

 

    御名 御璽

       昭和二十一年一月一日


 

 

                     

            漂 - C

 

 


  

 

  日本国憲法

      昭和二十一年十一月三日公布 
        昭和二十二年五月三日施行

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


第一章 天皇
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。

第五条 皇室典範の定めるところにより、摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。

第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。


第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


第三章 国民の権利及び義務
第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受けるものの一代に限り、その効力を有する。

第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

第十六条 何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

第十七条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

第二十条 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

第二十三条 学問の自由は、これを保障する。

第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない。

第二十五条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。

第二十八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

第二十九条 財産権は、これを侵してはならない。
2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。

第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

第三十一条 何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

第三十二条 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

第三十三条 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

第三十四条 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。

第三十五条 何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
2 捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。

第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁止する。

第三十七条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
2 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
3 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。

第三十八条 何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
2 強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
3 何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

第三十九条 何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

第四十条 何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。


第四章 国会
第四十一条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
第四十二条 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。

第四十三条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
2 両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。

第四十四条 両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。

第四十五条 衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。

第四十六条 参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに、議員の半数を改選する。

第四十七条 選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。

第四十八条 何人も、同時に両議院の議員たることはできない。

第四十九条 両議院の議員は、法律の定めるところにより、国庫から相当額の歳費を受ける。

第五十条 両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない。

第五十一条 両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。

第五十二条 国会の常会は、毎年一回これを召集する。

第五十三条 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

第五十四条 衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から三十日以内に、国会を召集しなければならない。
2 衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。
3 前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであつて、次の国会開会の後十日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。

第五十五条 両議院は各〃その議員の資格に関する争訟を裁判する。但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。

第五十六条 両議院は、各〃その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。
2 両議員の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。

第五十七条 両議院の会議は、公開とする。但し、出席議員の三分の二以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。
2 両議院は、各〃その会議の記録を保存し、秘密会の記録の中で特に秘密を要すると認められるもの以外は、これを公表し、且つ一般に頒布しなければならない。
3 出席議員の五分の一以上の要求があれば、各議員の表決は、これを会議録に記載しなければならない。

第五十八条 両議院は、各〃その議長その他の役員を選任する。
2 両議院は、各〃その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。

第五十九条 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。
2 衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。
3 前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くこを妨げない。
4 参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。

第六十条 予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。
2 予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。

第六十一条 条約の締結に必要な国会の承認については、前条第二項の規定を準用する。

第六十二条 両議院は、各〃国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。

第六十三条 内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないとにかかはらず、何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。

第六十四条 国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。
2 弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。


第五章 内閣
第六十五条 行政権は、内閣に属する。
第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
2 内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。
3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。

第六十七条 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。
2 衆議院と参議院とが異なつた指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議決をした後、国会休会中の期間を除いて十日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。

第六十八条 内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。
2 内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる。

第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

第七十条 内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて国会の召集があつたときは、内閣は、総辞職をしなければならない。

第七十一条 前二条の場合には、内閣は、新たに内閣総理大臣が任命されるまで引き続きその職務を行ふ。

第七十二条 内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。

第七十三条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
一 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
二 外交関係を処理すること。
三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
五 予算を作成して国会に提出すること。
六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。

第七十四条 法律及び政令には、すべて主任の国務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする。

第七十五条 国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は害されない。


第六章 司法
第七十六条 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
2 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
第七十七条 最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について、規則を定める権限を有する。
2 検察官は、最高裁判所の定める規則に従はなければならない。
3 最高裁判所は、下級裁判所に関する規則を定める権限を、下級裁判所に委任することができる。

第七十八条 裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない。

第七十九条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
2 最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際国民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査に付し、その後も同様とする。
3 前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。
4 審査に関する事項は、法律でこれを定める。
5 最高裁判所の裁判官は、法律の定める年齢に達したときに退官する。
6 最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。

第八十条 下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によつて、内閣でこれを任命する。その裁判官は、任期を十年とし、再任されることができる。但し、法律の定める年齢に達した時には退官する。
2 下級裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。

第八十一条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

第八十二条 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
2 裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。


第七章 財政
第八十三条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
第八十四条 あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。

第八十五条 国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。

第八十六条 内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。

第八十七条 予見し難い予算の不足に充てるため、国会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。
2 すべて予備費の支出については、内閣は、事後に国会の承諾を経なければならない。

第八十八条 すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して、国会の議決を経なければならない。

第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

第九十条 国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを国会に提出しなければならない。
2 会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。

第九十一条 内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少くとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。


第八章 地方自治
第九十二条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。

第九十三条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

第九十四条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

第九十五条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。


第九章 改正
第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

第十章 最高法規
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。


第十一章 補則
第百条 この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。
2 この憲法を施行するために必要な法律の制定、参議院議員の選挙及び国会召集の手続並びにこの憲法を施行するために必要な準備手続は、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる。
第百一条 この憲法施行の際、参議院がまだ成立してゐないときは、その成立するまでの間、衆議院は、国会としての権限を行ふ。

第百二条 この憲法による第一期の参議院議員のうち、その半数の者の任期は、これを三年とする。その議員は、法律の定めるところにより、これを定める。

第百三条 この憲法施行の際現に在職する国務大臣、衆議院議員及び裁判官並びにその他の公務員で、その地位に相応する地位がこの憲法で認められてゐる者は、法律で特別の定をした場合を除いては、この憲法施行のため、当然にはその地位を失ふことはない。但し、この憲法によつて、後任者が選挙又は任命されたときは、当然その地位を失ふ。


 

  教育基本法

  一九四七(昭二二)・三・三一  法律二五

 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育を確立するため、この法律を制定する。

第一条(教育の目的)
 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

第二条(教育の方針)
 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

第三条(教育の機会均等)
 すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
 国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

第四条(義務教育)
 国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。
 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。

第五条(男女共学)
 男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない。

第六条(学校教育)
 法律に定める学校は、公の性質をもつものであって、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
 法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。

第七条(社会教育)
 家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。
 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の利用その他適当な方法によって教育の目的の実現に努めなければならない。

第八条(政治教育)
 良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。
 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。

第九条(宗教教育)
 宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
 国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

第十条(教育行政)
 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

第十一条(補則)
 この法律に掲げる諸条項を実施するために必要がある場合には、適当な法令が制定されなければならない。

               序章・了

                      



 

 


   松山市道後御幸寺山。ニギタツを見下ろす。この麓に山頭火の庵がある。




       本 文

   

           古事記         



      


 

 

 

 

 

 日本歌選上古之巻 明治四十二年 佐佐木信綱編  
  
古訓古事記 本居宣長 訓 千八百七十四年
     (参照) 国立国会図書館デジタルライブラリー

         

 

    上卷并序

臣安萬侶言。夫混元既凝。氣象未效。無名無爲。誰知其形。然乾坤初分。參神作造化之首。陰陽斯開。二靈爲群品之祖。所以出入幽顯。日月彰於洗目。浮沈海水。神祇呈於滌身。故太素杳冥。因本教而識孕土産嶋之時元始綿。頼先聖而察生神立人之世。寔知懸鏡吐珠。而百王相續。喫釼切蛇。以萬神蕃息歟。議安河而平天下。論小濱而清國土是以番仁岐命。初降于高千嶺。神倭天皇。經歴于秋津嶋。化熊出爪。天釼獲於高倉。生尾遮徑。大烏導於吉野。列攘賊。聞歌伏仇。即覺夢而敬神祇。所以稱賢后。望烟而撫黎元。於今傳聖帝。定境開邦。制于近淡海。正姓撰氏。勒于遠飛鳥。雖歩驟各異。文質不同。莫不稽古以繩風猷於既頽。照今以補典教於欲絶。
曁飛鳥清原大宮。御大八洲天皇御世。濳龍體元。雷應期。聞夢歌而相纂業。投夜水而知承基。然天時未臻。蝉蛻於南山。人事共洽。虎歩於東國。皇輿忽駕。浚渡山川。六師雷震。三軍電逝。杖矛擧威。猛士烟起。絳旗耀兵。凶徒瓦解。未移浹辰。氣自清。乃放牛息馬。ト悌歸於華夏。卷旌戈。詠停於都邑。歳次大梁。月踵侠鍾。清原大宮。昇即天位。道軼軒后。徳跨周王。握乾符而ハ六合。得天統而包八荒。乘二氣之正。齊五行之序。設神理以奬俗。敷英風以弘國。重加智海浩瀚。潭探上古。心鏡煌。明覩先代。
於是天皇詔之。朕聞諸家之所。帝紀及本辭。既違正實。多加虚僞。當今之時。不改其失。未經幾年。其旨欲滅。斯乃邦家經緯。王化之鴻基焉。故惟撰録帝紀。討覈舊辭。削僞定實。欲流後葉。時有舍人。姓稗田名阿禮。年是廿八。爲人聰明。度目誦口。拂耳勒心。勅語阿禮。令誦習帝皇日繼。及先代舊辭。然運移世異。未行其事矣。伏惟皇帝陛下。得一光宅。通三亭育。御紫宸而徳被馬蹄之所極。坐玄扈而化照船頭之所逮。日浮重暉。雲散非烟。連柯并穗之瑞。史不絶書。列烽重譯之貢。府無空月。可謂名高文命。徳冠天乙矣。
於焉惜舊辭之誤忤。正先紀之謬錯。以和銅四年九月十八日。詔臣安萬侶。撰録稗田阿禮所誦之勅語舊辭。以獻上者。謹隨詔旨。子細採。然上古之時。言意並朴。敷文構句。於字即難。已因訓述者。詞不逮心。全以音連者。事趣更長。是以今或一句之中。交用音訓。或一事之内。全以訓録。即。辭理見。以注明意。况易解更非注。亦於姓日下謂玖沙訶。於名帶字謂多羅斯。如此之類。隨本不改。大抵所記者。自天地開闢始。以訖于小治田御世。故天御中主神以下。日子波限建鵜草葺不合尊以前。爲上卷。神倭伊波禮毘古天皇以下。品陀御世以前。爲中卷。大雀皇帝以下。小治田大宮以前。爲下卷。并録三卷。謹以獻上。臣安萬侶。誠惶誠恐頓首頓首。

  和銅五年正月二十八日。
  正五位上勲五等太朝臣安萬侶謹上。



天地初發之時。於高天原成神名。天之御中主神訓高下天云阿麻下此次高御産巣日神。次神産巣日神。此三柱神者。並獨神成坐而。隱身也。
次國椎如浮脂而。久羅下那洲多陀用幣琉之時琉字以上十字以音如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇摩志阿斯訶備比古遲神此神名以音次天之常立神訓常云登許訓立云多知此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。
 上件五柱神者。別天神。
次成神名。國之常立神訓常立亦如上次豐雲野神。此二柱神亦獨神成坐而。隱身也。次成神名。宇比地迩神。次妹須比智迩此二神名以音次角杙神。次妹活杙神二柱次意富斗能地神。次妹大斗乃辨神此二神名亦以音次淤母陀流神。次妹阿夜訶志古泥神此二神名皆以音次伊邪那岐神。次妹伊邪那美神此二神名亦以智如上
 上件自國之常立神以下。伊邪那美神以前。并稱神世七代上二柱。獨神各云一代。次 雙十神。各合二神云一代也。
於是天神諸命以。詔伊邪那岐命伊邪那美命二柱神。修理固成是多陀用幣流之國。賜天沼矛而。言依賜也。故二柱神立訓立云多多志天浮橋而。指下其沼矛以畫者。鹽許袁呂許袁呂迩此七字以音畫鳴訓鳴云那志而。引上時。自其矛末垂落之鹽。累積成嶋。是淤能碁呂嶋自淤以下四字以音
於其嶋天降坐而。見立天之御柱。見立八尋殿。於是問其妹伊邪那美命曰。汝身者如何成。答曰吾身者成成不成合處一處在。爾伊邪那岐命詔。我身者。成成而成餘處一處在。故以此吾身成餘處。刺塞汝身不成合處而。爲生成國土奈何訓生云宇牟下效此伊邪那美命答曰然善。爾伊邪那岐命。詔然者吾與汝行迴逢是天之御柱而。爲美斗能麻具波比此七字以音如此云期。乃詔汝者自右迴逢。我者自左迴逢。約竟以迴時。伊邪那美命先言阿那迩夜志愛袁登古袁此十字以音下效此後伊邪那岐命言阿那迩夜志愛袁登賣袁。各言竟之後。告其妹曰。女人先言不良。雖然久美度迩此四字以音興而。生子水蛭子。此子者入葦船而流去。次生淡嶋。是亦不入子之例。
於是二柱神議云。今吾所生之子不良。猶宜白天神之御所。即共參上。請天神之命。爾天神之命以。布斗麻迩爾上。此五字以音ト相而詔之。因女先言而不良。亦還降改言。故爾反降。更往迴其天之御柱如先。於是伊邪那岐命。先言阿那迩夜志愛袁登賣袁。後妹伊邪那美命言。阿那迩夜志愛袁登古袁。如此言竟而。御合。生子淡道之穗之狹別嶋訓別云和氣下效此次生伊豫之二名嶋。此嶋者身一而有面四。毎面有名。故伊豫國謂愛比賣此二字以音下效此讚岐國謂飯依比古。粟國謂大宜都比賣此四字以音土左國謂建依別。次生隱伎之三子嶋。亦名天之忍許呂別許呂二字以音次生筑紫嶋。此嶋亦身一而有面四。毎面有名。故筑紫國謂白日別。豐國謂豐日別。肥國謂建日向日豐久士比泥別。自久至泥音熊曾國謂建日別曾字以音次生伊岐嶋。亦名謂天比登都柱自比至都以音訓天如云次生津嶋。亦名謂天之狹手依比賣。次生佐度嶋。次生大倭豐秋津嶋。亦名謂天御虚空豐秋津根別。故因此八嶋先所生。謂大八嶋國。
然後還坐之時。生吉備兒嶋。亦名謂建日方別。次生小豆嶋。亦名謂大野手比賣。次生大嶋。亦名謂大多麻流別自多至流以音次生女嶋。亦名謂天一根訓天如天次生知訶嶋。亦名謂天之忍男。次生兩兒嶋。亦名謂天兩屋。自吉備兒嶋至天兩屋嶋并六嶋
既生國竟。更生神。故生神名。大事忍男神。次生石土毘古神。訓石云伊波亦毘古二字以音下效此也次生石巣比賣神。次生大戸日別神。次生天之吹男神。
次生大屋毘古神。次生風木津別之忍男訓風云加邪訓木以音次生海神。名大綿津見神。次生水戸神。名速秋津日子神。次妹速秋津比賣神自大事忍男神至秋津比賣神并十神
此速秋津日子速秋津比賣二神。因河海持別而生神名沫那藝神那藝二字以音。下效此次沫那美神那美二字以音。下效此次頬那藝神。次頬那美神。次天之水分神訓分云久麻理下效此次國之水分神。次天之久比奢母智神自久以下五字以音下效此次國之久比奢母智神自沫那藝神至國之久比奢母智神并八神
次生風神名志那都比古神此神名以音次生木神名久久能智神此神名以音次生山神名大山津見神。次生野神名鹿屋野比賣神。亦名謂野椎神自志那都比古神至野椎并四神
此大山津見神野椎神二神。因山野持別而生神名天之狹士神訓土云豆知下效此次國之狹士神。次天之狹霧神。次國之狹霧神。次天之闇戸神。次國之闇戸神。次大戸惑子神訓惑云麻刀比下效此次大戸惑女神自天之狹土神至大戸惑女神并八神也
次生神名鳥之石楠船神。亦名謂天鳥船。次生大宜都比賣神此神名以音次生火之夜藝速男神夜藝二字以音亦名謂火之R毘古神。亦名謂火之迦具土神加具二字以音因生此子。美蕃登此三字以音見炙而病臥在。多具理迩此四字以音生神名。金山毘古神訓金云迦那下效此次金山毘賣神。次於屎成神名。波迩夜須毘古神此神名以音次波迩夜須毘賣神此神名亦音次於尿成神名彌都波能賣神。次和久産巣日神。此神之子謂豐宇氣毘賣神。自宇以下四字以音故伊邪那美神者。因生火神。遂神避坐也自天鳥船至豐宇氣毘賣神并八神。
 凡伊邪那岐伊邪那美二神。共所生。 嶋壹拾肆嶋。又神參拾伍神是伊邪那美神未神避以前所生。唯意能碁呂嶋者。非所生。亦姪子與淡嶋。不入子之例。
故爾伊邪那岐命詔之。愛我那迩妹命乎那迩二字以音下效此謂易子之一木乎。乃匍匐御枕方。匍匐御足方而。哭時。於御涙所成神。坐香山之畝尾木本。名泣澤女神。故其所神避之伊邪那美神者。葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也。於是伊邪那岐命。拔所御佩之十拳劍。斬其子迦具士神之頚。爾著其御刀前之血。走就湯津石村。所成神名。石拆神。次根拆神。次石筒之男神三神次著御刀本血。亦走就湯津石村。所成神名。甕速日神。次樋速日神。次建御雷之男神。亦名建布都神布都二字以音下效此亦名豐布都神三神次集御刀之手上血。自手俣漏出。所成神名訓漏云久伎闇淤加美神淤以下三字以音下效此次闇御津羽神。
 上件自石拆神以下。闇御津羽神以前。并八神者。因御刀所生之神者也。
所殺迦具土神之於頭所成神名。正鹿山津見神。次於胸所成神名。淤縢山津見神淤縢二字以音次於腹所成神名。奧山津見神。次於陰所成神名。闇山津見神。次於左手所成神名。志藝山津見神。志藝二字以音次於右手所成神名。羽山津見神。次於左足所成神名。原山津見神。次於右足所成神名。戸山津見神自正鹿山津見神。至戸山津見神。并八神故所斬之刀名。謂天之尾羽張。亦名謂伊都之尾羽張伊都二字以音
於是欲相見其妹伊邪那美命。追往黄泉國。爾自殿騰戸出向之時。伊邪那岐命語詔之。愛我那迩妹命。吾與汝所作之國未作竟。故可還。爾伊邪那美命答白。悔哉。不速來。吾者爲黄泉戸喫。然愛我那勢命那勢二字以音。下效此入來坐之事恐故。欲還。旦具與黄泉神相論。莫視我。如此白而。還入其殿内之間。甚久難待。故刺左之御美豆三字以音下效湯津津間櫛之男柱一箇取闕而。燭一火。入見之時。宇士多加禮斗呂呂岐弖此十字以音於頭者大雷居。於胸者火雷居。於腹者黒雷居。於陰者拆雷居。於左手者若雷居。於右手者土雷居。於左足者鳴雷居。於右足者伏雷居。并八雷神成居。於是伊邪那岐命見畏而。逃還之時。其妹伊邪那美命言。令見辱吾。即遣豫子母都志許賣此六字以音令追。爾伊邪那岐命取黒御鬘投棄。乃生蒲子。是食之間逃行猶追。亦刺其右御美豆良之湯津津間櫛引閉而投棄。乃生笋等。是拔食之間逃行。且後者。於其八雷神。副千五百之黄泉軍。令追。爾拔所御佩之十拳劍而。於後手布伎都都此四字以音逃來。猶追。到黄泉比良此二字以音坂之坂本時。取在其坂本桃子三箇持撃者。悉逃返也。爾伊邪那岐命告桃子。汝如助吾。於葦原中國所有宇都志伎此四字以音青人草之落苦瀬而。患惚時。可助告。賜名号意富加牟豆美命自意至美以音
最後其妹伊邪那美命。身自追來焉。爾千引石。引塞其黄泉比良坂。其石置中。各對立而。度事戸之時。伊邪那美命言。愛我那勢命。爲如此者。汝國之人草。一日絞殺千頭。爾伊邪那岐命詔。愛我那迩妹命。汝爲然者。吾一日立千五百産屋。是以一日必千人死。一日必千五百人生也。故号其伊邪那美神命謂黄泉津大神。亦云以其追斯伎斯此三字以音而。號道敷大神。亦所塞其黄泉坂之石者。號道反大神。亦謂塞坐黄泉戸大神。故其所謂黄泉比良坂者。今謂出雲國之伊賦夜坂也。
是以伊邪那伎大神詔。吾者到於伊那志許米志許米岐此九字以音穢國而在祁理此二字以音故吾者爲御身之禊而。到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐此三字以音原而。禊祓也。故於投棄御杖所成神名。衝立船戸神。次
於投棄御帶所成神名。道之長乳齒神。次於投棄御裳所成神名。時置師神。次於投棄御衣所成神名。和豆良比能宇斯能神此神名以音次於投棄御褌所成神名。道俣神。次於投棄御冠所成神名。飽咋之宇斯能神自宇以三字以音次於投棄左御手之手纒所成神名。奧疎神訓奧云淤伎下效此訓疎云奢加留下效此次奧津那藝佐毘古神。自那以下五字以音下效此次奧津甲斐辨羅神自甲以下四字以音下效此次於投棄右御手之手纒所成神名。邊疎神。次邊津那藝佐毘古神。次邊津甲斐辨羅神。
 右件自船戸神以下。邊津甲斐辨羅神以前十二神者。因脱著身之物。所生神也。
於是詔之。上瀬者瀬速。下瀬者瀬弱而。初於中瀬隨迦豆伎而滌時。所成坐神名。八十禍津日神訓禍云摩賀。下效此次大禍津日神。此二神者。所到其穢繁國之時。因汚垢而。所成神之者也。次爲直其禍而所成神名。神直毘神毘字以音。下效此次大直毘神。次伊豆能賣并三神也伊以下四字以音次於水底滌時。所成神名。底津綿津見神。次底筒之男命。於中滌時。所成神名。中津綿津見神。次中筒之男命。於水上滌時。所成神名。上津綿津見神訓上云宇閇次上筒之男命。此三柱綿津見神者。阿曇連等之祖神伊都久神也伊以三字以音。下效此故阿曇連等者。其綿津見神之子。宇都志日金拆命之子孫也宇都志三字以音其底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命三柱神者。墨江之三前大神也。於是洗左御目時。所成神名。天御神。次洗右御目時。所成神名。月讀命。次洗御御時。所成神名。建速須佐之男命須佐二字以音
 右件八十禍津日神以下。速須佐之男命以前十四柱神者。因滌御身所生者也。
此時伊邪那伎命大歡喜詔。吾者生生子而。於生終得三貴子。即其御頚珠之玉緒母由良迩此四字以音。下效此取由良迦志而。賜天照大御神而詔之。汝命者。所知高天原矣。事依而賜也。故其御頚珠名謂御倉板擧之神訓板擧云多那次詔月讀命。汝命者。所知夜之食國矣。事依也訓食云袁須次詔建速須佐之男命。汝命者所知海原矣。事依也。故各隨依賜之命。所知看之中。速須佐之男命。不治所命之國而。八拳須至于心前。啼伊佐知伎也自伊下四字以音。下效此其泣状者。青山如枯山泣枯。河海者悉泣乾。是以惡神之音。如狹蝿皆滿。萬物之妖悉發。故伊邪那岐大御神。詔速須佐之男命。何由以汝。不治所事依之國而。哭伊佐知流。爾答白。僕者欲罷妣國根之堅州國故哭。爾伊邪那岐大御神大忿怒。詔然者汝不可住此國。乃神夜良比爾夜良比賜也自夜以下七字以音故其伊邪那岐大神者。坐淡海之多賀也。故於是速須佐之男命言。然者請天照大御神將罷。乃參上天時。山川悉動。國土皆震。爾天照大御神聞驚而。詔我那勢命之上來由者。必不善心。欲奪我國耳。即解御髮。纒御美豆羅而。乃於左右御美豆羅。亦於御鬘。亦於左右御手各纒持八尺勾之五百津之美須麻流之珠而自美至流四字以音。下效此曾毘良迩者屓千入之靭訓入云能理下效此。自曾至迩者以音附五百入之靭。亦所取佩伊都此二字以音之竹鞆而。弓腹振立而。堅庭者。於向股蹈那豆美三字以音如沫雪蹶散而。伊都二字以音之男建訓建云多祁夫蹈建而。待問。何故上來。爾速須佐之男命答白。僕者無邪心。唯大御神之命以。問賜僕之哭伊佐知流之事故。白都良久三字以音僕欲往妣國以哭。爾大御神詔。汝者不可在此國而。神夜良比夜良比賜。故以爲請將罷往之状。參上耳。無異心。爾天照大御神詔。然者汝心之清明何以知。於是速須佐之男命答白。各宇氣比而。生子自宇以三字以音。下效此故爾各中置天安河而。宇氣布時。天照大御神先乞度建速須佐之男命所佩十拳劍。打折三段而。奴那登母母由良迩此八字以音。下效此振滌天之眞名井而。佐賀美迩迦美而自佐下六字以音。下效此於吹棄氣吹之狹霧所成神御名。多紀理毘賣命此神名以音亦御名謂奧津嶋比賣命。次市寸嶋比賣命。亦御名謂狹依毘賣命。次多岐都比賣命三柱。此神名以音速須佐之男命。乞度天照大御神所纏左御美豆良八尺勾之五百津之美須麻流珠而。奴那登母母由良爾。振滌天之眞名井而。佐賀美迩迦美而。於吹棄氣吹之狹霧所成神御名。正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命。亦乞度所纏右御美豆良之珠而。佐賀美迩迦美而。於吹棄氣吹之狹霧所成神御名。天之菩卑能命自菩下三字以音亦乞度所纏御鬘之珠而。佐賀美迩迦美而。於吹棄氣吹之狹霧所成神御名。天津日子根命。又乞度所纏左御手之珠而。佐賀美迩迦美而。於吹棄氣吹之狹霧所成神御名。活津日子根命。亦乞度所纏右御手之珠而。佐賀美迩迦美而。於吹棄氣吹之狹霧所成神御名。熊野久須毘命并五柱。自久下三字以音於是天照大御神。告速須佐之男命。是後所生五柱男子者。物實。因我物所成。故自吾子也。先所生之三柱女子者。物實因汝物所成。故乃汝子也。如此詔別也。故其先所生之神。多紀理毘賣命者坐胸形之奧津宮。次市寸嶋比賣命者坐胸形之中津宮。次田寸津比賣命者坐胸形之邊津宮。此三柱神者。胸形君等之以伊都久三前大神者也。故此後所生五柱子之中。天菩比命之子。建比良鳥命此出雲國造。无邪志國造、上菟上國造、下菟上國造、伊自牟國造、津嶋縣直。遠江國造等之祖也次天津日子根命者凡川内國造、額田部湯坐連、茨木國造、倭田中直、山代國造、馬來田國造、道尻岐閇國造、周芳國造、倭淹知造、高市縣主、蒲生稻寸、三技部造等之祖也
爾速須佐之男命。白于天照大御神。我心清明故。我所生之子得手弱女。因此言者。自我勝云而。於勝佐備此二字以音離天照大御神之營田之阿此阿字以音埋其溝。亦其於聞看大嘗之殿。屎麻理此二字以音散。故雖然爲。天照大御神者。登賀米受而告。如屎。醉而吐散登許曾此三字以音我那勢之命爲如此。又離田之阿埋溝者。地矣阿多良斯登許曾自阿以下七字以音我那勢之命爲如此登此一字以音詔雖直。猶其惡態不止而。轉。天照大御神。坐忌服屋而。令織神御衣之時。穿其服屋之頂。逆剥天斑馬剥而。所墮人時。天衣織女見驚而。於梭衝陰上而死訓陰上云富登故於是天照大御神見畏。閇天石屋戸而。刺許母理此三字以音坐也。爾高天原皆暗。葦原中國悉闇。因此而常夜往。於是萬神之聲者狹蝿那須此二字以音皆滿。萬妖悉發。是以八百萬神於天安之河原。神集集而訓集云都度比高御産巣日神之子。思金神。令思訓金云加海尼而。集常世長鳴鳥。令鳴而。取天安河之河上之天堅石。取天金山之鐵而。求鍛人天津麻羅而麻羅二字以音科伊斯許理度賣命自伊以六字以音令作鏡。科玉祖命。令作八尺勾之五百津之御須麻流之珠而。召天兒屋命、布刀玉命布刀二字以音。下效此而。内拔天香山之眞男鹿之肩拔而。取天香山之天之波波迦此二字以音木名而。令占合麻迦那波而自麻下四字以音天香山之五百津眞賢木矣。根許士爾許士而自許下五字以音於上枝。取著八尺勾之五百津之御須麻流之玉。於中枝取繋八尺鏡訓八尺云八阿多於下枝取垂白丹寸手青丹寸手而訓垂云志殿此種種物者。布刀玉命布刀御幣登取持而。天兒屋命布刀詔戸言祷白而。天手力男神。隱立戸掖而。天宇受賣命。手次繋天香山之天之日影而。爲鬘天之眞拆而。手草結天香山之小竹葉而訓小竹云佐佐於天之石屋戸伏汚氣此二字以音而。蹈登杼呂許志此五字以音爲神懸而。掛出胸乳。裳緒忍垂於番登也。爾高天原動而。八百萬神共咲。
於是天照大御神以爲怪。細開天石屋戸而内告者。因吾隱坐而以爲天原自闇。亦葦原中國皆闇矣。何由以天宇受賣者。爲樂。亦八百萬神諸咲。爾天宇受賣。白言。益汝命而貴神坐故。歡喜咲樂。如此言之間。天兒屋命、布刀玉命指出其鏡。示奉天照大御神之時。天照大御神逾思奇而。稍自戸出而。臨坐之時。其所隱立之天手力男神。取其御手引出。即布刀玉命。以尻久米此二字以音繩控度其御後方。白言。從此以内不得還入。故天照大御神出坐之時。高天原及葦原中國自得照明。
於是八百萬神共議而。於速須佐之男命。負千位置戸。亦切鬚。及手足爪令拔而。神夜良比夜良比岐。又食物乞大氣都比賣神。爾大氣都比賣。自鼻、口及尻。種種味物取出而。種種作具而進時。速須佐之男命立伺其態。爲穢汚而奉進。乃殺其大宜津比賣神。故所殺神於身生物者。於頭生蠶。於二月生稻種。於二耳生粟。於鼻生小豆。於陰生麥。於尻生大豆。故是神産巣日御祖命。令取茲。成種。
故所避追而。降出雲國之肥河上在鳥髮地。此時箸從其河流下。於是須佐之男命。以爲人有其河上而。尋上往者。老夫與老女二人在而。童女置中而泣。爾問賜之汝等者誰。故其老夫答言。僕者國神。大山津見神之子焉。僕名謂足名椎。妻名謂手名椎。女名謂櫛名田比賣。亦問汝哭由者何。答白言。我之女者自本在八稚女。是高志之八俣遠呂智此三字以音毎年來喫。今其可來時故泣。爾問其形如何。答白。彼目如赤加賀智而。身一有八頭、八尾。亦其身生蘿及桧、榲。其長度谿八谷、峽八尾而。見其腹者。悉常血爛也此謂赤加賀知者今酸醤者也爾速須佐之男命詔其老夫。是汝之女者。奉於吾哉。答白恐亦不覺御名。爾答詔。吾者天照大御神之伊呂勢者也。自三字以音故今自天降坐也。爾足名椎、手名椎神。白然坐者恐。立奉。爾速須佐之男命。乃於湯津爪櫛取成其童女而。刺御美豆良。告其足名椎、手名椎神。汝等釀八鹽折之酒。且作迴垣。於其垣作八門。毎門結八佐受岐此三字以音毎其佐受岐置酒船而。毎船盛其八鹽折酒而待。故隨告而。如此設備待之時。其八俣遠呂智。信如言來。乃毎船垂入己頭。飮其酒。於是飮醉。死由伏寢。爾速須佐之男命。拔下其所御佩之十拳劔。切散其蛇者。肥河變血而流。故切其中尾時。御刀之刄毀。爾思怪。以御刀之前刺割而見者。在都牟刈之大刀。故取此大刀。思異物而。白上於天照大御神也。是者草那藝之大刀也那藝二字以音故是以其速須佐之男命。宮可造作之地。求出雲國。爾到坐須賀此二字以音。下效此地而詔之。吾來此地。我御心須須賀賀斯而。其地作宮坐。故其地者於今云須賀也。茲大神初作須賀宮之時。自其地雲立騰。爾作御歌。其歌曰。
  夜久毛多都。伊豆毛夜幣賀岐。都麻碁微爾。夜幣賀岐都久流。曾能夜幣賀岐袁
於是喚其足名椎神。告言。汝者任我宮之首。且負名號稻田宮主須賀之八耳神。故其櫛名田比賣以。久美度迩起而。所生神名謂八嶋士奴美神自士下三字以音。下效此又娶大山津見神之女。名神大市比賣。生子。大年神。次宇迦之御魂神二柱。宇迦二字以音兄八嶋士奴美神。娶大山津見神之女。名木花知流二字以音比賣。生子。布波能母遲久奴須奴神。此神。娶淤迦美神之女。名日河比賣。生子。深淵之水夜禮花神夜禮二字以音此神娶天之都度閇知泥自都下五字以音生子。淤美豆奴神此神名以音此神娶布怒豆怒神此神名以音之女。名布帝耳布帝二字以音生子。天之冬衣神。此神。娶刺國大神之女。名刺國若比賣。生子。大國主神。亦名謂大穴牟遲神牟遲二字以音亦名謂葦原色許男神色許二字以音亦名謂八千矛神。亦名謂宇都志國玉神宇都志三字以音并有五名。故此大國主神之兄弟八十神坐。然皆國者避於大國主神。所以避者。其八十神各有下欲婚稻羽之八上比賣之心共行稻羽時。於大穴牟遲神負。爲從者率往。於是到氣多之前時。裸菟伏也。爾八十神謂其菟云。汝將爲者。浴此海鹽。當風吹而。伏高山尾上。故其菟從八十神之教而伏。爾其鹽隨乾。其身皮悉風見吹拆。故痛苦泣伏者。最後之來大穴牟遲神見其菟。言何由汝泣伏。菟答言。僕在淤岐嶋。雖欲度此地。無度因。故欺海和迩此二字以音。下效此言。吾與汝竸。欲計族之多少。故汝者隨其族在悉率來。自此嶋至于氣多前皆列伏度。爾吾蹈其上。走乍讀度。於是知與吾族孰多。如此言者。見欺而列伏之時。吾蹈其上讀度來。今將下地時。吾云。汝者我見欺。言竟。即伏最端和迩捕我。悉剥我衣服。因此泣患者。先行八十神之命以。誨告浴海鹽當風伏。故爲如教者。我身悉傷。於是大穴牟遲神教告其菟。今急往此水門。以水洗汝身。即取其水門之蒲黄。敷散而。輾轉其上者。汝身如本膚必差。故爲如教其身如本也。此稻羽之素菟者也。於今者謂菟神也。故其菟白大穴牟遲神。此八十神者必不得八上比賣。雖負汝命獲之。於是八上比賣答八十神言。吾者不聞汝等之言。將嫁大穴牟遲神。故爾八十神忿。欲殺大穴牟遲神共議而。至伯岐國之手間山本云。赤猪在此山。故和禮此二字以音共追下者。汝待取。若不待取者。必將殺汝云而。以火燒似猪大石而轉落。爾追下取時。即於其石所燒著而死。爾其御祖命哭患而。參上于天。請神産巣日之命時。乃遣貝比賣與蛤貝比賣。令作活。爾貝比賣岐佐宜此三字以音集而。蛤貝比賣持水而。塗母乳汁者。成麗壯夫訓壯夫云袁等古而出遊行。
於是八十神見。且欺率入山而。切伏大樹。茹矢。打立其木。令入其中即。打離其冰目矢而。拷殺也。爾亦其御祖哭乍求者。得見即。拆其木而取出活。告其子言。汝者有此間者。遂爲八十神所滅。乃遣於木國之大屋毘古神之御所。爾八十神追臻而。矢刺之時。自木俣漏逃而云。御祖命告子云。可參向須佐能男命所坐之根堅州國。必其大神議也。故隨詔命而。參到須佐之男命之御所者。其女須勢理毘賣出見。爲目合而相婚。還入。白其父言。甚麗神來。爾其大神出見而告。此者謂之葦原色許男。即喚入而。令寢其蛇室。於是其妻須勢理毘賣命以蛇比禮二字以音授其夫云。其蛇將咋。以此比禮三擧打撥。故如教者。蛇自靜故。平寢出之。亦來日夜者。入呉公與蜂室。亦授呉公、蜂之比禮。教如先故。平出之。亦鳴鏑射入大野之中。令採其矢。故人其野時。即以火迴燒其野。於是不知所出之間。鼠來云。内者富良富良此四字以音外者須夫須夫此四字以音巳如此言故。蹈其處者。落隱入之間。火者燒過。爾其鼠咋持其鳴鏑。出來而奉也。其矢羽者。其鼠子等皆喫也。
於是其妻須世理毘賣者。持喪具而哭來。其父大神者。思已死訖。出立其野。爾持其矢以奉之時。率入家而。喚入八田間大室而。令取其頭之虱。故爾見其頭者。呉公多在。於是其妻。以牟久木實與赤土。授其夫。故咋破其木實。含赤土。唾出者。其大神。以爲咋破呉公唾出上而。於心思愛而寢。爾握其神之髮。其室毎椽結著而。五百引石。取塞其室戸。負其妻須世理毘賣。即取持其大神之生大刀與生弓矢。及其天詔琴而。逃出之時。其天詔琴拂樹而。地動鳴。故其所寢大神。聞驚而。引仆其室。然解結椽髮之間。遠逃。故爾追至黄泉比良坂遙望呼。謂大穴牟遲神日。其汝所持之生大刀、生弓矢以而。汝庶兄弟者追伏坂之御尾。亦追撥河之瀬而。意禮二字以音爲大國主神亦爲宇都志國玉神而。其我之女爲須世理毘賣。爲嫡妻而。於宇迦能山三字以音巳之山本。於底津石根。宮柱布刀斯理此四字以音於高天原氷椽多迦斯理此四字以音而居。是奴也。故持其大刀、弓。追避其八十神之時。毎坂御尾追伏。毎河瀬追撥而。始作國也。故其八上比賣者如先期美刀阿多波志都此七字以音故其八上比賣者雖率來。畏其嫡妻須世理毘賣而。其所生子者刺狹木俣而返。故名其子云木俣神亦名謂御井神也。
此八千矛神。將婚高志國之沼河比賣幸行之時。到其沼河比賣之家歌曰。
 夜知富許能。迦微能美許登波。夜斯麻久爾。都麻麻岐迦泥弖。登富登富斯。故志能久迩迩。佐加志賣遠。阿理登岐加志弖。久波志賣遠。阿理登伎許志弖。佐用婆比迩。阿理多多斯用婆比迩。阿理迦用婆勢。多知賀遠母。伊麻陀登加受弖。淤須比遠母。伊麻陀登加泥婆。遠登賣能。那須夜伊多斗遠。淤曾夫良比。和何多多勢禮婆。比許豆良比。和何多多勢禮婆。阿遠夜麻迩。奴延波那伎奴。佐怒都登理。岐藝斯波登與牟。爾波都登理。迦祁波那久。宇禮多久母。那久那留登理加。許能登理母。宇知夜米許世泥。伊斯多布夜。阿麻波勢豆加比。許登能。加多理其登母。許遠婆
爾其沼河日賣。未開戸。自内歌曰。
  夜知富許能。迦微能美許等。奴延久佐能。売迩志阿礼婆。和何許許呂。宇良須能登理叙。伊麻許曾婆。和杼理迩阿良米。能知波。那杼理爾阿良牟遠。伊能知波。那志勢多麻比曾。伊斯多布夜。阿麻波世豆迦x比。許登能。加多理碁登母。許遠婆。阿遠夜麻迩。比賀迦久良婆。奴婆多麻能。用波伊伝那牟。阿佐比能。恵美佐加延岐弖。多久豆怒能。斯路岐多陀牟岐。阿和由岐能。和加夜流牟泥遠。曾陀多岐。多多岐麻那賀理。麻多麻伝。多麻伝佐斯麻岐。毛毛那賀爾。伊波那佐牟遠。阿夜爾。那古斐支許志。夜知富許能。迦微能美許登。許登能。迦多理碁登母。許遠婆
故其夜者不合而。明日夜爲御合也。又其神之嫡后須勢理毘賣命。甚爲嫉妬。故其日子遲神和備弖三字以音自出雲將上坐倭國而。束裝立時。片御手者。繋御馬之鞍。片御足蹈入其御鐙而。歌曰。
  奴婆多麻能。久路岐美祁斯遠。麻都夫佐爾。登理與曾比。淤岐都登理。牟那美流登岐。波多多藝母。許禮婆布佐波受。幣都那美。曾迩奴岐宇弖。蘇迩杼理能。阿遠岐美祁斯遠。麻都夫佐迩。登理與曾比。於岐都登理。牟那美流登岐。波多多藝母。許母布佐波受。幣都那美。曾迩奴棄宇弖。夜麻賀多爾。麻岐斯。阿多豆都岐。曾米紀賀斯流迩。斯米許呂母遠。麻都夫佐迩。登理與曾比。淤岐都登理。牟那美流登岐。波多多藝母。許斯與呂志。伊刀古夜能。伊毛能美許等。牟良登理能。和賀牟禮伊那婆。比氣登理能。和賀比氣伊那婆。那迦士登波。那波伊布登母。夜麻登能。比登母登須須岐。宇那加夫斯。那賀那加佐麻久。阿佐阿米能。疑理迩多多牟敍。和加久佐能。都麻能 美許登。許登能。加多理碁登母。許遠婆
爾其后取大御酒坏。立依指擧而歌曰。
  夜知富許能。加微能美許登夜。阿賀淤 富久迩奴斯。那許曾波。遠迩伊麻世婆。宇知微流。斯麻能佐岐邪岐。加岐微流。伊蘇能佐岐淤知受。和加久佐能。都麻母多勢良米。阿波母與。賣迩斯阿禮婆。那夜知富許能加微能美許登夜阿賀淤富久迩奴斯那許曾波遠迩伊麻世婆宇知微流斯麻能佐岐邪岐加岐微流伊蘇能佐岐淤知受和加久佐能都麻母多勢良米阿波母與賣迩斯阿禮婆那遠岐弖。遠波那志。那遠岐弖。都麻波那斯。阿夜加岐能。布波夜賀斯多爾。牟斯夫須麻。爾古夜賀斯多爾。多久夫須麻。佐夜具賀斯多爾。阿和由岐能。和加夜流牟泥遠。多久豆怒能。斯路岐多陀牟岐。曾陀多岐。多多岐麻那賀理。麻多麻傳。多麻傳佐斯麻岐。毛毛那賀迩。伊遠斯那世。登與美岐。多弖麻都良世
如此歌。即爲宇伎由比四字以音而。宇那賀氣理弖六字以音至今鎭坐也。此謂之神語也。故此大國主神娶坐胸形奧津宮神。多紀理毘賣命。生子。阿遲二字以音高日子根神。次妹高比賣命。亦名下光比賣命。此之阿遲高日子根神者。今謂迦毛大御神者也。大國主神。亦娶神屋楯比賣命。生子。事代主神。亦娶八嶋牟遲能神自牟下三字以音之女。鳥取神。生子。鳥鳴海神訓鳴云那留此神。娶日名照額田毘道男伊許知迩神田下毘又自伊下至迩皆以音生子。國忍富神。此神。娶葦那陀迦神自那下三字以音亦名八河江比賣。生子。速甕之多氣佐波夜遲奴美神自多下八字以音此神娶天之甕主神之女。前玉比賣。生子。甕主日子神。此神娶淤加美神之女。比那良志毘賣此神名以音生子。多比理岐志麻流美神此神名以此神娶比比羅木之其花麻豆美神木上三字花下三字以音之女。活玉前玉比賣神生子。美呂浪神美呂二字以音此神娶敷山主神之女。青沼馬沼押比賣。生子。布忍富鳥鳴海神。此神娶若晝女神。生子。天日腹大科度美神度美二字以音此神娶天狹霧神之女。遠津待根神生子。遠津山岬多良斯神。
 右件自八嶋士奴美神以下。遠津山岬帶神以前。稱十七世神。
故大國主神坐出雲之御大之御前時。自波穗乘天之羅摩船而。内剥鵝皮剥。爲衣服。有歸來神。爾雖問其名不答。且雖問所從之諸神。皆白不知。爾多迩具久白言自多下四字以音此者久延毘古必知之。即召久延毘古問時。答白此者神産巣日神之御子。少名毘古那神自毘下三字以音故爾白上於神産巣日御祖命者。答告。此者實我子也。於子之中自我手俣久岐斯子也自久下三字以音故與汝葦原色許男命爲兄弟而。作堅其國。故自爾大穴牟遲與少名毘古那。二柱神相並。作堅此國。然後者。其少名毘古那神者度于常世國也。故顯白其少名毘古那神。所謂久延毘古者。於今者山田之曾富騰者也。此神者足雖不行。盡知天下之事神也。
於是大國主神愁而告。吾獨何能得作此國。孰神與吾能相作此國耶。是時有光海依來之神。其神言。能治我前者。吾能共與相作成。若不然者。國難成。爾大國主神曰。然者治奉之状奈何。答言吾者伊都岐奉于倭之青垣東山上。此者坐御諸山上神也。
故其大年神娶神活須毘神之女。伊怒比賣。生子。大國御魂神。次韓神。次曾富理神。次白日神。次聖神五神。又娶香用比賣此神名以音生子。大香山戸臣神。次御年神二柱。又娶天知迦流美豆比賣訓天如天亦自知下六字以音生子。奧津日子神。次奧津比賣命。亦名大戸比賣神。此者諸人以拜竃神者也。次大山咋神。亦名山末之大主神。此神者坐近淡海國之日枝山。亦坐葛野之松尾。用鳴鏑神者也。次庭津日神。次阿須波神此神名以音次波比岐神此神名以音次香山戸臣神。次羽山戸神。次庭高津日神。次大土神。亦名土之御祖神。九神
 上件大年神之子。自大國御魂神以下。大土神以前。并十六神。
羽山戸神娶大氣都比賣神自氣下四字以音生子。若山咋神。次若年神。次妹若沙那賣神自沙下三字以音次彌豆麻岐神自彌下四字音次夏高津日神。亦名夏之賣神。次秋毘賣神。次久久年神久久二字以音次久久紀若室葛根神久久紀二字以音
 上件羽山戸神之子自若山咋神以下。若室葛根以前。并八神。
天照大御神之命以。豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者。我御子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之所知國。言因賜而天降也。於是天忍穗耳命於天浮橋多多志此三字以音而詔之。豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者。伊多久佐夜藝弖此七字以音有那理此二字以音。下效此告而。更還上。請于天照大神。爾高御産巣日神天照大御神之命以。於天安河之河原神集八百萬神集而。思金神令思而詔。此葦原中國者。我御子之所知國。言依所賜之國也。故以爲於此國道速振荒振國神等之多在。是使何神而將言趣。爾思金神及八百萬神議白之。天菩比神。是可遣。故遣天菩比神者。乃媚附大國主神。至于三年不復奏。
是以高御産巣日神、天照大御神亦問諸神等。所遣葦原中國之天菩比神。久不復奏。亦使何神之吉。爾思金神答白。可遣天津國玉神之子。天若日子。故爾以天之麻迦古弓自麻下三字以音天之波波此二字以音矢。賜天若日子而遣。於是天若日子降到其國即娶大國主神之女。下照比賣。亦慮獲其國。至于八年不復奏。故爾天照大御神、高御産巣日神亦問諸神等。天若日子久不復奏。又遣曷神以。問天若日子之淹留所由。於是諸神及思金神答白可遣雉名鳴女時。詔之。汝行。問天若日子状者。汝所以使葦原中國者。言趣和其國之荒振神等之者也。何至于八年不復奏。
故爾鳴女自天降到。居天若日子之門湯津楓上而。言委曲如天神之詔命。爾天佐具賣此三字以音聞此鳥言而。語天若日子言。此鳥者其鳴音甚惡。故可射云進。即天若日子持天神所賜天之波士弓。天之加久矢。射殺其雉。爾其矢自雉胸通而。逆射上。逮坐天安河之河原。天照大御神、高木神之御所是高木神者。高御産巣日神之別名。故高木神取其矢見者。血箸其矢羽。於是高木神告之此矢者所賜天若日子之矢即示諸神等詔者。或天若日子不誤命。爲射惡神之矢之至者。不中天若日子。或有邪心者。天若日子於此矢麻賀禮此三字以音云而。取其矢自其矢穴衝返下者。中天若日子。寢胡床之高胸坂。以死此還矢之可恐之本也亦其雉不還。故於今諺曰雉之頓使本是也。
故天若日子之妻。下照比賣之哭聲。與風響到天。於是在天天若日子之父。天津國玉神及其妻子聞而。降來哭悲。乃於其處作喪屋而。河雁爲岐佐理持自岐下三字以音鷺爲掃持。翠鳥爲御食人。雀爲碓女。雉爲哭女。如此行定而。日八日夜八夜以遊也。
此時。阿遲志貴高日子根神自阿下四字以音到而。弔天若日子之喪時。自天降到天若日子之父。亦其妻。皆哭云。我子者不死有祁理此二字以音。下效此我君者不死坐祁理云。取懸手足而哭悲也。其過所以者。此二柱神之容姿甚能相似。故是以過也。於是阿遲志貨高日子根神大怒日。我者愛友故弔來耳。何吾比穢死人云而。拔所御佩之十掬劍。切伏其喪屋。以足蹶離遣。此者在美濃國藍見河之河上喪山之者也。其持所切大刀名謂大量。亦名謂神度劍度字以音故阿治志貴高日子根神者忿而飛去之時。其伊呂妹高比賣命。思顯其御名。故歌曰。
  阿米那流夜。淤登多那婆多能。宇那賀世流。多麻能美須麻流。 美須麻流迩。阿那陀麻波夜。美多迩布多和多良須。阿治志貴。 多迦比古泥能迦微曾
此歌者夷振也。

於是天照大御神詔之。亦遣曷神者吉。爾思金神及諸神白之。坐天安河河上之天石屋。名伊都之尾羽張神。是可遣伊都二字以音若亦非此神者。其神之子。建御雷之男神。此應遣。且其天尾羽張神者。逆塞上天安河之水而。塞道居故。他神不得行。故別遣天迦久神可問。故爾使天迦久神。問天尾羽張神之時。答白。恐之。仕奉。然於此道者。僕子建御雷神可遣。乃貢進。爾天鳥船神副建御雷神而遣。是以此二神降到出雲國伊那佐之小濱而伊那佐三字以音拔十掬劍。逆刺立千浪穗趺坐其劍前。問其大國主神言。天照大御神、高木神之命以。問使之。汝之宇志波祁流此五字以音葦原中國者。我御子之所知國。言依賜。故汝心奈何。爾答白之。僕者不得白。我子八重言代主神。是可白。然爲鳥遊、取魚而。往御大之前。未還來。故爾遣天鳥船神。徴來八重事代主神而。問賜之時。語其父大神言。恐之。此國者立奉天神之御子。即蹈傾其船而。天逆手矣。於青柴垣打成而隱也訓柴云布斯
故爾問其大國主神。今汝子事代主神如此白訖。亦有可白子乎。於是亦白之。亦我子有建御名方神。除此者無也。如此白之間。其建御名方神。千引石手末而來。言誰來我國而。忍忍如此物言。然欲爲力競。故我先欲取其御手。故令取其御手者。即取成立氷。亦取成劍刄。故爾懼而退居。爾欲取其建御名方神之手。乞歸而取者。如取若葦。批而投離者。即逃去。故追往而。迫到科野國之洲羽海。將殺時。建御名方神白。恐。莫殺我。除此地者。不行他處。亦不違我父大國主神之命。不違八重事代主神之言。此葦原中國者。隨天神御子之命獻。
故更且還來。問其大國主神。汝子等事代主神、建御名方神二神者。隨天神御子之命。勿違白訖。故汝心奈何。爾答白之。僕子等二神隨白。僕之不違。此葦原中國者。隨命既獻也。唯僕住所者。如天神御子之天津日繼所知之。登陀流此三字以音。下效此天之御巣而。於底津石根宮柱布斗斯理此四字以音於高天原。氷木多迦斯理多迦斯理四字以音而治賜者。僕者於百不足八十手隱而侍。亦僕子等百八十神者。即八重事代主神爲神之御尾前而仕奉者。違神者非也。如此之白而。乃隱也。故隨白而。於出雲國之多藝志之小濱造天之御舍多藝志三字以音而。水戸神之孫櫛八玉神爲膳夫。獻天御饗之時。祷白而。櫛八玉神化鵜。入海底。咋出底之波迩此二字以音作天八十毘良迦此三字以音而。鎌海布之柄作燧臼臺以海蓴之柄作燧杵而。鑚出火云。
  是我所燧火者於高天原者神産巣日御祖命之登陀流天之新巣之凝烟訓凝姻云州須之八拳垂麻弖燒擧麻弖二字以音地下者於底津石根燒凝而栲繩之千尋繩打延爲釣海人之口大之尾翼鱸訓鱸云須受岐佐和佐和迩此五字以音控依騰而打竹之登遠遠登遠遠迩此七字以音獻天之眞魚咋也。
故建御雷神返參上。復奏言向和平葦原中國之状。爾天照大御神、高木神之命以。詔太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命。今平訖葦原中國之白。故隨言依賜。降坐而知看。爾其太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命答白。僕者將降裝束之間。子生出。名天迩岐志國迩岐志自迩至志以音天津日高日子番能迩迩藝命。此子應降也。此御子者御合高木神之女。萬幡豐秋津師比賣命。生子。天火明命。次日子番能迩迩藝命二柱也。是以隨白之。科詔日子番能迩迩藝命。此豐葦原水穗國者。汝將知國。言依賜。故隨命以可天降。
爾日子番能迩迩藝命將天降之時。居天之八衢而。上光高天原下光葦原中國之神於是有。故爾天照大御神、高木神之命以。詔天宇受賣神。汝者雖有手弱女人。與伊牟迦布神自伊至布以音面勝神。故專汝往將問者。吾御子爲天降之道。誰如此而居。故問賜之時。答白。僕者國神。名猿田毘古神也。所以出居者。聞天神御子天降坐故。仕奉御前而。參向之侍。
爾天兒屋命、布刀玉命、天宇受賣命、伊斯許理度賣命、玉祖命并五伴緒矣。支加而。天降也。於是副賜其遠岐斯此三字以音八尺勾,鏡。及草那藝劍。亦常世思金神、手力男神、天石門別神而。詔者。此之鏡者專爲我御魂而。如拜吾前伊都岐奉。次思金神者取持前事爲政。此二柱神者。拜祭佐久久斯侶。伊須受能宮自佐至能以音次登由宇氣神。此者坐外宮之度相神者也。次天石戸別神。亦名謂櫛石窓神。亦名謂豐石窓神。此神者御門之神也。次手力男神者坐佐那縣也。故其天兒屋命者中臣連等之祖布刀玉命者忌部首等之祖天宇受賣命者猿女君等之祖伊斯許理度賣命者鏡作連等之祖玉祖命者玉祖連等之祖
故爾詔天津日子番能迩迩藝命而。離天之石位。押分天之八重多那此二字以音雲而。伊都能知和岐知和岐弖自伊以下十字以音於天浮橋宇岐士摩理蘇理多多斯弖自宇以下十一字亦以音天降坐于竺紫日向之高千穗之久士布流多氣自久以下六字以音故爾天忍日命、天津久米命二人取負天之石靭。取佩頭椎之大刀。取持天之波士弓。手挾天之眞鹿兒矢立御前而仕奉。故其天忍日命此者大伴連等之祖天津久米命此者久米直等之祖也
於是詔之。此地者向韓國。眞來通笠紗之御前而。朝日之直刺國。夕日之日照國也。故此地甚吉地詔而。於底津石根宮柱布斗斯理。於高天原氷椽多迦斯理而坐也。
故爾詔天宇受賣命。此立御前所仕奉猿田毘古大神者。專所顯申之汝送奉。亦其神御名者。汝負仕奉。是以猿女君等。負猿田毘古之男神名而女呼猿女君之事是也
故其猿田毘古神坐阿邪訶此三字以音。地名時。爲漁而。於比良夫貝自比至夫以音其手見咋合而。沈溺海鹽。故其沈居底之時名謂底度久御魂度久二字以音其海水之都夫多都時名謂。都夫多都御魂自都下四字以音其阿和佐久時名謂阿和佐久御魂自阿至久以音
於是送猿田毘古神而。還到。乃悉追聚鰭廣物。鰭狹物以。問言汝者天神御子仕奉耶之時。諸魚皆仕奉白之中。海鼠不白。爾天宇受賣命謂海鼠云。此口乎。不答之口而。以紐小刀拆其口。故於今海鼠口拆也。是以御世嶋之速贄獻之時。給猿女君等也。
於是天津日高日子番能迩迩藝能命於笠紗御前遇麗美人。爾問誰女。答白之。大山津見神之女。名神阿多都比賣此神名以音亦名謂木花之佐久夜毘賣此五字以音又問有汝之兄弟乎。答白我姉石長比賣在也。爾詔。吾欲目合汝奈何。答白僕不得白。僕父大山津見神將白。故乞遣其父大山
津見神之時。大歡喜而。副其姉石長比賣。令持百取机代之物奉出。故爾其姉者因甚凶醜。見畏而返送。唯留其弟木花之佐久夜毘賣以。一宿爲婚。爾大山津見神因返石長比賣而大恥。白送言。我之女二並立奉由者。使石長比賣者。天神御子之命。雖雪零風吹。恆如石而。常堅不動坐。亦使木花之佐久夜毘賣者。如木花之榮榮坐。宇氣比弖自宇下四字以音貢進。此令返石長比賣而。獨留木花之佐久夜毘賣。故天神御子之御壽者。
木花之阿摩比能微此五字以音坐。故是以至于今。天皇命等之御命不長也。
故後木花之佐久夜毘賣參出白。妾妊身。今臨産時。是天神之御子。私不可産故請。爾詔。佐久夜毘賣。一宿哉妊。是非我子。必國神之子。爾答白。吾妊之子。若國神之子者。産不幸。若天神之御子者幸。即作無戸八尋殿。入其殿内。以土塗塞而。方産時以火著其殿而産也。故其火盛燒時所生之子名。火照命此者隼人阿多君之祖次生子名。火須勢理命須勢理三字以音次生子御名。火遠理命。亦名天津日高日子
穗穗手見命三柱
故火照命者爲海佐知毘古此四字以音。下效此而。取鰭廣物。鰭狹物。火遠理命者。爲山佐知毘古而。取毛麁物。毛柔物。爾火遠理命謂其兄火照命。各相易佐知欲用。三度雖乞不許。然遂纔得相易。爾火遠理命以海佐知釣魚。都不得魚。亦其鉤失海。於是其兄火照命乞鉤曰。山佐知母。己之佐知佐知。海佐知母已之佐知佐知。今各謂返佐知之時佐知二字以音其弟火遠理命答曰。汝鉤者。釣魚不得一魚。遂失海。然其兄強乞徴。故其弟破御佩之十拳劍。作五百鉤。雖償不取。亦作一千鉤。雖償不受。云猶欲。得其正本鉤。
於是其弟泣患居海邊之時。鹽椎神來問曰。何虚空津日高之泣患所由。答言。我與兄易鉤而。失其鉤。是乞其鉤故。雖償多鉤不受。云猶欲得其本鉤。故泣患之。爾鹽椎神云我爲汝命作善議。即造无間勝間之小船。載其船以教日。我押流其船者。差暫往。將有味御路。乃乘其道往者。如魚鱗所造之宮室。其綿津見神之宮者也。到其神御門者。傍之井上有湯津香木。故坐其木上者。其海神之女見相議者也訓香木云加都良
故隨教少行。備如其言。即登其香木以坐。爾海神之女豐玉毘賣之從婢。持玉器將酌水之時。於井有光。仰見者。有麗壯夫吉訓壯夫云袁登古下效此以爲甚異奇。爾火遠理命見其婢。乞欲得水。婢乃酌水。入玉器貢進。爾不飮水。解御頚之含口。唾入其玉器。於是其著器。婢不得離。故任著以進豐玉毘賣命。爾見其。問婢日。若人有門外哉。答曰。有人坐我井上香木之上。甚麗壯夫也。益我王而甚貴。故其人乞水故奉水者。不飮水。唾入此。是不得離。故任入將來而獻。爾豐玉毘賣命思奇。出見。乃見感目合而。白其父曰。吾門有麗人。爾海神自出見。云此人者天津日高之御子。虚空津日高矣。即於内率入而。美知皮之疊敷八重。亦[糸施−方]疊八重敷其上。坐其上而。具百取机代物爲御饗即令婚其女豐玉毘賣。故至三年住其國。
於是火袁理命思其初事而。大一歎。故豐玉毘賣命聞其歎以。白其父言。三年雖住。恆無歎。今夜爲大一歎。若有何由。故其父大神問其聟夫日。今旦聞我女之語云三年雖坐。恆無歎。今夜爲大歎。若有由哉。亦到此間之由奈何。爾語下其大神備如其兄罰失鉤之状。是以海神悉召集海之
大小魚問曰。若有取此鉤魚乎。故諸魚白之。頃者赤海魚於喉魚。物不得食愁言故必是取。於是探赤海魚之。喉者。有鉤。即取出而清洗。奉火遠理命之時。其綿津見大神。誨曰之。以此鉤給其兄時。言状者。此鉤者。淤煩鉤、須須鉤、貧鉤、宇流鉤云而。於後手賜於煩及須須。亦宇流六字以音然而其兄作高田者。汝命營下田。其兄作下田者。汝命營高田。爲然者。吾掌水故。三年之間必其兄貧窮。若恨怨其爲然之事而攻戰者。出鹽盈珠而溺。若其愁請者。出鹽乾珠而活。如此令惚苦云。授鹽盈珠、鹽乾珠并兩箇。即悉召集和迩魚問曰。今天津日高之御子。虚空津日高爲將出幸上國。誰者幾日送奉而。覆奏。故各隨己身之尋長限日而白之中。一尋和迩白。僕者一日送即還來。故爾告下其一尋和迩。然者汝送奉。若渡海中時。無令惶畏即載其和迩之頚送出。故如期一日之内送奉也。其和迩將返之時。解所佩之紐小刀。著其頚而返。故其一尋和迩者。於今謂佐比持神也。
是以備如海神之教言。與其鉤。故自爾以後。稍愈貧。更起荒心迫來。將攻之時。出鹽盈珠而令溺。其愁請者。出鹽乾珠而救。如此令惚苦之時。稽首白。僕者自今以後。爲汝命之晝夜守護人而仕奉。故至今。其溺時之種種之態不絶仕奉也。於是海神之女豐玉毘賣命自參出白之。妾已妊身。今臨産時。此念。天神之御子不可生海原。故參出到也。爾即於其海邊波限以鵜羽爲葺草造産殿。於是其産殿未葺合。不忍御腹之急故。入坐産殿。爾將方産之時。白其日子言。凡他國人者臨産時。以本國之形産生。故妾今以本身爲産。願勿見妾。於是思奇其言。竊伺其方産者。化八尋和迩而。匍匐委蛇。即見驚畏而遁退。爾豐玉毘賣命知其伺見之事。以爲心恥。乃生置其御子而。白下妾恆通海道欲往來。然伺見吾形是甚之即塞海坂而返入。是以名其所産之御子。謂天津日高日子波限建鵜葺草不合命訓波限云那藝佐。訓葺草云加夜
然後者。雖恨其伺情不忍戀心。因治養其御子之縁附其弟玉依毘賣而。獻歌之。其歌曰。
  阿加陀麻波。袁佐閇比迦禮杼。斯良多麻能。岐美何余曾比斯。多布斗久阿理祁理
爾其比古遲三字以音答歌曰。
  意岐都登理。加毛度久斯麻迩。和賀韋泥斯。伊毛波和須禮士。余能許登碁登迩
故日子穗穗手見命者坐高千穗宮。伍佰捌拾歳。御陵者。即在其高千穗山之西也。
是天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命娶其姨玉依毘賣命生御子名。五瀬命。次稻氷命。次御毛沼命。次若御毛沼命。亦名豐御毛沼命。亦名神倭伊波禮毘古命四柱故御毛沼命者跳浪穗渡坐于常世國。稻氷命者爲妣國而入坐海原也。

       古事記上卷終


古事記中卷

神倭伊波禮毘古命自伊下五字以音與其伊呂兄五瀬命上伊呂二字以音二柱。坐高千穗宮而。議云。坐何地者。平聞看天下之政。猶思東行。即自日向發幸御筑紫。故到豐國宇沙之時。其土人名宇沙都比古、宇沙都比賣此十字以音二人。作足一騰宮而獻大御饗。自其地遷移而。於竺紫之岡田宮一年坐。亦從其國上幸而。於阿岐國之多祁理宮。七年坐自多下三字以音亦從其國遷上幸而。於吉備之高嶋宮八年坐。故從其國上幸之時。乘龜甲爲釣乍打羽擧來人。遇于速汲門。爾喚歸。問之汝者誰也。答曰僕者國神。名宇豆毘古。又問汝者知海道乎答日能知。又問從而仕奉乎。答曰仕奉。故爾指度槁機引入其御船。即賜名號槁根津日子此者倭國造之祖
故從其國上行之時。經浪速之渡而。泊青雲之白肩津。此時。登美能那賀須泥毘古自登下九字以音興軍待向以戰。爾取所入御船之楯而下立。故號其地謂楯津。於今者至日下之蓼津也。於是與登美毘古戰之時。五瀬命於御手負登美毘古之痛矢串。故爾詔。吾者爲日神之御子。向日而戰不良。故負賎奴之痛手。自今者行迴而。背負日以撃期而。自南方迴幸之時。到血沼海。洗其御手之血。故謂血沼海也。從其地迴幸。到紀國男之水門而詔。負賎奴之手乎死。爲男建而崩。故號其水門謂男水門也。陵即在紀國之竃山也。故神倭伊波禮毘古命從其地迴幸。到熊野村之時。大熊髮出入即失。爾神倭伊波禮毘古命忽爲遠延。及御軍皆遠延而伏遠延二字以音此時。熊野之高倉下此者人名齎一横刀。到於天神御子之伏地而。獻之時。天神御子即寤起。詔長寢乎。故受取其横刀之時。其熊野山之荒神自皆爲切仆。爾其惑伏御軍悉寤起之。故天神御子問獲其横刀之所由。高倉下答曰。己夢云。天照大神、高木神二柱神之命以。召建御雷神而紹。葦原中國者。伊多玖佐夜藝帝阿理祁理此十一字以音我之御子等。不平坐良志此二字以音其葦原中國者。專汝所言向之國。故汝建御雷神可降。爾答白。僕雖不降。專有平其國之横刀。可降此刀名云佐士布都神。亦名云甕布都神。亦名布都御魂。此刀者。坐。石上神宮也降此刀状者。穿高倉下之倉頂自其墮入。故建御雷神教曰。穿汝之倉頂。以此刀墮入。故阿佐米余玖自阿下五字以音汝取持。獻天神御子。故如夢教而。旦見己倉者。信有横刀。故以是横刀而獻耳。於是亦高木大神之命以。覺白之。天神御子。自此於奧方莫使入幸。荒神甚多。今自天遣八咫烏。故其八咫烏引道。從其立後應幸行。故隨其教覺。從其八咫烏之後幸行者。到吉野河之河尻。時作筌有取魚人。爾天神御子問汝者誰也。答曰僕者國神。名謂贄持之子此者阿陀之鵜飼之祖從其地幸行者。生尾人自井出來。其井有光。爾問汝誰也。答曰僕者國神。名謂井氷鹿此者吉野首等祖也即入其山之。亦遇生尾人。此人押分巖而出來。爾問汝者誰也。答曰僕者國神。名謂石押分之子。今聞天神御子幸行故。參向耳此者吉野國巣之祖自其地蹈穿越。幸宇陀。故曰宇陀之穿也。故爾於宇陀有兄宇迦斯自宇以下三字以音。下效此、弟宇迦斯二人。故先遣八咫烏。問二人曰。今天神御子幸行。汝等仕奉乎。於是兄宇迦斯以鳴鏑待射返其使。故其鳴鏑所落之地謂訶夫羅前也。將待撃云而聚軍。然不得聚軍者。欺陽仕奉而。作大殿。於其殿内作押機待時。弟宇迦斯先參向拜曰。僕兄兄宇迦斯射返天神御子之使。將爲待攻而聚軍。不得聚者。作殿。其内張押機將待取。故參向顯白。爾大伴連等之祖道臣命。久米直等之祖大久米命二人。召兄宇迦斯罵詈云。伊賀此二字以音所作仕奉於大殿内者。意禮此二字以音先入。明白其將爲仕奉之状而。即握横刀之手上。矛由氣此二字以音矢刺而。追入之時。乃己所作押見打而死。爾即控出斬散。故其地謂宇陀之血原也。然而其弟宇迦斯之獻大饗者。悉賜其御軍。此時歌曰。
  宇陀能。多加紀爾。志藝和那波留。和賀麻都夜。志藝波佐夜良受。伊須久波斯。久治良佐夜流。古那美賀。那許波佐婆。多知曾婆能。微能那祁久袁。許紀志斐惠泥。宇波那理賀。那許婆佐婆。伊知佐加紀。微能意富祁久袁。許紀陀斐惠泥。疊疊音引志夜胡志夜。此者伊能碁布曾此五字以音阿阿音引志夜胡志夜此者嘲咲者也
故其弟宇迦斯此者宇陀水取等之祖也
自其地幸行。到忍坂大室之時。生尾土雲訓云具毛八十建在其室待伊那流此二字以音。故爾天神御子之命以。饗賜八十建。於是宛八十建。設八十膳夫。毎人佩刀。誨其膳夫等曰。聞歌之者。一時共斬。故明將打其土雲之歌曰。
意佐賀能。意富牟廬夜爾。比登佐波爾。岐伊理袁理。比登佐波爾。伊理袁理登母。美都美都斯。久米能古賀。久夫都都伊。伊斯都都伊母知。宇知弖斯夜麻牟。美都美都斯。久米能古良賀。久夫都都伊。伊斯都都伊母知。伊麻宇多婆余良斯
如此歌曰。拔刀一時打殺也。
然後將撃登美毘古之時。歌曰。
美都美都斯。久米能古良賀。阿波布爾波。賀美良比登母登。曾泥賀母登。曾泥米都那藝弖。宇知弖志夜麻牟
又歌曰。
美都美都斯。久米能古良賀。加岐母登爾。宇惠志波士加美。久知比比久。和禮波和須禮士。宇知弖斯夜麻牟
又歌曰。
加牟加是能。伊勢能宇美能。意斐志爾。波比母登富呂布。志多陀美能。伊波比母登富理。宇知弖志夜麻牟
又撃兄師木、弟師木之時。御軍暫疲。爾歌曰。
多多那米弖。伊那佐能夜麻能。許能麻用母。伊由岐麻毛良比。多多加閇婆。和禮波夜惠奴。志麻都登理。宇加比賀登母。伊麻須氣爾許泥
故爾迩藝速日命參赴。白於天神御子。聞天神御子天降坐故。追參降來。即獻天津瑞以仕奉也。故迩藝速日命娶登美毘古之妹。登美夜毘賣。生子。宇麻志麻遲命此者物部連、穗積臣、臣祖也故如此言向平和荒夫琉神等夫琉二字以音退撥不伏之人等而。坐畝火之白梼原宮。治天下也。
故坐日向時。娶阿多之小椅君妹。名阿比良比賣自阿以下五字以音生子。多藝志美美命。次岐須美美命。二柱坐也。然更求爲大后之美人時。大久米命曰。此間有媛女。是謂神御子。其所以謂神御子者。三嶋湟咋之女。名勢夜陀多良比賣。其容姿麗美。故美和之大物主神見感而。其美人爲大便之時。化丹塗矢。自其爲大便之溝流下。突其美人之富登此二字以音。下效此爾其美人驚而。立走伊須須岐伎此五字以音乃將來其矢。置於床邊忽成麗壯夫即娶其美人生子。名謂富登多多良伊須須岐比賣命。亦名謂比賣多多良伊須氣余理比賣是者惡其富登云事後改名也故是以謂神御子也。
於是七媛女遊行於高佐士野佐士二字以音伊須氣余理比賣在其中。爾大久米命見其伊須氣余理比賣而。以歌白於天皇曰。
  夜麻登能。多加佐士怒袁。那那由久。袁登賣杼母。多禮袁志摩加牟
爾伊須氣余理比賣者立其媛女等之前。乃天皇見其媛女等而。御心知伊須氣余理比賣立於最前以歌答曰。
  賀都賀都母。伊夜佐岐陀弖流。延袁斯麻加牟
爾大久米命以天皇之命。詔其伊須氣余理比賣之時。見其大久米命黥利目而。思奇歌曰。
  阿米都都。知杼理麻斯登登。那杼佐祁流斗米
爾大久米命答歌曰。
  袁登賣爾。多陀爾阿波牟登。和加佐祁流斗米
故其孃子白之仕奉也。於是其伊須氣余理比賣命之家在狹井河之上。天皇幸行其伊須氣余理比賣之許。一宿御寢坐也其河謂佐韋河由者。於其河邊山由理草多在。故取其山由理草之名號佐韋河也山由理草之本名云佐韋也後其伊須氣余理比賣參入宮内之時。天皇御歌曰。
  阿斯波良能。志祁志岐袁夜迩。須賀多多美。伊夜佐夜斯岐弖。和賀布多理泥斯
然而阿禮坐之御子名。日子八井命。次神八井耳命。次神沼河耳命。三柱故天皇崩後。其庶兄當藝志美美命娶其嫡后伊須氣余理比賣之時。將殺其三弟而謀之間。其御祖伊須氣余理比賣患苦而。以歌令知其御子等。歌曰。
  佐韋賀波用。久毛多知和多理。宇泥備夜麻。許能波佐夜藝奴。加是布加牟登須
又歌曰。
 宇泥備夜麻。比流波久毛登韋。由布佐禮婆。加是布加牟登曾。許能波佐夜牙流
於是其御子聞知而驚。乃爲將殺當藝志美美之時。神沼河耳命。曰其兄神八井耳命。那泥此二字以音汝命。持兵入而。殺當藝志美美。故持兵入以將殺之時。手足和那那岐弖此五字以音不得殺。故爾其弟神沼河耳命乞取其兄所持之兵。入殺當藝志美美。故亦稱其御名謂建沼河耳命。爾神八井命讓弟建沼河耳命曰。吾者不能殺仇。汝命既得殺仇。故吾雖兄。不宜爲上。是以汝命爲上。治天下。僕者扶汝命。爲忌人而仕奉也。故其日子八井命者茨田連。手嶋連之祖神八井耳命者意富臣。小子部連、坂合部連、火君、大分君、阿蘇君、筑紫三家連、雀部臣、雀部造、小長谷造、都祁直、伊余國造、科野國造、道奧石城國造、常道仲國造、長狹國造、伊勢船木直、尾張丹波臣、嶋田臣等之祖也神沼河耳命者。治天下也。凡此神倭伊波禮毘古天皇御年壹佰參拾漆歳。御陵在畝火山之北方白梼尾上也。神沼河耳命坐葛城高岡宮。治天下也。此天皇。娶師木縣主之祖。河俣毘賣。生御子。師木津日子玉手見命一柱天皇御年肆拾伍歳。御陵在衝田岡也。師木津日子玉手見命坐片鹽浮穴宮治天下也。此天皇。娶河俣毘賣之兄縣主波延之女。阿久斗比賣。生御子。常根津日子伊呂泥命自伊下三字以音次大倭日子友命。次師木津日子命。此天皇之御子等并三柱之中。大倭日子友命者。治天下。次師木津日子命之子二王坐。一子孫者伊賀須知之稻置、那婆理之稻置。三野之稻置之祖一子和知都美命者坐淡道之御井宮。故此王有二女。兄名蝿伊呂泥。亦名意富夜麻登久迩阿禮比賣命。弟名蝿伊呂杼也。天皇御年肆拾玖歳。御陵在畝火山之美富登也。大倭日子友命。坐輕之境岡宮。治天下也。此天皇。娶師木縣主之祖。賦登麻和訶比賣命。亦名飯日比賣命。生御子。御眞津日子訶惠志泥命自訶下四字以音次多藝志比古命二柱故御眞津日子訶惠志泥命者。治天下也。次當藝志比古命者血沼之別。多遲麻之竹別、葦井之稻置之祖天皇御年肆拾伍歳。御陵在畝火山之眞名子谷上也。御眞津日子訶惠志泥命坐葛城掖上宮。治天下也。此天皇。娶尾張連之祖奧津余曾之妹。名余曾多本毘賣命。生御子。天押帶日子命。次大倭帶日子國押人命二柱故弟帶日子國忍人命者。治天下也。兄天押帶日子命者春日臣。大宅臣、粟田臣、小野臣、柿本臣。壹比韋臣、大坂臣、阿那臣、多紀臣、羽栗臣、知多臣、牟邪臣、都怒山臣、伊勢飯高君、壹師君、近淡海國造之祖也天皇御年玖拾參歳。御陵在掖上博多山上也。大倭帶日子國押人命坐葛城室之秋津嶋宮。治天下也。此天皇。娶姪忍鹿比賣命。生御子。大吉備諸進命。次大倭根子日子賦斗迩命二柱。自賦下三字以音故大倭根子日子賦斗迩命者。治天下也。天皇御年壹佰貳拾參歳。御陵在玉手岡上也。大倭根子日子賦斗迩命坐黒田廬戸宮。治天下也。此天皇。娶十市縣主之祖。大目之女。名細比賣命。生御子。大倭根子日子國玖琉命一柱。玖琉二字以音又娶春日之千千速眞若比賣。生御子。千千速比賣命一柱又娶意富夜麻登玖迩阿禮比賣命。生御子。夜麻登登母母曾毘賣命。次日子刺肩別命。次比古伊佐勢理毘古命。亦名大吉備津日子命。次倭飛羽矢若屋比賣四柱又娶其阿禮比賣命之弟。繩伊呂杼生御子。日子寤間命。次若日子建吉備津日子命二柱此天皇之御子等并八柱男王五。女王三故大倭根子日子國玖琉命者。治天下也。大吉備津日子命與若建吉備津日子命。二柱相副而。於針間氷河之前居忌瓮而。針間爲道口以言向和吉備國也。故此大吉備津日子命吉備上道臣之祖次若日子建吉備津日子命者吉備下道臣。笠臣祖次日子寤間命者針間牛鹿之祖也次日子刺肩別命者高志之利波臣、豐國之國前臣、五百原君、角鹿海直之祖也天皇御年壹佰陸歳。御陵在片岡馬坂上也。大倭根子日子國玖琉命坐輕之堺原宮。治天下也。此天皇。娶穗積臣等之祖内色許男命色許二字以音。下效此妹。内色許賣命。生御子。大毘古命。次少名日子建猪心命。次若倭根子日子大毘毘命。三柱又娶内色許男命之女。伊賀迦色許賣命生御子。比古布都押之信命自比至都以音又娶河内青玉之女。名波迩夜須毘賣。生御子。建波迩夜須毘古命一柱此天皇之御子等并五柱。故若倭根子日子大毘毘命者。治天下也。其兄大毘古命之子。建沼河別命者阿倍臣等之祖次比古伊那許志別命自比至志六字以音。此者膳臣之祖也比古布都押之信命娶尾張連等之祖意富那毘之妹。葛城之高千那毘賣那毘二字以音生子。味師内宿禰此者山代内臣之祖也又娶木國造之祖宇豆比古之妹。山下影日賣。生子。建内宿禰。此建内宿禰之子并九男七。女二波多八代宿禰者波多臣。林臣。波美臣、星川臣、淡梅臣。長谷部君之祖也次許勢小柄宿禰者許勢臣。雀部臣、輕部臣之祖也次蘇賀石河宿禰者蘇我臣、川邊臣田中臣高向臣、小治田臣、櫻井臣、岸田臣等之祖也次平群都久宿禰者平群臣。佐和良臣、馬御連等祖也次木角宿禰者木臣。都奴臣。坂本臣之祖次久米能摩伊刀比賣。次怒能伊呂比賣。次葛城長江曾都毘古者玉手臣、的臣、生江臣、阿藝那臣等之祖也又若子宿禰江野財臣之祖此天皇御年伍拾漆歳。御陵在劍池之中岡上若倭根子日子大毘毘命。坐春日之伊邪河宮。治天下也。此天皇。娶旦波之大縣主。名由碁理之女。竹野比賣。生御子。比古由牟須美命一柱此王名以音又娶庶母伊賀迦色許賣命。生御子。御眞木入日子印惠命印惠二字以音次御眞津比賣命二柱又娶丸迩臣之祖日子國意祁都命之妹。意祁都比賣命意祁都三字以音生御子。日子坐王一柱又娶葛城之垂見宿禰之女。比賣。生御子。建豐波豆羅和氣一柱。自波下五字以音比天皇之御子等并五柱男王四女王一故御眞木入日子印惠命者。治天下也。其兄比古由牟須美王之子。大筒木垂根王。次讚岐垂根王三王。讚岐二字以音此二王之女五柱坐也。次日子坐王。娶山代之荏名津比賣。亦名苅幡戸辨此一字以音生子。大俣王。次小俣王。次士夫美宿禰王三柱又娶春日建國勝戸賣之女。名沙本之大闇見戸賣。生子。沙本毘古王。次袁邪本王。次沙本毘賣命。亦名佐波遲比賣此沙本毘賣命者爲伊久米天皇之后。自沙本毘古以下三王名皆以音次室毘古王四柱又娶近淡海之御上祝以伊都久此三字以音天之御影神之女。息長水依比賣。生子。丹波比古多多須美知能宇斯王此王名以音次水穗之眞若王。次神大根王。亦名八瓜入日子王。次水穗五百依比賣。次御井津比賣五柱又娶其母弟袁祁都比賣命。生子。山代之大筒木眞若王。次比古意須王。次伊理泥王三柱此二王名以音凡日子坐王之子并十一王。故兄大俣王之子。曙立王。次菟上王二柱此曙立王者伊勢之品遲部君、伊勢之佐那造之祖菟上王者比賣陀君之祖次小俣王者當麻勾君之祖
次志夫美宿禰王者佐佐君之祖也次沙本毘古王者日下部連、甲斐國造之祖次袁邪本王者葛野之別、近淡海蚊野之別祖也次室毘古王者若狹之耳別之祖其美知能宇志王。娶丹波之河上之摩須郎女生子。比婆須比賣命。次眞砥野比賣命。次弟比賣命。次朝廷別王四柱此朝廷別王者三川之穗別之祖此美知能宇斯王之弟。水穗眞若王者近淡海之安直之祖次神大根王者三野國之本巣國造。長幡部連之祖次山代之大筒木眞若王。娶同母弟伊理泥王之女。母泥能阿治佐波毘賣。生子。迦迩米雷王迦迩米三字以音此王。娶丹波之遠津臣之女。名高材比賣。生子。息長宿禰王。此王。娶葛城之高額比賣。生子。息長帶比賣命。次虚空津比賣命。次息長日子王三柱。此王者吉備品遲君、針間阿宗君之祖又息長宿禰王。娶河俣稻依毘賣。生子。大多牟坂王多牟二字以音。此者多遲摩國造之祖也上所謂建豐波豆羅和氣王者道守臣。忍海部造、御名部造、稻羽忍海部、丹波之竹野別、依網之阿毘古等等之祖也天皇御年陸拾參歳。御陵在伊邪河之坂上也。御眞木入日子印惠命坐師木水垣宮。治天下也。此天皇。娶木國造。名荒河刀辨之女刀辨二字以音遠津年魚目目微比賣生御子。豐木入日子命。次豐入日賣命二柱又娶尾張連之祖。意富阿麻比賣生御子。大入杵命。次八坂之入日子命。次沼名木之入日賣命。次十市之入日賣命四柱又娶大毘古命之女。御眞津比賣命。生御子。伊玖米入日子伊沙知命伊玖米伊沙知六字以音次伊邪能眞若命自伊至能以音次國片比賣命。次千千都久和此三字以音比賣命。次伊賀比賣命。次倭日子命六柱此天皇之御子等并十二柱男王七。女王五也故伊久米伊理毘古伊佐知命者。治天下也。次豐木入日子命者上毛野君。下毛野君等之祖也妹豐[金且]比賣命拜祭伊勢大神之宮也次大入杵命者能登臣之祖也次倭日子命此王之時始而於陵立入垣此天皇之御世。疫病多起。人民爲盡。爾天皇愁歎而。坐神牀之夜。大物主大神顯於御夢曰。是者我之御心。故以意富多多泥古而令祭我前者。神氣不起。國安平。是以驛使班于四方。求謂意富多多泥古人之時。於河内之美努村見得其人貢進。爾天皇問賜之汝者誰子也。答曰。僕者大物主大神娶陶津耳命之女。活玉依毘賣。生子。名櫛御方命之子。飯肩巣見命之子。建甕槌命之子。僕意富多多泥古白。於是天皇大歡以詔之天下平。人民榮。即以意富多多泥古命爲神主而。於御諸山拜祭意富美和之大神前。又仰伊迦賀色許男命作天之八十毘羅訶此三字以音定奉天神地祇之社。又於宇陀墨坂神祭赤色楯矛。又於大坂神祭黒色楯矛。又於坂之御尾神及河瀬神。悉無遺忘以奉幣幣也。因此而疫氣悉息。國家安平也。此謂意富多多泥古人所以知神子者。上所云活玉依毘賣。其容姿端正。於是有神壯夫。其形姿威儀於時無比。夜半之時。忽到來。故相感。共婚供住之間。未經幾時。其美人妊身。爾父母怪其妊身之事。問其女曰。汝者自妊。無夫何由妊身乎。答曰。有麗美壯夫不知其姓名。毎夕到來。供住之間。自然懷妊。是以其父母欲知其人。誨其女曰。以赤土散床前以閇蘇此二字以音紡麻貫針。刺其衣襴。故如教而旦時見者。所著針麻者自戸之鉤穴控通而出。唯遺麻者三勾耳。爾即知自鉤穴出之状而。從糸尋行者。至美和山而。留神社。故知其神子。故因其麻之三勾遺而。名其地謂美和也此意富多多泥古命者。神君鴨君之祖又此之御世。大毘古命者遣高志道。其子建沼河別命者遣東方十二道而。令和平其麻都漏波奴自麻下五字以音人等。又日子坐王者遣旦波國。令殺玖賀耳之御笠此人名也。玖賀二字以音故大毘古命罷往於高志國之時。服腰裳少女立山代之幣羅坂而歌曰。
 古波夜。美麻紀伊理毘古波夜。美麻紀伊理毘古波夜。意能賀袁袁。奴須美斯勢牟登。斯理都斗用。伊由岐多賀比。麻幣都斗用。伊由岐多賀比。宇迦迦波久。斯良爾登。美麻紀伊理毘古波夜
於是大毘古命思怪返馬。問少女日。汝所謂之言何言。爾少女答曰。吾勿言。唯爲詠歌耳。即不見。其所如而忽失。故大毘古命。更還參上。請於天皇時。天皇答詔之。此者爲在山代國我之庶兄建波迩安王。起邪心之表耳。波迩二字以音伯父興軍宜行。即副丸迩臣之祖。日子國夫玖命而遣時。即於丸迩坂居忌瓮而罷往。於是到山代之和訶羅河時。其建波迩安王興軍待遮。各中挾河而。對立相挑。故號其地謂伊杼美謂伊豆美也。爾日子國夫玖命乞云。其廂人先忌矢可彈。爾其建波爾安王雖射不得中。於是國夫玖命彈矢者。即射建波爾安王而死。故其軍悉破而逃散。爾追迫其逃軍到久須婆之度時。皆被迫窘而。屎出懸於褌。故號其地謂屎褌今者謂久須婆又遮其逃軍以斬者。如鵜浮於河。故號其河謂鵜河也。亦斬波布理其軍士。故號其地謂波布理曾能自波下五字以音如此平訖。參上覆奏。故大毘古命者隨先命而。罷行高志國。爾自東方所遣建沼河別與其父大毘古共。往遇于相津。故其地謂相津也。是以各和平所遣之國政而覆奏。爾天下太平。人民富榮。於是初令貢男弓端之調。女手末之調。故稱其御世。謂下所知初國之御眞木天皇也。又是之御世。作依網池。亦作輕之酒折池也。天皇御歳壹佰陸拾捌歳。御陵在山邊道勾之岡上也。伊久米伊理毘古伊佐知命。坐師木玉垣宮。治天下也。此天皇。娶沙本毘古命之妹。佐波遲比賣命。生御子。品牟都和氣命一柱又娶旦波比古多多須美知宇斯王之女。氷羽州比賣命。生御子。印色之入日子命印色二字以音次大帶日子淤斯呂和氣命自淤至氣五字以音次大中津日子命。次倭比賣命。次若木入日子命五柱又娶其氷羽州比賣命之弟。沼羽田之入毘賣命。生御子。沼帶別命。次伊賀帶日子命二柱又娶其沼羽田之入日賣命之弟。阿邪美能伊理毘賣命此女王名以音生御子。伊許婆夜和氣命。次阿邪美都比賣命二柱。此二王名以音又娶大筒木垂根王之女。迦具夜比賣命。生御子。袁那辨王一柱又娶山代大國之淵之女。苅羽田刀辨此二字以音生御子。落別王。次五十日帶日子王。次伊登志別王伊登志三字以音又娶其大國之淵之女。弟苅羽田刀辨生御子。石衝別王。次石衝毘賣命。亦名布多遲能伊理毘賣命二柱凡此天皇之御子等十六王男王十三女王三故大帶日子淤斯呂和氣命者。治天下也御身長一丈二寸御脛長四尺一寸也次印色入日子命者作血沼池。又作狹山池。又作日下之高津池。又坐鳥取之河上宮。令作横刀壹仟口是奉納石上神宮。即坐其宮定河上部也。次大中津日子命者山邊之別三枝之別、稻木之別、阿太之別、尾張國之三野別、吉備之石无別許呂母之別、高巣鹿之別、飛鳥君、牟禮之別等祖也次倭比賣命者拜祭伊勢大神宮也次伊許婆夜和氣王者沙本穴太部之別祖也次阿邪美都比賣命者嫁稻瀬毘古王次落別王者小月之山君三川之衣君之祖也次五十日帶日子王者春日山君。高志池君、春日部君之祖次伊登志和氣王者因無子而爲子代定伊登志部次石衝別王者羽咋君三尾君之祖次布多遲能伊理毘賣命者倭建命之后。此天皇以沙本毘賣爲后之時。沙本毘賣命之兄沙本毘古王問其伊呂妹日。孰愛夫與兄歟。答曰愛兄。爾沙本毘古王謀日。汝寔思愛我者。將吾與汝治天下而。即作八鹽折之紐小刀授其妹曰。以此小刀刺殺天皇之寢。故天皇不知其之謀而。枕其后之御膝爲御寢坐也。爾其后以紐小刀爲刺其天皇之御頚三度擧而。不忍哀情。不能刺頚而。泣涙落溢於御面。乃天皇驚起。問其后曰。吾見異夢。從沙本方暴雨零來。急洽吾面。又錦色小蛇纏繞我頚。如此之夢。是有何表也。爾其后以爲不應爭。即白天皇言。妾兄沙本毘古王問妾日。孰愛夫與兄。是不勝面問故。妾答曰愛兄歟。爾誂妾日。吾與汝共治天下。故當殺天皇云而。作八鹽折之紐小刀授妾。是以欲刺御頚雖三度擧。哀情忽起。不得刺頚而。泣涙落洽於御面。必有是表焉。爾天皇詔之。吾殆見欺乎。乃興軍撃沙本毘古王之時。其王作稻城以待戰。此時沙本毘賣命不得忍其兄自後門逃出而。納其之稻城。此時其后妊身。於是天皇不忍其后懷妊。及愛重至于三年。故迴其軍不急攻迫。如此逗留之間。其所妊之御子既産。故出其御子置稻城外。令白天皇若此御子矣天皇之御子所思看者。可治賜。於是天皇詔。雖怨其兄猶不得忍愛其后。故即有得后之心。是以選聚軍士之中力士輕捷而。宣者。取其御子之時。乃掠取其母王。或髮或手。當隨取獲而掬以控出。爾其后豫知其情悉剃其髮。以髮覆其頭亦腐玉緒三重纏手。且以酒腐御衣。如全衣服。如此設備而。抱其御子刺出城外。爾其力士等取其御子即握其御祖爾握其御髮者。御髮自落。握其御手者。玉緒且絶。握其御衣者。御衣便破。是以取獲其御子。不得其御祖。故其軍士等還來奏言。御髮自落。御衣易破。亦所纏御手之玉緒便絶。故不獲御祖。取得御子。爾天皇悔恨而。惡作玉人等皆奪取地。故諺曰不得地玉作也。亦天皇命詔其后言。凡子名必母名。何稱是子之御名。爾答白。今當下火燒稻城之時而。火中所生。故其御名宜稱本牟智和氣御子。又命詔。何爲日足奉。答白。取御母定大湯坐、若湯坐。宜日足奉。故隨其后白以。日足奉也。又問其后曰。汝所堅之美豆能小佩者誰解美豆能三字以音也答白。旦波比古多多須美智宇斯王之女。名兄比賣、弟比賣。茲二女王淨公民。故宜使也。然遂殺其沙本比古王。其伊呂妹亦從也。故率遊其御子之状者。在於尾張之相津二俣榲作二俣小舟而。持上來以。浮倭之市師池、輕池。率遊其御子。然是御子八拳鬚至于心前眞事登波受此三字以音故今聞高往鵠之音始爲阿藝登比自阿下四字以音爾遣山邊之大此者人名令取其鳥。故是人追尋其鵠自木國到針間國。亦追越稻羽國即到旦波國、多遲麻國。追迴東方。到近淡海國。乃越三野國自尾張國傳以追科野國。遂追到高志國而。於和那美之水門張網。取烏而持上獻。故號其水門謂和那美之水門也。亦見其烏者。於思物言而。如思爾勿言事。於是天皇患賜而御寢之時。覺于御夢日。修理我宮如天皇之御舍者。御子必眞事登波牟自登下三字以音如此覺時。布斗摩迩迩占相而。求何神之心爾祟出雲大神之御心。故其御子令拜其大神宮將遣之時。令副誰人者吉。爾曙立王食ト。故科曙立王令宇氣比白宇氣此三字以音因拜此大神誠有驗者。住是鷺巣池之樹鷺乎。宇氣比落。如此詔之時。宇氣比其鷺墮地死。又詔之宇氣比活。爾者更活。又在甜白梼之前葉廣熊白梼令宇氣比枯。亦令宇氣比生。爾名賜其曙立王。謂倭者師木登美豐朝倉曙立王登美二字以音即曙立王、菟上王。二王副其御子遣時。自那良戸遇跛盲自大坂戸亦遇跛、盲。唯木戸是腋月之吉戸ト而。出行之時。毎到坐地定品遲部也。故到於出雲拜訖大神還上之時。肥河之中作黒[木巣]橋仕奉假宮而坐。爾出雲國造之祖。名岐比佐都美。餝青葉山而。立其河下將獻大御食之時。其御子詔言。是於河下如青葉山者。見山非山。若坐出雲之石之曾宮。葦原色許男大神以伊都玖之祝大廷乎。問賜也。爾所御伴王等聞歡見喜而。御子者坐檳榔之長穗宮而。貢上驛使。爾其御子一宿婚肥長比賣。故竊伺其美人者。蛇也。即見畏遁逃。爾其肥長比賣患。光海原自船追來故。益見畏以。自山多和此二字以音引越御船逃上行也。於是覆奏言。因拜太神大御子物詔。故參上來。故天皇歡喜。即返菟上王令造神宮。於是天皇因其御子定鳥取部、鳥甘部、品遲部、大湯坐、若湯坐。又隨其后之白喚上美知能宇斯王之女等。比婆須比賣命。次弟比賣命。次歌凝比賣命。次圓野比賣命。并四柱。然留比婆須比賣命、弟比賣命二柱而。其弟王二柱者。因甚凶醜。返送本土。於是圓野比賣慚言。同兄弟之中。以姿醜被還之事。聞於隣里。是甚慚而。到山代國之相樂時。取懸樹枝而欲死。故號其地謂懸木。今云相樂。又到弟國之時。遂墮峻淵而死。故號其地謂墮國。今云弟國也。又天皇以三宅連等之祖。名多遲麻毛理遣常世國。令求登岐士玖能迦玖能木實自登下八字以音故多遲摩毛理遂到其國。採其木實。以縵八縵、矛八矛將來之間。天皇既崩。爾多遲摩毛理分縵四縵、矛四矛獻于太后以縵四縵、矛四矛獻置天皇之御陵戸而。其木實叫哭以白。常世國之登岐士玖能迦玖能木實持參上侍。遂叫哭死也。其登岐士玖能迦玖能木實者。是今橘者也。此天皇御年壹佰伍拾參歳。御陵在菅原之御立野中也。又其大后比婆須比賣命之時。定石祝作又定土師部。此后者葬狹木之寺間陵也。大帶日子淤斯呂和氣天皇坐纏向之日代宮。治天下也。此天皇。娶吉備臣等之祖。若建吉備津日子之女。名針間之伊那毘能大郎女生御子。櫛角別王。次大碓命。次小碓命。亦名倭男具那命具那二字以音次倭根子命。次神櫛王五柱。又娶八尺入日子命之女。八坂之入日賣命。生御子。若帶日子命。次五百木之入日子命。次押別命。次五百木之入日賣命。又妾之子。豐戸別王。次沼代郎女。又妾之子。沼名木郎女。次香余理比賣命。次若木之入日子王。次吉備之兄日子王。次高木比賣命。次弟比賣命。又娶日向之美波迦斯毘賣。生御子。豐國別王。又娶伊那毘能大郎女之弟。伊那毘能若郎女自伊下四字以音生御子。眞若王。次日子人之大兄王。又娶倭建命之曾孫。名須賣伊呂大中日子王自須至呂四字以音之女。訶具漏比賣。生御子大枝王凡此大帶日子天皇之御子等所録廿一王。不入記五十九王。并八十王之中。若帶日子命與倭建命亦五百木之入日子命。此三王負太子之名。自其餘七十七王者悉別賜國國之國造。亦和氣。及稻置、縣主也。故若帶日子命者。治天下也。小碓命者平東西之荒神。及不伏人等也。次櫛角別王者茨田下連等之祖次大碓命者守君。大田君。嶋田君之祖次神櫛王者木國之酒部阿比古、宇陀酒部之祖次豐國別王者日向國造之祖於是天皇聞看定三野國造之祖。神大根王之女。名兄比賣、弟比賣二孃子。其容姿麗美而。遣其御子大碓命以喚上。故其所遣大碓命勿召上而。即己自婚其孃子。更求他女人。詐名其孃女而貢上。於是天皇知其他女。恆令經長眼亦勿婚而惚也。故其大碓命娶兄比賣。生子。押黒之兄日子王此者三野宇泥須和氣之祖亦娶弟比賣。生子。押黒弟日子王此者牟宜都君等之祖此之御世定田部。又定東之淡水門。又定膳之大伴部。又定倭屯家。又作坂手池。即竹植其堤也。天皇詔小碓命尹何汝兄於朝夕之大御食不參出來。專汝泥疑教覺泥疑二字以音。下效此如此詔以後。至于五日。猶不參出。爾天皇問賜小碓命。何汝兄久不參出。若有未誨乎。答白。既爲泥疑也。又詔。如何泥疑之。答白。朝曙入厠之時。持捕[才益]批而。引闕其枝裹薦投棄。於是天皇惶其御子之建荒之情而。詔之。西方有熊曾建二人。是不伏无禮人等。故取其人等而遣。當此之時。其御髮結額也。爾小碓命給其姨倭比賣命之御衣御裳。以劍納于御懷而幸行。故到于熊曾建之家見者。於其家邊軍圍三重作室以居。於是言動爲御室樂設備食物。故遊行其傍待其樂日。爾臨其樂日如童女之髮梳垂其結御髮。服其姨之御衣御裳既成童女之姿。交立女人之中入坐其室内。爾熊曾建兄弟二人見感其孃子。坐於己中而盛樂。故臨其酣時。自懷出劍。取熊曾之衣衿。以劍自其胸刺通之時。其弟建見畏逃出。乃追至其室之椅本中取其背皮劍自尻刺通。爾其熊曾建白言。莫動其刀。僕有白言。爾暫許押伏。於是白言。汝命者誰。爾詔吾者坐纏向之日代宮。所知大八嶋國大帶日子淤斯呂和氣天皇之御子。名倭男具那王者也。意禮熊曾建二人不伏無禮聞看而。取殺意禮詔而遣。爾其熊曾建。白信然也。於西方除吾二人。無建強人。然於大倭國益吾二人而建男者坐祁理。是以吾獻御名。自今以後。應稱倭建御子。是事白訖。即如熟瓜振折而殺也。故自其時稱御名謂倭建命。然而還上之時。山神。河神。及穴戸神。皆言向和而參上。即入坐出雲國。欲殺其出雲建而。到即結友。故竊以赤梼作詐刀。爲御佩。共沐肥河。爾倭建命自河先上。取佩出雲建之解置横刀而。詔爲易刀。故後出雲建自河上而。佩倭建命之詐刀。於是倭建命誂云伊奢合刀。爾各拔其刀之時。出雲建不得拔詐刀。即倭建命拔其刀而。打殺出雲建。爾御歌曰。
  夜都米佐須。伊豆毛多祁流賀。波祁流多知。都豆良佐波麻岐。佐味那志爾阿波禮
故如此撥治。參上覆奏。爾天皇亦頻詔倭建命。言向和平東方十二道之荒夫琉神。及摩都樓波奴人等而。副吉備臣等之祖。名御友耳建日子而。遣之時。給比比羅木之八尋矛比比羅三字以音故受命罷行之時。參入伊勢大御神宮。拜神朝廷。即白其姨倭比賣命者。天皇既所以思吾死乎。何撃遣西方之惡人等而。返參上來之間。未經幾時。不賜軍衆。今更平遣東方十二道之惡人等。因此思惟。猶所思看吾既死焉。患泣罷時。倭比賣命賜草那藝劍那藝二字以音亦賜御嚢而詔。若有急事。解茲嚢口。故到尾張國。入坐尾張國造之祖。美夜受比賣之家。乃雖思將婚。亦思還上之時將婚。期定而幸于東國。悉言。向和平山河荒神。及不伏人等。故爾到相武國之時。其國造詐白。於此野中有大沼。住是沼中之神。甚道速振神也。於是看行其神入坐其野。爾其國造火著其野。故知見欺而。解開其姨倭比賣命之所給嚢口而見者。火打有其嚢。於是先以其御刀苅撥草。以其火打而打出火。著向火而燒退。還出皆切滅其國造等。即著火燒。故其地者於今謂燒遣也。自其入幸。渡走水海之時。其渡神興浪廻船。不得進渡。爾其后。名弟橘比賣命白之。妾易御子而入海。御子者所遣之政遂。應覆奏。將入海時。以菅疊八重、皮疊八重、疊八重敷于波上而。下坐其上。於是其暴浪自伏。御船得進。爾其后歌曰。
 佐泥佐斯。佐賀牟能袁怒迩。毛由流肥能。本那迦迩多知弖。斗比斯岐美波母
故七日之後。其后御櫛依于海邊。乃取其櫛。作御陵而治置也。自其入幸。悉言向荒夫琉蝦夷等。亦平和山河荒神等而。還上幸時。到足柄之坂本。於食御粮處。其坂神化白鹿而來立。爾即以其咋遺之蒜片端。待打者。中其目乃打殺也。故登立其坂。三歎。詔云阿豆麻波夜自阿下五字以音故號其國謂阿豆麻也。即自其國越出甲斐。坐酒折宮之時。歌曰。
  迩比婆理。都久波袁須疑弖。伊久用加泥都流
爾其御火燒之老人續御歌以歌曰。
  迦賀那倍弖。用迩波許許能用。比迩波登袁加袁

是以擧其老人。即給東國造也。自其國越科野國乃言向科野之坂神而。還來尾張國。入坐先日所期美夜受比賣之許。於是獻大御食之時。其美夜受比賣捧大御酒盞以獻。爾美夜受比賣其於意須比之襴意須比三字以音著月經。故見其月經御歌曰。
  比佐迦多能。阿米能迦具夜麻。斗迦麻迩。佐和多流久毘。比波煩曾。多和夜賀比那袁。麻迦牟登波。阿禮波須禮杼。佐泥牟登波。阿禮波意母閇杼。那賀祁勢流。意須比能須蘇爾。都紀多知迩祁理
爾美夜受比賣。答御歌曰。
  多迦比迦流。比能美古。夜須美斯志。和賀意富岐美。阿良多麻能。登斯賀岐布禮婆。阿良多麻能。都紀波岐閇由久。宇倍那宇倍那。岐美麻知賀多爾。和賀祁勢流。意須比能須蘇爾。都紀多多那牟余
故爾御合而。以其御刀之草那藝劍。置其美夜受比賣之許而。取伊服岐能山之神幸行。於是詔。茲山神者。徒手直取而。騰其山之時。白猪逢于山邊。其大如牛。爾爲言擧而詔。是化白猪者。其神之使者。雖今不殺。還時將殺而。騰坐。於是零大氷雨。打惑倭建命【此化白猪者。其神之使者。當其神之正身。因言擧。見惑也】故還下坐之。到玉倉部之清泉以息坐之時。御心稍寤。故號其清泉謂居寤清泉也。自其處發。到當藝野上之時。詔者。吾心恆念自虚翔行。然今吾足不得歩。成當藝斯形自當下三字以音故號其地謂當藝也。自其地差少幸行。因甚疲衝御杖稍歩。故號其地謂杖衝坂也。到坐尾津前一松之許。先御食之時。所忘其地御刀。不失猶有。爾御歌曰。
  袁波理迩。多陀迩牟迦幣流。袁都能佐岐那流。比登都麻都。阿勢袁。比登都麻都。比登迩阿理勢婆。多知波氣麻斯袁。岐奴岐勢麻斯袁。比登都麻都。阿勢袁
自其地幸。到三重村之時。亦詔之吾足如三重勾而甚疲。故號其地謂三重。自其幸行而。到能煩野之時。思國以歌曰。
  夜麻登波。久爾能麻本呂婆。多多那豆久。阿袁加岐。夜麻碁母禮流。夜麻登志宇流波斯
又歌曰。
  伊能知能。麻多祁牟比登波。多多美許母。幣具理能夜麻能。久麻加志賀波袁。宇受爾佐勢曾能古
此歌者思國歌也。又歌曰。
  波斯祁夜斯。和岐幣能迦多用。久毛韋多知久母
此者片歌也。此者御病甚急。爾御歌曰。
  袁登賣能。登許能辨爾。和賀淤岐斯。都流岐能多知。曾能多知波夜
歌竟即崩。爾貢上驛使。於是坐倭后等及御子等。諸下到而。作御陵即匍匐廻其地之那豆岐田自那下三字以音而。哭爲歌曰。
  那豆岐能。多能伊那賀良迩。伊那賀良爾。波比母登富呂布。登許呂豆良
於是化八尋白智鳥。翔天而。向濱飛行智字以音爾其后及御子等。於其小竹之苅杙雖足[足非]破。忘其痛以哭追。此時歌曰。
 阿佐士怒波良。許斯那豆牟。蘇良波由賀受。阿斯用由久那
又入其海鹽而。那豆美此三字以音行時。歌曰。
  宇美賀由氣婆。許斯那豆牟。意富迦波良能。宇惠具佐。宇美賀波。伊佐用布
又飛居其磯之時。歌曰。
  波麻都知登理。波麻用波由迦受。伊蘇豆多布
是四歌者。皆歌其御葬也。故至今其歌者歌天皇之大御葬也。故自其國飛翔行。留河内國之志幾。故於其地作御陵鎭坐也。即號其御陵謂白鳥御陵也。然亦自其地更翔天以飛行。凡此倭建命平國廻行之時。久米直之祖。名七拳脛。恆爲膳夫以從仕奉也。此倭建命娶伊玖米天皇之女。布多遲能伊理毘賣命自布下八字以音生御子。帶中津日子命一柱。又娶其入海弟橘比賣命。生御子。若建王一柱。又娶近淡海之安國造之祖意富多牟和氣之女。布多遲比賣。生御子。稻依別王一柱。又娶吉備臣建日子之妹。大吉備建比賣生御子。建貝兒王一柱。又娶山代之玖玖麻毛理比賣。生御子。足鏡別王一柱又一妻之子。息長田別王。凡是倭建命之御子等并六柱。故帶中津日子命者。治天下也。次稻依別王者犬上君。建部君等之祖次建貝兒王者讚岐綾君。伊勢之別、登袁之別、麻佐首。宮首之別等之祖足鏡別王者嫌倉之別、小津。石代之別、漁田之別之祖也次息長田別王之子。杙俣長日子王。此王之子。飯野眞黒比賣命。次息長眞若中比賣。次弟比賣三柱。故上云若建王。娶飯野眞黒比賣。生子。須賣伊呂大中日子王自須至呂以音此王。娶淡海之柴野入杵之女。柴野比賣。生子。迦具漏比賣命。故大帶日子天皇。娶此迦具漏比賣命。生子。大江王一柱。此王。娶庶妹銀王。生子。大名方王。次大中比賣命二柱。故此之大中比賣命者香坂王、忍熊王之御祖也。此大帶日子天皇之御年壹佰參拾漆歳。御陵在山邊之道上也。若帶日子天皇坐。近淡海之志賀高穴穗宮。治天下也。此天皇。娶穗積臣等之祖。建忍山垂根之女。名弟財郎女生御子。和訶奴氣王一柱。故建内宿禰爲大臣。定賜大國、小國之國造。亦定賜國國之堺。及大縣、小縣之縣主也。天皇御年玖拾伍歳。御陵在沙紀之多他那美也。帶中日子天皇坐穴門之豐浦宮。及筑紫訶志比宮。治天下也。此天皇。娶大江王之女。大中津比賣命。生御子。香坂王、忍熊王二柱又娶息長帶比賣命。是大后生御子。品夜和氣命。次大鞆和氣命。亦名品陀和氣命二柱此太子之御名所以負大鞆和氣命者。初所生時。如鞆宍生御腕故。著其御名。是以知坐腹中定國也。此之御世。定淡道之屯家也。其大后息長帶日賣命者。當時歸神。故天皇坐筑紫之訶志比宮。將撃熊曾國之時。天里控御琴而。建内宿禰大臣居於沙庭請神之命。於是大后歸神。言教覺詔者。西方有國。金銀爲本。目之炎耀種種珍寶多在其國。吾今歸賜其國。爾天皇答白。登高地見西方者。不見國土。唯有大海。謂爲詐神而。押退御琴不控默坐。爾其神大忿詔。凡茲天下者。汝非應知國。汝者向一道。於是建内宿禰大臣白。恐。我天皇。猶阿蘇婆勢其大御琴自阿至勢以音爾稍取依其御琴而。那摩那摩迩此五字以音控坐故。未幾久而。不聞御琴之音。即擧火見者。既崩訖。爾驚懼而。坐殯宮。更取國之大奴佐而奴佐二字以音種種求生剥、逆剥、阿離、溝埋、屎戸、上通下通婚、馬婚、牛婚、鷄婚、犬婚之罪類。爲國之大祓而。亦建内宿禰居於沙庭。請神之命。於是教覺之状。具如先日申凡此國者。坐汝命御腹之御子所知國者也。爾建内宿禰白。恐。我大神。坐其神腹之御子何子歟。答詔。男子也。爾具請之。今如此言教之大神者。欲知其御名。即答詔。是天照大神之御心者。亦底筒男、中筒男、上筒男三柱大神者也此時其三柱大神之御名者顯也今寔思求其國者。於天神地祇。亦山神。及河海之諸神悉奉幣帛。我之御魂坐于船上而。眞木灰納瓠。亦箸及比羅傳此三字以音多作。皆皆散浮大海以可度。故備如教覺整軍雙船度幸之時。海原之魚。不問大小悉負御船而渡。爾順風大起。御船從浪。故其御船之波瀾押騰新羅之國既到半國。於是其國王畏惶奏言。自今以後。隨天皇命而。爲御馬甘。毎年雙船。不乾船腹不乾[舟施]楫。共與天地無退仕奉。故是以新羅國者定御馬甘。百濟國者定渡屯家。爾以其御杖衝立新羅國主之門即。以墨江大神之荒御魂爲國守神而。祭鎭還渡也。故其政未竟之間。其懷妊臨産。即爲鎭御腹取石以。纏御裳之腰而。渡筑紫國其御子者阿禮坐阿禮二字以音故號其御子生地謂字美也。亦所纏其御裳之石者在筑紫國之伊斗村也。亦到坐筑紫末羅縣之玉嶌里而。御食其河邊之時。當四月之上旬。爾坐其河中之磯。拔取御裳之糸。以飯粒爲餌釣。其河之年魚其河名謂小河亦其礒名謂勝門比賣也故四月上旬之時。女人拔裳糸。以粒爲餌釣年魚。至于今不絶也。於是息長帶日賣命。於倭還上之時。因疑人心。一具喪船。御子載其喪船先令言漏之御子既崩。如此上幸之時。香坂王、忍熊王聞而。思將待取進出斗賀野爲宇氣比獵也。爾香坂王騰坐歴木而。是大怒猪出。堀其歴木。即咋食其香坂王。其弟忍熊王。不畏其態「興軍待向之時。赴喪船將攻空船。爾自其喪船下軍相戰。此時忍熊王以難波古師部之祖伊佐比宿禰爲將軍。太子御方者。以丸迩臣之祖。難波根子建振熊命爲將軍。故追退到山代之時。還立各不退相戰。爾建振熊命權而。令云息長帶日賣命者既崩故。無可更戰。即絶弓絃欺陽歸服。於是其將軍既信詐。弭弓藏兵。爾自頂髮中採出設弦一名云宇佐由豆留更張追撃。故逃退逢坂。對立亦戰。爾追迫敗。出沙沙那美悉斬其軍。於是其忍熊王與伊佐比宿禰共被追迫。乘船浮海歌曰。
  伊奢阿藝。布流玖麻賀。伊多弖淤波受波。迩本杼理能。阿布美能宇美迩。迦豆岐勢那和
即入海共死也。故建内宿禰命率其太子爲將禊而。經歴淡海及若狹國之時。於高志前之角鹿造假宮而坐。爾坐其地伊奢沙和氣大神之命。見於夜夢云。以吾名欲易御子之御名。爾言祷白之。恐。隨命易奉。亦其神詔。明日之旦。應幸於濱。獻易名之幣。故其旦幸行于濱之時。毀鼻入鹿魚既依一浦。於是御子令白于神云。於我給御食之魚。故亦稱其御名號御食津大神。故於今謂氣比大神也。亦其入鹿魚之鼻血。故號其浦謂血浦。今謂都奴賀也。於是還上坐時。其御祖息長帶日賣命。釀待酒以獻。爾其御祖御歌曰。
  許能美岐波。和賀美岐那良受。久志能加美。登許余迩伊麻須。伊波多多須。須久那美迦微能。加牟菩岐。本岐玖琉本斯。登余本岐。本岐母登本斯。麻都理許斯。美岐敍。阿佐受袁勢。佐佐
如此歌而。獻大御酒。爾建内宿禰命爲御子答歌曰。
  許能美岐袁。迦美祁牟比登波。曾能都豆美。宇須迩多弖弖。宇多比都都。迦美祁禮迦母。麻比都都。迦美祁禮加母。許能美岐能。美岐能。阿夜迩宇多陀怒斯。佐佐
此者酒樂之歌也。凡帶中津日子天皇之御年伍拾貳歳。御陵在河内惠賀之長江也。品陀和氣命。坐輕嶌之明宮。治天下也。此天皇。娶品陀眞若王品陀二字以音之女。三柱女王。一名高木之入日賣命。次中日賣命。次弟日賣命此女王等之父。品陀眞若王者五百木之入日子命。娶尾張連之祖。建伊那陀宿禰之女。志理都紀斗賣。生子者也故高木之入日賣之御子。額田大中日子命。次大山守命。次伊奢之眞若命伊奢二字以音次妹大原郎女。次高目郎女五柱中日賣命之御子。木之荒田郎女。次大雀命。次根鳥命三柱。弟日賣命之御子。阿倍郎女。次阿具知能此四字以音三腹郎女。次木之菟野郎女。次三野郎女五柱。又娶丸迩之比布禮能意富美之女自比至美以音名宮主矢河枝比賣。生御子。宇遲能和紀郎子。次妹八田若郎女。次女鳥王三柱。又娶其矢河枝比賣之弟。袁那辨郎女生御子。宇遲之若郎女一柱。又娶咋俣長日子王之女。息長眞若中比賣。生御子。若沼毛二俣王一柱。又娶櫻井田部連之祖嶌垂根之女。糸井比賣。生御子。速總別命一柱又娶日向之泉長比賣。生御子。大羽江王。次小羽江王。次幡日之若郎女三柱又娶迦具漏比賣。生御子。川原田郎女。次玉郎女。次忍坂大中比賣。次登富志郎女。次迦多遲王五柱又娶葛城之野伊呂賣此三字以音生御子。伊奢能麻和迦王一柱。此天皇之御子等并廿六王男王十一。女王十五此中大雀命者。治天下也。於是天皇。問大山守命與大雀命詔。汝等者孰愛兄子與弟子天皇所以發是問者。宇遲能和紀郎子有令治天下之心也。爾大山守命白愛兄子。次大雀命知天皇所問賜之大御情而白。兄子者既成人。是無悒。弟子者未成人。是愛。爾天皇詔。佐邪岐。阿藝之言自佐至藝五字以音如我所思。即詔別者。大山守命。爲山海之政。大雀命。執食國之政以白賜。宇遲能和紀郎子。所知天津日繼也。故大雀命者。勿違天皇之命也。一時天皇越幸近淡海國之時。御立宇遲野上。望葛野。歌曰。
  知婆能。加豆怒袁美禮婆。毛毛知陀流。夜迩波母美由。久爾能富母美由
故引坐木幡村之時。麗美孃子遇其道衢。爾天皇問其孃子曰。汝者誰子。答白。丸迩之比布禮能意富美之女。名宮主矢河枝比賣。天皇即詔其孃子。吾明日還幸之時。入坐汝家。故矢河枝比賣委曲語其父。於是父答曰。是者天皇坐那理此二字以音恐之。我子仕奉云而。嚴餝其家候待者。明日入坐。故獻大御饗之時。其女矢河枝比賣命令取大御酒盞而獻。於是天阜任令取其大御酒盞而。御歌曰。
  許能迦迩夜。伊豆久能迦迩。毛毛豆多布。都奴賀能迦迩。余許佐良布。伊豆久迩伊多流。伊知遲志麻。美志麻迩斗岐。美本杼理能。迦豆伎伊岐豆岐。志那陀由布。佐佐那美遲袁。酒久酒久登。和賀伊麻勢婆夜。許波多能。美知迩。阿波志斯袁登賣。宇斯呂傳波。袁陀弖呂迦母。波那美波。志比比斯那須。伊知比韋能。和迩佐能迩袁。波都迩波。波陀阿可良氣美。志波迩波。迩具漏岐由惠。美都具理能。曾能那迦都迩袁。加夫都久。麻肥迩波阿弖受。麻用賀岐。許迩加岐多禮。阿波志斯袁美那。迦母賀登。和賀美斯古良。迦久母賀登。阿賀美斯古迩。宇多多氣陀迩。牟迦比袁流迦母。伊蘇比袁流迦母
如此御合生御子。宇遲能和紀自宇下五字以音郎子也。天皇聞看日向國諸縣君之女。名髮長比賣。其顏容麗美。將使而。喚上之時。其太子大雀命。見其孃子泊于難波津而。感其姿容之端正。即誂告建内宿禰大臣。是自日向喚上之髮長比賣者。請白天皇之大御所而。令賜於吾。爾建内宿禰大臣請大命者。天皇即以髮長比賣賜于其御子。所賜状者。天皇聞看豐明之日。於髮長比賣令握大御酒柏。賜其太子。爾御歌曰。
  伊邪古杼母。怒毘流都美迩。比流都美迩。和賀由久美知能。迦具波斯。波那多知婆那波。本都延波。登理韋賀良斯。支豆延波。比登登理賀良斯。美都具理能。那迦都延能。本都毛理。阿加良袁登賣袁。伊邪佐佐婆。余良斯那
又御歌曰。
  美豆多麻流。余佐美能伊氣能。韋具比宇知。比斯賀良能。佐斯祁流斯良迩。奴那波久理。波閇祁久斯良迩。和賀許許呂志敍。伊夜袁許迩斯弖。伊麻敍久夜斯岐
如此歌而賜也。故被賜其孃子之後。太子歌曰。
  美知能斯理。古波陀袁登賣袁。迦微能碁登。岐許延斯迦杼母。阿比麻久良麻久
又歌曰。
 美知能斯理。古波陀袁登賣波。阿良蘇波受。泥斯久袁斯敍母。宇流波志美意母布
又吉野之國主等。瞻大雀命之所佩御刀歌曰。
  本牟多能。比能美古。意富佐邪岐。意富佐邪岐。波加勢流多知。母登都流藝。須惠布由。布由紀能。須加良賀志多紀能。佐夜佐夜
又於告野之白梼上作横臼而。於其横臼釀大御酒。獻其大御酒之時。撃口鼓爲伎而。歌曰。
  加志能布迩。余久須袁都久理。余久須迩。迦美斯意富美岐。宇麻良爾。岐許志母知袁勢。麻呂賀知
此歌者。國主等獻大贄之時時。恆至于今詠之歌者也。此之御世定賜海部、山部、山守部、伊勢部也。亦作劍池。亦新羅人參渡來。是以建内宿禰命引率。爲役渡之堤池而作百濟池。亦百濟國主照古王。以牡馬壹疋。牝馬壹疋。付阿知吉師以貢上此阿知吉師者阿直史等之祖亦貢上横刀及大鏡。又科賜百濟國。若有賢人者貢上。故受命以貢上人名。和迩吉師。即論語十卷。千字文一卷。并十一卷付是人即貢進。此和迩吉師者。文首等祖又貢上手人韓鍛。名卓素。亦呉服西素二人也。又秦造之祖。漢直之祖。及知釀酒人。名仁番。亦名須須許理等。參渡來也。故是須須許理釀大御酒以獻。於是天皇宇羅宜是所獻之大御酒而宇羅宜三字以音御歌曰。
 須須許理賀。迦美斯美岐迩。和禮惠比迩祁理。許登那具志。惠具志爾。和禮惠比迩祁理
如此之歌幸行時。以御杖打大坂連中之大石者。其石走避。故諺曰堅石避醉人也。故天皇崩之後。大雀命者。從天皇之命。以天下讓宇遲能和紀郎子。於是大山守命者違天皇之命。猶欲獲天下有殺。弟皇子之情。竊設兵將攻。爾大雀命聞其兄備兵。即遣使者令告宇遲能和紀郎子。故聞驚。以兵伏河邊。亦其山之上張施垣立帷幕。詐以舍人爲王。露坐呉床。百官恭敬往來之状。既如王子之坐所而。更爲其兄王渡河之時。具餝船楫者。舂佐那此二字以音葛之根。取其汁滑而。塗其船中之簀椅。設蹈應仆而。其王子者。服布衣褌。既爲賎人之形。執楫立船。於是其兄王隱伏兵士。衣中服鎧。到於河邊將乘船時。望其嚴餝之處。以爲弟王坐其呉床。都不知執楫而立船。即問其執楫者曰。傳聞茲山有忿怒之大猪。吾欲取其猪。若獲其猪乎。爾執楫者答曰不能也。亦問曰何由。答曰。時時也。徃徃也。雖爲取而不得。是以白不能也。渡到河中之時。令傾其船。墮入水中。爾乃浮出。隨水流下。即流歌曰。
  知波夜夫流。宇遲能和多理迩。佐袁斗理迩。波夜祁牟比登斯。和賀毛古迩許牟
於是伏隱河邊之兵。彼廂此廂。一時共興。矢刺而流。故到訶和羅之前而沈入訶和羅三以以音故以鉤探其沈處者。繋其衣中甲而。訶和羅鳴。故號其地謂訶和羅前也。爾掛出其骨之時。弟王歌曰。
 知波夜比登。宇遲能和多理迩。和多理是迩。多弖流。阿豆佐由美麻由美。伊岐良牟登。許許呂波母閇杼。伊斗良牟登。許許呂波母閇杼。母登幣波。岐美袁於母比傳。須惠幣波。伊毛袁淤母比傳。伊良那祁久。曾許爾淤母比傳。加那志祁久。許許爾淤母比傳。伊岐良受曾久流。阿豆佐由美。麻由美

故其大山守命之骨者。葬于那良山也。是大山守命者土形君。弊岐君、榛原君等之祖
於是大雀命與宇遲能和紀郎子二柱。各讓天下之間。海人貢大贄。爾兄辭令貢於弟。弟辭令貢於兄相讓之間。既經多日。如此相讓非一二時一故。海人既疲往還而泣也。故諺曰。海人乎。因已物而泣也。然宇遲能和紀郎子者早崩。故大雀命治天下也。又昔有新羅國王之子。名謂天之日矛。是人參渡來也。所以參渡來者。新羅國有一沼。名謂阿具奴摩自阿下四字以音此沼之邊。一賎女晝寢。於是日耀如虹指其陰上。亦一有賎夫。思異其状。恆伺其女人之行。故是女人。自其晝寢時姙身。生赤玉。爾其所伺賎夫乞取其玉。恆裹着腰。此人營田於山谷之間故。耕人等之飮食負一牛而入山谷之中。遇逢其國主之子天之日矛。爾問其人曰。何汝飮食負牛入山谷。汝必殺食是牛。即捕其人將入獄囚。其人答曰。吾非殺牛。唯送田人之食耳。然猶不赦。爾解其腰之玉幣其國主之子。故赦其賎夫。將來其玉置於床邊。即化美麗孃子。仍婚爲嫡妻。爾其孃子常設種種之珍味。恆食其夫。故其國主之子心奢詈妻。其女人言。凡吾者非應爲汝妻之女將行吾祖之國。即竊乘小船逃遁渡來。留于難波此者坐難波之比賣碁曾社謂阿加流比賣神者也於是天之日矛聞其妻遁。乃追渡來。將到難波之間。其渡之神塞以不入。故更還泊多遲摩國。即留其國而。娶多遲摩之俣尾之女。名前津見生子。多遲摩母呂須玖。此之子多遲摩斐泥。此之子多遲摩比那良岐。此之子多遲麻毛理。次多遲摩比多訶。次清日子三柱此清日子娶當摩之灯辮カ子。酢鹿之諸男。次妹菅竃由良度美此四字以音故上云多遲摩比多訶娶其姪由良度美生子。葛城之高額比賣命此者息長帶比賣命之御祖故其天之日矛持渡來物者。玉津寶云而。珠二貫。又振浪比禮比禮二字以音。下效此切浪比禮。振風比禮、切風比禮。又奧津鏡、邊津鏡。并八種也此者伊豆志之八前大神也
故茲神之女。名伊豆志袁登賣神坐也。故八十神雖欲得是伊豆志袁登賣。皆不得婚。於是有二神。兄號秋山之下氷壯夫。弟名春山之霞壯夫。故其兄謂其弟。吾雖乞伊豆志袁登賣。不得婚。汝得此孃子乎。答曰。易得也。爾其兄曰。若汝有得此孃子者。避上下衣服。量身高而。釀甕酒。亦山河之物悉備設。爲字禮豆玖云爾自宇至玖以音。下效此爾其弟如兄言具白其母。即其母取布遲葛而布遲二字以音一宿之間。織縫衣、褌及襪、沓。亦作弓矢。令服其衣、褌等令取其弓矢。遣其孃子之家者。其衣服及弓矢悉成藤花。於是其春山之霞壯夫。以其弓矢繋孃子之厠。爾伊豆志袁登賣思異其花。將來之時。立其孃子之後。入其屋即婚。故生子一也。爾白其兄曰。吾者得伊豆志袁登賣。於是其兄慷愾弟之婚以。不償其宇禮豆玖之物。爾愁白其母之時。御祖答曰。我御世之事。能許曾此二字以音神習。又宇都志岐青人草習乎。不償其物。恨其兄子。乃取其伊豆志河之河嶋節竹而。作八目之荒寵取其河石合鹽而裹其竹葉令詛記。如此竹葉青。如此竹葉萎而。青萎。又如此鹽之盈乾而。盈乾。又如此石之沈而。沈臥。如此令詛置於烟上。是以其兄。八年之間。于萎病枯。故其兄患泣。請其御祖者。即令返其詛戸。於是其身如本以安平也此者神宇禮豆玖之言本者也
又此品陀天皇之御子若野毛二俣王。娶其母弟百師木伊呂辨。亦名弟日賣眞若比賣命。生子。大郎子。亦名意富富杼王。次忍坂之大中津比賣命。次田井之中比賣。次田宮之中比賣。次藤原之琴節郎女。次取賣王。次沙禰王七王。故意富富杼王者三國君。波多君、息長君坂田酒人君、山道君、筑紫之米多君。布勢君等之祖也又根鳥王。娶庶妹三腹郎女生子。中日子王。次伊和嶋王二柱又堅石王之子者久奴王也。凡此品陀天皇御年壹佰參拾歳。御陵在川内惠賀之裳伏岡也。

               中巻終

 


古事記下卷

大雀命坐難波之高津宮。治天下也。此天皇。娶葛城之曾都毘古之女。石之日賣命大后生御子。大江之伊邪本和氣命。次墨江之中津王。次蝮之水齒別命。次男淺津間若子宿禰命四柱又娶上云日向之諸縣君牛諸之女。髮長比賣。生御子。波多毘能大郎子自波下四字以音。下效此亦名大日下王。次波多毘能若郎女。亦名長日比賣命。亦名若日下部命二柱又娶庶妹八田若郎女。又娶庶妹宇遲能若郎女。此之二柱無御子也。凡此大雀天皇之御子等并六王男王五柱女王一故伊邪本和氣命者。治天下。次蝮之水齒別命亦治天下。次男淺津間若子宿禰命亦治天下也。此天皇之御世。爲大后石之日賣命之御名代。定葛城部亦爲太子伊邪本和氣命之御名代定壬生部。亦爲水齒別命之御名代定蝮部。亦爲大日下王之御名代定大日下部。爲若日下部王之御名代定若日下部。又役秦人作茨田堤及茨田三宅。又作丸迩池、依網池。又堀難波之堀江而通海。又堀小椅江。又定墨江之津。
於是天皇登高山見四方之國。詔之。於國中烟不發。國皆貧窮。故自今至三年。悉除人民之課、役。是以大殿破壞。悉雖雨漏都勿修理。以械受其漏雨。遷避于不漏處。後見國中於國滿烟。故爲人民富。今科課、役。是以百姓之榮。不苦役使。故稱其御世謂聖帝世也。其大后石之日賣命甚多嫉妬。故天皇所使之妾者不得臨宮中。言立者。足母阿賀迦迩嫉妬自母下五字以音爾天皇聞看吉備海部直之女。名黒日賣。其容姿端正。喚上而使也。然畏其大后之嫉。逃下本國。天皇坐高臺。望瞻其黒日賣之船出浮海以歌曰。
 淤岐幣迩波。袁夫泥都羅羅玖。久漏邪夜能。摩佐豆古和藝毛。玖迩幣玖陀良須
故大后聞是之御歌大忿。遣人於大浦追下而。自歩追去。於是天皇戀其黒日賣。欺大后曰。欲見淡道嶋而。幸行之時。坐淡道嶋遙望歌曰。
  淤志弖流夜。那爾波能佐岐用。伊傳多知弖。和賀久迩美禮婆。阿波志麻。淤能碁呂志摩。阿遲麻佐能。志麻母美由。佐氣都志麻美由
乃自其嶋傳而幸行吉備國。爾黒日賣。令大坐其國之山方地而。獻大御飯。於是爲煮大御羹採其地之菘菜時。天皇到坐其孃子之採菘處歌曰。
  夜麻賀多迩。麻祁流阿袁那母。岐備比登登。等母迩斯都米婆。多怒斯久母阿流迦
天皇上幸之時。黒日賣獻御歌曰。
  夜麻登幣迩。爾斯布岐阿宜弖。玖毛婆那禮。曾岐袁理登母。和禮和須禮米夜

又歌曰。
 夜麻登幣迩。由玖波多賀都麻。許母理豆能。志多用波閇都都。由久波多賀都麻
自此後時。大后爲將豐樂而。於採御綱柏幸行木國之間。天皇婚八田若郎女。於是大后御綱柏積盈御船。還幸之時。所驅使於水取司吉備國兒嶋之仕丁。是退己國。於難波之大渡。遇所後倉人女之船。乃語云。天皇者皆婚八田若郎女而。晝夜戲遊。
若大后不聞看此事乎。靜遊幸行。爾其倉人女聞此語言。即追近御船。白之状具如仕丁之言。於是大后大恨怒。載其御船之御綱柏者。悉投棄於海。故號其地謂御津前也。即不入坐宮而。引避其御船。泝於堀江隨河而上幸山代。此時歌曰。
  都藝泥布夜。夜麻志呂賀波袁。迦波能煩理。和賀能煩禮婆。賀波能倍迩。淤斐陀弖流。佐斯夫袁。佐斯夫能紀。斯賀斯多迩。淤斐陀弖流。波毘呂。由都麻都婆岐。斯賀波那能。弖理伊麻斯。芝賀波能。比呂理伊麻須波。淤富岐美呂迦母
即自山代迴。到坐那良山口歌曰。
  都藝泥布夜。夜麻斯呂賀波袁。美夜能煩理。和賀能煩禮婆。阿袁迩余志。那良袁須疑。袁陀弖。夜麻登袁須疑。和賀。美賀本斯久迩波。迦豆良紀多迦美夜。和藝幣能阿多理
如此歌而還。暫入坐筒木韓人。名奴理能美之家也。天皇聞看其大后自山代上幸而。使舍人名謂鳥山人。送御歌曰。
  夜麻斯呂迩。伊斯祁登理夜麻。伊斯祁伊斯祁。阿賀波斯豆麻迩。伊斯岐阿波牟加母
又續遣丸迩臣口子而。歌曰。
 美母呂能。曾能多迦紀那流。意富韋古賀波良。意富韋古賀。波良迩阿流。岐毛牟加布。許許呂袁陀迩賀。阿比淤母波受阿良牟
又歌曰。
  都藝泥布。夜麻志呂賣能。許久波母知。宇知斯淤富泥。泥士漏能。斯漏多陀牟岐。麻迦受祁婆許曾。斯良受登母伊波米

故是口子臣。白此御歌之時。大雨。爾不避其雨參伏前殿戸者。違出後戸。參伏後殿戸者。違出前戸。爾匍匐進赴。跪于庭中時。水潦至腰。其臣服著紅紐青摺衣故。水潦拂紅紐青皆變紅色。爾口子臣之妹口日賣仕奉大后。故是口日賣歌曰。
  夜麻志呂能。都都紀能美夜迩。母能麻袁須。阿賀勢能岐美波。那美多具麻志母
爾大后問其所由之時。答白。僕之兄口子臣也。於是口子臣。亦其妹口比賣。及奴理能美三人議而。令奏天皇云。大后幸行所以者。奴理能美之所養虫。一度爲匐虫一度爲殼。一度爲飛鳥。有變三色之奇虫。看行此虫而入坐耳。吏無異心。如此奏時。天皇詔。然者吾思奇異故。欲見行。自大宮上幸行。入坐奴理能美之家時。其奴理能美己所養之三種虫。獻於大后。爾天皇御立其大后所坐殿戸歌曰。
 都藝泥布。夜麻斯呂賣能。許久波母知。宇知斯意富泥。佐和佐和迩。那賀伊幣勢許曾。宇知和多須。夜賀波延那須。岐伊理麻韋久禮
此天皇與大后所歌之六歌者。志都歌之歌返也。天皇戀八田若郎女。賜遣御歌。其歌曰。
  夜多能。比登母登須宜波。古母多受。多知迦阿禮那牟。阿多良須賀波良。許登袁許曾。須宜波良登伊波米。阿多良須賀志賣
爾八田若郎女答歌曰。
 夜多能。比登母登須宜波。比登理袁理登母。意富岐彌斯。與斯登岐許佐婆。比登理袁理登母
故爲八田若郎女之御名代定八田部也。亦天皇以其弟速總別王。爲媒而。乞庶妹女鳥王。爾女鳥王。語速總別王曰。因大后之強。不治賜八田若郎女。故思不仕奉。吾爲汝命之妻。即相婚。是以速總別王。不復奏。爾天皇直幸女鳥王之所坐而。坐其殿戸之閾上。於是女鳥王坐機而織服。爾天皇歌曰。
  賣杼理能。和賀意富岐美能。於呂須波多。他賀多泥呂迦母
女鳥王答歌曰。
  多迦由久夜。波夜夫佐和氣能。美淤須比賀泥
故天皇。知其情。還入於宮。此時其夫速總別王到來之時。其妻女鳥王歌曰。
  比婆理波。阿米迩迦氣流。多迦由玖夜。波夜夫佐和氣。佐邪岐登良佐泥
天皇聞此歌。即興軍欲殺。爾速總別王、女鳥王共逃退而。騰于倉椅山。於是速總別王歌曰。
  波斯多弖能。久良波斯夜麻袁。佐賀志美登。伊波迦伎加泥弖。和賀弖登良須母
又歌曰。
  波斯多弖能。久良波斯夜麻波。佐賀斯祁杼。伊毛登能爐禮波。佐賀斯玖母阿良受
故自其地逃亡。到宇陀之蘇迩時。御軍追到而殺也。其將軍山部大楯連取其女鳥王所纏御手之玉釧而。與己妻。此時之後。將爲豐樂之時。氏氏之女等皆朝參。爾大楯連之妻以其王之玉釧。纏于己手而參赴。於是大后石之日賣命。自取大御酒柏。賜諸氏氏之女等。爾大后見知其玉釧。不賜御酒柏。乃引退。召出其夫大楯連以詔之。其王等因无禮而退賜。是者無異事耳。夫之奴乎。所纏己君之御手玉釧於膚剥持來。即與己妻。乃給死刑也。亦一時。天皇爲將豐樂而。幸行日女嶋之時。於其嶋雁生卵。爾召建内宿禰命以歌問雁生卵之状。其歌曰。
  多麻岐波流。宇知能阿曾。那許曾波。余能那賀比登。蘇良美都。夜麻登能久迩爾。加理古牟登岐久夜
於是建内宿禰以歌語白。
  多迦比迦流。比能美古。宇倍志許曾。斗比多麻閇。麻許曾迩。斗比多麻閇。阿禮許曾波。余能那賀比登。蘇良美都。夜麻登能久迩爾。加理古牟登。伊麻陀岐加受
如此白而。被給御琴歌曰。
  那賀美古夜。都毘迩斯良牟登。加理波古牟良斯
此者本岐歌之片歌也。此之御世。免寸河之西有一高樹。其樹之影。當旦日者逮淡道嶋。當夕日者越高安山。故切是樹以作船。甚捷行之船也。時號其船謂枯野。故以是船旦夕酌淡道嶋之寒泉。獻大御水也。茲船破壞以燒鹽。取其燒遺木作琴。其音響七里。爾歌曰。
  加良奴袁。志本爾夜岐。斯賀阿麻理。許登爾都久理。賀岐比久夜。由良能斗能。斗那賀能伊久理爾。布禮多都。那豆能紀能。佐夜佐夜
此者志都歌之返歌也。此天皇之御年捌拾參歳。御陵在毛受之耳原也。伊邪本和氣王坐伊波禮之若櫻宮。治天下也。此天皇。娶葛城之曾都毘古之子葦田宿禰之女。名黒比賣命。生御子。市邊之忍齒王。次御馬王。次妹青海郎女。亦名飯豐郎女三柱本坐難波宮之時。坐大嘗而爲豐明之時。於大御酒字良宜而大御寢也。爾其弟墨江中王欲取天皇以。火著大殿。於是倭漢直之祖。阿知直盜出而。乘御馬令幸於倭。故到于多遲比野而寤。詔此間者何處。爾阿知直白。墨江中王火著大殿。故率逃於倭。爾天皇歌曰。
  多遲比怒迩。泥牟登斯理勢婆。多都碁母母。母知弖許麻志母能。泥牟登斯理勢婆
到於波迩賦坂。望見難波宮。其火猶炳。爾天星亦歌曰。
  波迩布邪迦。和賀多知美禮婆。迦藝漏肥能。毛由流伊幣牟良。都麻賀伊幣能阿多理
故到幸大坂山口之時。遇一女人。其女人白之。持兵人等多塞茲山。自當岐麻道迴應越幸。爾天皇歌曰。
  於富佐迦迩。阿布夜袁登賣袁。美知斗閇婆。多陀迩波能良受。當藝麻知袁能流
故上幸坐石上神宮也。於是其伊呂弟水齒別命參赴令謁。爾天皇令詔。吾疑汝命若與墨江中王同心乎故不相言。答白。僕者無穢邪心。亦不同墨江中王。亦令詔。然者今還下而。殺墨江中王而上來。彼時吾必相言。故即還下難波。欺所近習墨江中王之隼人。名曾婆加理云。若汝從吾言者。吾爲天皇。汝作大臣。治天下那何。曾婆訶理答白隨命。爾多祿給其隼人曰。然者殺汝王也。於是曾婆訶理竊伺己王入厠。以矛刺而殺也。故率曾婆訶理上幸於倭之時。到大坂山口。以爲。曾婆訶理爲吾雖有大功。既殺己君是不義。然不賽其功。可謂無信。既行其信。還惶其情。故雖報其功。滅其正身。是以詔曾婆訶理。今日留此間而。先給大臣位。明日上幸。留其山口。即造假宮。忽爲豐樂。乃於其隼人賜大臣位百官令拜。隼人歡喜。以爲遂志。爾詔其隼人。今日與大臣飮同盞酒。共飮之時。隱面大銃。盛其進酒。於是王子先飮。隼人後飮。故其隼人飮時。大鋺覆面。爾取出置席下之劍。斬其隼人之頚。乃明日上幸。故號其地謂近飛鳥也。上到于倭詔之。今日留此間。爲祓禊而。明日參出。將拜神宮。故號其地謂遠飛鳥也。故參出石上神宮。令奏天皇。政既平訖參上侍之。爾召入而相語也。天皇於是以阿知直始任藏官。亦給粮地。亦此御世。於若櫻部臣等賜若櫻部名。又比賣陀君等賜姓謂比賣陀之君也。亦定伊波禮部也。天皇之御年陸拾肆歳。御陵在毛受也水齒別命坐多治比之柴垣宮。治天下也。此天皇御身之長九尺二寸半。御齒長一寸。廣二分。上下等齊。既如貫珠。天皇。娶丸迩之許碁登臣之女。都怒郎女生御子。甲斐郎女。次都夫良郎女二柱又娶同臣之女。弟比賣。生御子。財王。次多訶辨郎女。并四王也。天皇御年陸拾歳。御陵在毛受野也。男淺津間若子宿禰王坐遠飛鳥宮。治天下也。此天皇。娶意富本杼王之妹。忍坂之大中津比賣命。生御子。木梨之輕王。次長田大郎女。次境之黒日子王。次穴穗命。次輕大郎女。亦名衣通郎女御名所以負衣通王者。其身之光自衣通出也次八瓜之白日子王。次大長谷命。次橘大郎女。次酒見郎女九柱凡天皇之御子等九柱男王五。女王四此九王之中。穴穗命者。治天下也。次大長谷命治天下也。天皇初爲將所知天津日繼之時。天皇辭而詔之。我者有一長病。不得所知日繼。然大后始而諸卿等因堅奏而。乃治天下。此時新良國主貢進御調八十一搜。爾御調之大使。名云金波鎭漢紀武。此人深知藥方。故治差帝皇之御病。於是天皇愁天下氏氏名名人等之氏姓忤過而。於味白梼之言八十禍津日前居玖訶瓰而玖訶二字以音定賜天下之八十友緒氏姓也。又爲木梨之輕太子御名代定輕部。爲大后御名代定刑部。爲大后之弟田井中比賣御名代定河部也。天皇御年漆拾捌歳。御陵在河内之惠賀長枝也。天皇崩之後。定木梨之輕太子所知日繼。未即位之問。奸其伊呂妹輕大郎女而歌曰。
  阿志比紀能。夜麻陀袁豆久理。夜麻陀加美。斯多備袁和志勢。志多杼比爾。和賀登布伊毛袁。斯多那岐爾。和賀那久都麻袁。許存許曾波。夜須久波陀布禮
此者志良宜歌也。又歌曰。
  佐佐波爾。宇都夜阿良禮能。多志陀志爾。韋泥弖牟能知波。比登波加由登母
宇流波斯登。佐泥斯佐泥弖婆。加理許母能。美陀禮婆美陀禮。佐泥斯佐泥弖婆
  此者夷振之上歌也。是以百官及天下人等背輕太子而。歸穴穗御子。爾輕太子畏而。逃入大前小前宿禰大臣之家而。備作兵器爾時所作矢者。銅其箭之内。故号其矢謂輕箭也穴穗王子亦作兵器此王子所作之矢者即今時之矢者也。是謂穴穗箭也於是穴穗御子興軍圍大前小前宿禰之家。爾到其門時。零大氷雨。故歌曰。
  意富麻幣。袁麻幣須久泥賀。加那斗加宜。加久余理許泥。阿米多知夜米牟
爾其大前小前宿禰擧手打膝。訶那傳自訶下三字以音歌參來。其歌曰。
  美夜比登能。阿由比能古須受。淤知爾岐登。美夜比登登余牟。佐斗毘登母由米
此歌者宮人振也。如此歌參歸。白之。我天皇之御子於伊呂兄王無及兵。若及兵者。必人咲。僕捕以貢進。爾解兵退坐。故大前小前宿禰捕其輕太子。率參出以貢進。其太子被捕歌曰。
  阿麻陀牟。加流乃袁登賣。伊多那加婆。比登斯理奴倍志。波佐能夜麻能。波斗能。斯多那岐爾那久
又歌曰。
  阿麻陀牟。加流袁登賣。志多多爾母。余理泥弖登富禮。加流袁登賣杼母
故其輕太子者流於伊余場也。亦將流之時。歌曰。
  阿麻登夫。登理母都加比曾。多豆賀泥能。岐許延牟登岐波。和賀那斗波佐泥
此三歌者天田振也。又歌曰。
  意富岐美袁。斯麻爾波夫良婆。布那阿麻理。伊賀幣理許牟敍。和賀多多彌由米。許登袁許曾。多多美登伊波米。和賀都麻波由米
此歌者夷振之片下也。其衣通王。獻歌。其歌曰。
  那都久佐能。阿比泥能波麻能。加岐加比爾。阿斯布麻須那。阿加斯弖杼富禮
故後亦不堪戀慕而追往時。歌曰。
  岐美賀由岐。氣那賀久那理奴。夜麻多豆能。牟加閇袁由加牟。麻都爾波麻多士
此云山多豆者。是今造木者也故追到之時。待懷而歌曰。
  許母理久能。波都世能夜麻能。意富袁爾波。波多波理陀弖。佐袁袁爾波。波多波理陀弖。意富袁爾斯。那加佐陀賣流。淤母比豆麻阿波禮。都久由美能。許夜流許夜理母。阿豆佐由美。多弖理多弖理母。能知母登理美流。意母比豆麻阿波禮
又歌曰。
  許母理久能。波都勢能賀波能。加美都勢爾。伊久比袁宇知。斯毛都勢爾。麻久比袁宇知。伊久比爾波。加賀美袁加氣。麻久比爾波。麻多麻袁加氣。麻多麻那須。阿賀母布伊毛。加賀美那須。阿賀母布都麻。阿理登。伊波婆許曾余。伊幣爾母由加米。久爾袁母斯怒波米
如此歌即共自死。故此二歌者讀歌也。穴穗御子。坐石上之穴穗宮。治天下也。天皇爲伊呂弟大長谷王子而。坂本臣等之祖根臣遣大日下王之許。令詔者。汝命之妹。若日下王欲婚大長谷王子故。可頁。爾大日下王四拜白之。若疑有如此大命故。不出外以置也。是恐。隨大命奉進。然言以白事。其思无禮。即爲其妹之禮物令持押木之玉縵而貢獻。根臣即盜取其禮物之玉縵。讒大日下王曰。大日下王者不受敕命曰。己妹乎爲等族之下席而。取横刀之手上而怒歟。故天皇大怒。殺大日下王而。取持來其王之嫡妻長田大郎女爲皇后。自此以後。天皇坐神牀而晝寢。爾語其后曰。汝有所思乎。答曰。被天皇之敦澤。何有所思。於是其大后先子目弱王是年七歳。是王當于其時而。遊其殿下。爾天皇不知其少王遊殿下以。詔大后言。吾恆有所思。何者。汝之子目弱王成人之時。知吾殺其父王者。還爲有邪心乎。於是所遊其殿下目弱王聞取此言。便竊伺天皇之御寢。取其傍大刀。乃打斬其天皇之頚。逃入都夫良意富美之家也。天皇御年伍拾陸歳。御陵在菅原之伏見岡也。爾大長谷王子。當時童男。即聞此事以。慷愾忿怒。乃到其兄黒日子王之許曰。人取天皇。爲那何。然其黒日子王不驚而。有怠緩之心。於是大長谷王詈其兄。言一爲天皇。一爲兄弟。何無恃心聞殺其兄。不驚而怠乎。即握其衿控出。拔刀打殺。亦到其兄白日子王而。告状如前。緩亦如黒日子王。即握其衿以引率來。到小治田堀穴而隨立埋者。至埋腰時。兩目走拔而死。亦興軍圍都夫良意美之家。爾興軍待戰。射出之矢如葦來散。於是大長谷王以矛爲杖。臨其内詔。我所相言之孃子者。若有此家乎。爾都夫良意美聞此詔命自參出。解所佩兵而。八度拜白者。先日所問賜之女子。訶良比賣者侍。亦副五處之屯宅以獻所詣五村屯宅者今葛城之五村苑人也然其正身所以不參向者。自往古至今時。聞臣連隱於王宮。未聞王子隱於臣家。是以思。賎奴意富美者。雖竭力戰。更無可勝。然恃己入坐于隨家之王子者。死而不棄。如此白而。亦取其兵。還入以戰。爾力窮矢盡。白其王子。僕者手悉傷。矢亦盡。今不得戰。如何。其王子答詔。然者更無可爲。今殺吾。故以刀刺殺其王子。乃切己頚以死也。自茲以後。淡海之佐佐紀山君之祖。名韓{代巾}白。淡海之久多此二字以音綿之蚊屋野。多在猪鹿。其立足者如荻原。指擧角者如枯松。此時。相率市邊之忍齒王。幸行淡海。到其野者。各異作假宮而宿。爾明旦。未日出之時。忍齒王以平心隨乘御馬到立大長谷王假宮之傍而。詔其大長谷王子之御伴人。未寤坐。早可白也。夜既曙訖。可幸獵庭。乃進馬出行。爾侍其大長谷王之御所人等白。宇多弖物云王子宇多三字以音故。應愼。亦宜堅御身。即衣中服甲。取佩弓矢。乘馬出行。倏忽之間。自馬往雙。拔矢射落其忍齒王。乃亦切其身。入於馬[木宿]與土等埋。於是市邊王之王子等。意冨祁王、袁祁王二柱聞此亂而逃去。故到山代苅羽井食御粮之時。面黥老人來。奪其粮。爾其二王言。不惜粮然。汝者誰人。答曰。我者山代之猪甘也。故逃渡玖須婆之河。至針間國。入其國人。名志自牟之家。隱身役於馬甘、牛甘也。大長谷若建命。坐長谷朝倉宮。治天下也。天皇。娶大日下王之妹。若日下部王无子又娶都夫良意富美之女。韓比賣。生御子。白髮命。次妹若帶比賣命二柱故爲白髮太子之御名代定白髮部。又定長谷部舍人。又定河瀬舍人也。此時。呉人參渡來。其呉人安置於呉原。故號其地謂呉原也。初大后坐日下之時。自日下之直越道幸行河内。爾登山上望國内者。有下上堅魚作舍屋之家。天皇令問其家云。其上堅魚作舍者。誰家。答白。志幾之大縣主家。爾天皇詔者。奴乎。己家似天皇之御舍而造。即遣人。令燒其家之時。其大縣主懼畏。稽首白。奴有者。隨奴不覺而過作。甚畏。故獻能美之御幣物能美二字以音布{執糸}白犬。著鈴而。己族名謂腰佩人。令取犬繩以獻上。故令止其著火。即幸行其若日下部王之許。賜入其犬令詔。是物者。今日得道之奇物。故都麻杼比此四字以音之物。云而賜入也。於是若日下部王。令奏天皇。背日幸行之事。甚恐。故己直參上而仕奉。是以還上坐於宮之時。行立其山之坂上歌曰。
  久佐加辨能。許知能夜麻登。多多美許母。幣具理能夜麻能。許知碁知能。夜麻能賀比爾多知邪加由流。波毘呂久麻加斯。母登爾波。伊久美陀氣淤斐。須惠幣爾波。多斯美陀氣淤斐。伊久美陀氣。伊久美波泥受。多斯美陀氣。多斯爾波韋泥受。能知母久美泥牟。曾能淤母比豆麻阿波禮
即令持此歌而返使也。亦一時。天皇遊行。到於美和河之時。河邊有洗衣童女。其容姿甚麗。天皇問其童女。汝者誰子。答白。己名謂引田部赤猪子。爾令詔者。汝不嫁夫。今將喚而。還坐於宮。故其赤猪子仰待天皇之命。既經八十歳。於是赤猪子以爲。望命之間。已經多年。姿體痩萎。更無所恃。然非顯待情不忍於而。令持百取之机代物。參出貢獻。然天皇既忘先所命之事。問其赤猪子曰。汝者誰老女。何由以參來。爾赤猪子答白。其年其月。被天皇之命。仰待大命至于今日經八十歳。今容姿既耆。更無所恃。然顯白己志以參出耳。於是天皇大驚。吾既忘先事。然汝守志待命。徒過盛年。是甚愛悲。心裏欲婚。悼其極老。不得成婚而。賜御歌。其歌曰。
  美母呂能。伊都加斯賀母登。賀斯賀母登。由由斯伎加母。加志波良袁登賣
又歌曰。
  比氣多能。和加久流須婆良。和加久閇爾。韋泥弖麻斯母能。淤伊爾祁流加母
爾赤猪子之泣涙悉濕其所服之丹摺袖。答其大御歌而歌曰。
  美母呂爾。都久夜多麻加岐。都岐阿麻斯。多爾加母余良牟。加微能美夜比登
又歌曰。
  久佐加延能。伊理延能波知須。波那婆知須。微能佐加理毘登。登母志岐呂加母
爾多祿給其老女以。返遣也。故此四歌者志都歌也。天皇幸行吉野宮之時。吉野川之濱有童女。其形姿美麗。故婚是童女而。還坐於宮。後吏亦幸行吉野之時。留其童女之所遇。於其處立大御呉床而。坐其御呉床。彈御琴刊令爲其孃子。爾因其孃子之好。作御歌。其歌曰。
  阿具良韋能。加微能美弖母知。比久許登爾。麻比須流袁美那。登許余爾母加母
即幸阿岐豆野而。御獵之時。天皇坐御呉床。爾虻咋御腕。即蜻蛉來。咋其虻而飛訓蜻蛉云阿岐豆於是作御歌。其歌曰。
  美延斯怒能。袁牟漏賀多氣爾。志斯布須登。多禮曾。意富麻幣爾麻袁須。夜須美斯志。和賀淤富岐美能。斯志麻都登。阿具良爾伊麻志。斯漏多閇能。蘇弖岐蘇那布。多古牟良爾。阿牟加岐都岐。曾能阿牟袁。阿岐豆波夜具比。加久能碁登。那爾於波牟登。蘇良美都。夜麻登能久爾袁。阿岐豆志麻登布
  故自其時號其野謂阿岐豆野也。又一時。天皇登幸葛城之山上。爾大猪出。即天皇以鳴鏑射其猪之時。其猪怒而。宇多岐依來宇多岐三字以音故天皇畏其宇多岐。登坐榛上。爾歌曰。
  夜須美斯志。和賀意富岐美能。阿蘇婆志斯。志斯能。夜美斯志能。宇多岐加斯古美。和賀爾宜能煩理斯。阿理袁能。波理能紀能延陀
又一時。天皇登幸葛城山之時。百官人等悉給著紅紐之青摺衣服。彼時。有其自所向之山尾登山上人。既等天皇之齒鹵簿亦其裝束之状。及人衆相似不傾。爾天皇望。令問曰。於茲倭國除吾亦無王。今誰人如此而行。即答曰之状。亦如天皇之命。於是天皇大忿而矢刺。百官人等悉矢刺。爾其人等亦皆矢刺。故天皇亦問曰。然告其名。爾各告名而彈矢。於是答曰。吾先見問故。吾先爲名告。吾者雖惡事而一言雖善事而一言言離之神。葛城一言主之大神者也。天皇於是惶畏而白。恐。我大神有宇都志意美者自宇下五字以音不覺白而。大御刀及弓矢始而。脱百官人等所服之衣服以拜獻。爾其一言主大神手打受其捧物。故天皇之還幸時。其大神滿山末於長谷山口送奉。故是一言主之大神者彼時所顯也。又天皇婚丸迩之佐都紀臣之女。袁杼比賣。幸行于春日之時。媛女逢道。即見幸行而。逃隱岡邊。故作御歌。其歌曰。
  袁登賣能。伊加久流袁加袁。加那須岐母。伊本知母賀母。須岐波奴流母能
故號其岡謂金岡也。又天皇坐長谷之百枝槻下。爲豐樂之時。伊勢國之三重指擧大御盞以獻。爾其百枝槻葉落。浮於大御盞。其不知落葉浮於盞。猶獻大御酒。天皇看行其浮盞之葉。打伏其。以刀刺充其頚將斬之時。其白天皇曰。莫殺吾身。有應白事。即歌曰。
  麻岐牟久能。比志呂乃美夜波。阿佐比能。比傳流美夜。由布比能。比賀氣流美夜。多氣能泥能。泥陀流美夜。許能泥能。泥婆布美夜。夜本爾余志。伊岐豆岐能美夜。麻紀佐久。比能美加度。爾比那閇夜爾。淤斐陀弖流。毛毛陀流。都紀賀延波。本都延波。阿米袁淤幣理。那加都延波。阿豆麻袁淤幣理。志豆延波。比那袁於幣理。本都延能。延能宇良婆波。那加都延爾。淤知布良婆閇。那加都延能。延能宇良婆波。斯毛都延爾。淤知布良婆閇。斯豆延能。延能宇良婆波。阿理岐奴能。美幣能古賀。佐佐賀世流。美豆多麻宇岐爾。宇岐志阿夫良。淤知那豆佐比。美那許袁呂許袁呂爾。許斯母。阿夜爾加志古志。多加比加流。比能美古。許登能。加多理碁登母。許袁婆
故獻此歌者。赦其罪也。爾大后歌。其歌曰。
  夜麻登能。許能多氣知爾。古陀加流。伊知能都加佐。爾比那閇夜爾。淤斐陀弖流。波毘呂。由都麻都婆岐。曾賀波能。比呂理伊麻志。曾能波那能。弖理伊麻須。多加比加流。比能美古爾。登余美岐。多弖麻都良勢。許登能。加多理碁登母。許袁婆
即天皇歌曰。
  毛毛志記能。淤富美夜比登波。宇豆良登理。比禮登理加氣弖。麻那婆志良。袁由岐阿閇。爾波須受米。宇受須麻理韋弖。祁布母加母。佐加美豆久良斯。多加比加流。比能美夜比登。許登能。加多理碁登母。許袁婆
此三歌者天語歌也。故於此豐樂擧其三而。給多祿也。是豐樂之日。亦春日之袁杼比賣。獻大御酒之時。天皇歌曰。
  美那曾曾久。淤美能袁登賣。本陀理登良須母。本陀理斗理。加多久斗良勢。斯多賀多久。夜賀多久斗良勢。本陀理斗良須古
此者宇岐歌也。爾袁杼比賣獻歌。其歌曰。
  夜須美斯志。和賀淤富岐美能。阿佐斗爾波。伊余理陀多志。由布斗爾波。伊余理陀多須。和岐豆岐賀。斯多能。伊多爾母賀。阿世袁
此者志都歌也。天皇御年壹佰貳拾肆歳。御陵在河内之多治比高也。白髮大倭根子命坐伊波禮之甕栗宮治天下也。此天皇無皇后。亦無御子。故御名代定白髮部。故天皇崩後。無可治天下之王也。於是問日繼所知之王也。市邊忍齒別王之妹。忍海郎女。亦名飯豐王。坐葛城忍海之高木角刺宮也。爾山部連小楯。任針間國之宰時。到其國之人民。名志自牟之新室。樂於是盛樂。酒酣。以次第皆。故燒火少子二口。居竃傍。令其少子等。爾其一少子曰。汝兄先。其兄亦曰。汝弟先如此相讓之時。其會人等咲其相讓之状。爾遂兄訖。次弟將時爲詠曰。
 
物部之我夫子之取佩於大刀之手上丹畫著其緒者載赤幡立赤幡見者五十隱山三尾之竹矣。本訶岐此二字以音苅末押縻魚簀如調八絃琴所治賜天下伊邪本和氣天皇之御子市邊之押齒王之奴末
爾即小楯連聞驚而。自床墮轉而。追出其室人等申其二柱王子坐左右膝上。泣悲而。集人民作假宮。坐置其假宮而。貢上驛使。於是其姨飯豐王聞歡而。令上於宮。故將治天下之間。平群臣之祖。名志毘臣立于歌垣。取其袁祁命將婚之美人手。其孃子者菟田首等之女。名者大魚也。爾袁祁命亦立歌垣。於是志毘臣歌曰。
  意富美夜能。袁登都波多傳。須美加多夫祁理
如此歌而。乞其歌末之時。袁祁命歌曰。
 
意富多久美。袁遲那美許曾。須美加多夫祁禮
爾志毘臣亦歌曰。
  意富岐美能。許許呂袁由良美。淤美能古能。夜幣能斯婆加岐。伊理多多受阿理
於是王子亦歌曰。
  斯本勢能。那袁理袁美禮婆。阿蘇毘久流。志毘賀波多傳爾。都麻多弖理美由
爾志毘臣愈怒歌曰。
  意富岐美能。美古能志婆加岐。夜布士麻理。斯麻理母登本斯。岐禮牟志婆加岐。夜氣牟志婆加岐
爾王子。亦歌曰。
  意布袁余志。斯毘都久阿麻余。斯賀阿禮婆。宇良胡本斯祁牟。志毘都久志毘
如此歌而。鬪明各退。明旦之時。意富祁命、袁祁命二柱議云。凡朝廷人等者。旦參赴於朝廷。晝集於志毘門。亦今者。志毘必寢。亦其門無人。故非今者。難可謀。即興軍圍志毘臣之家。乃殺也。
於是二柱王子等各相讓天下。意富祁命讓其弟袁祁命曰。住於針間志自牟家時。汝命不顯名者。更非下臨天下之君。是既爲汝命之功。故吾雖兄。猶汝命先治天下而。堅讓。故不得辭而。袁祁命先治天下也。
本別王御子、市邊忍齒王御子、袁祁之石巣別命坐近飛鳥宮。治天下捌歳也。天皇。娶石木王之女。難波王无子也。
此天皇求其父王市邊王之御骨時。在淡海國賎老媼參出白。王子御骨所埋者。專吾能知。亦以其御齒可知御齒者如三技押齒坐也爾起民堀土。求其御骨。即獲其御骨而。於其蚊屋野之東山作御陵葬。以韓之子等令守其御陵。然後持上其御骨也。故還上坐而。召其老媼。譽其不失見貞知其地以。賜名號置目老媼。仍召入宮内。敦廣慈賜。故其老媼所住屋者近作宮邊。毎日必召。故鐸懸大殿戸。欲召其老媼之時。必引鳴其鐸。爾作御歌。其歌曰。
  阿佐遲波良。袁陀爾袁須疑弖。毛毛豆多布。奴弖由良久母。於岐米久良斯母
於是置目老媼白。僕甚耆老。欲退本國。故隨白退時。天皇見送歌曰。
  意岐米母夜。阿布美能於岐米。阿須用理波。美夜麻賀久理弖。美延受加母阿良牟
初天皇逢難逃時。求奪其御粮猪甘老人。是得求喚上而。斬於飛鳥河之河原。皆斷其族之膝筋。以是至于今其子孫上於倭之日。必自跛也。故能見志米岐其老所在志米岐三字以音故其地謂志米須也。
天皇深怨殺其父王之大長谷天皇。欲報其靈。故欲毀其大長谷天皇之御陵而。遣人之時。其伊呂兄意富祁命奏言。破壞是御陵。不可遣他人。專僕自行。如天皇之御心。破壞以參出。爾天皇詔。然隨命宜幸行。是以意富祁命自下幸而。少掘其御陵之傍。還上。復奏言。既堀壞也。爾天皇異其早還上而。詔如何破壞。答白。少掘其陵之傍土。天皇詔之。欲報父王之仇。必悉破壞其陵。何少掘乎。答曰。所以爲然者。父王之怨。欲報其靈。是誠理也。然其大長谷天皇者。雖爲父之怨。還爲我之從父。亦治天下之天皇。是今單取父仇之志。悉破治天下之天皇陵者。後人必誹謗。唯父王之仇不可非報。故少掘其陵邊。既以是恥足示後世。如此奏者。天皇答詔之。是亦大理。如命可也。故天皇崩。即意富祁命知天津日繼天皇御年參拾捌歳。治天下八歳。御陵在片岡之石坏岡上也。意富祁王坐石上廣高官。治天下也。天皇娶大長谷若建天皇之御子。春日大郎女生御子。高木郎女。次財郎女。次久須毘郎女。次手白髮郎女。次小長谷若雀命。次眞若王。又娶丸迩日爪臣之女。糠若子郎女生御子。春日山田郎女。此天皇之御子并七柱。此之中。小長谷若雀命者。治天下也。小長谷若雀命坐長谷之列木宮。治天下捌歳也。此天皇无太子。故爲御子代定小長谷部也。御陵在片岡之石坏岡也。天皇既崩。無可知日續之王。故品太天皇五世之孫。衰本杼命自近淡海國令上坐而。合於手白髮命。授奉天下也。袁本杼命坐伊波禮之玉穗宮。治天下也。天皇。娶三尾君等祖。名若比賣。生御子。大郎子。次出雲郎女二柱又娶尾張連等之祖凡連之妹。目子郎女生御子。廣國押建金日命。次建小廣國押楯命二柱又娶意富祁天皇之御子。手白髮命是大后也生御子。天國押波流岐廣庭命波流岐三字以音。一柱又娶息長眞手王之女。麻組郎女生御子。佐佐宜郎女一柱。又娶坂田大股王之女。黒比賣。生御子。神前郎女。次茨田郎女。次馬來田郎女三柱股娶茨田連小望之女關比賣生御子茨田大郎女。次白坂活日子郎女。次小野郎女。亦名長目比賣。三柱又娶三尾君加多夫之妹。倭比賣。生御子。大郎女。次丸高王。次耳(上)王。次赤比賣郎女四柱又娶阿倍之波延比賣。生御子。若屋郎女。次都夫良郎女。次阿豆王三柱此天皇之御子等并十九王男七。女十二此之中天國押波流岐廣庭命者。治天下。次廣國押建金日命治天下。次建小廣國押楯命治天下。次佐佐宜王者拜伊勢神宮也。此之御世。竺紫君石井不從天皇之命而。多无禮。故遣物部荒甲之大連、大伴之金村連二人而。殺石井也。天皇御年肆拾參歳。御陵者三嶋之藍御陵也。廣國押建金日命。坐勾之金箸宮。治天下也。此天皇無御子也。御陵在河内之古市高屋村也。建小廣國押楯命坐桧[土冏]之廬入野宮治天下也。天皇。娶意富祁天皇之御子。橘之中比賣命。生御子。石比賣命訓石如石。下效此次小石比賣命。次倉之若江王。又娶川内之若子比賣。生御子。火穗王。次惠波王。此天皇之御子等并五王男三。女二故火穗王者志比陀君之祖惠波王者韋那君、多治比君之祖也天國押波流岐廣庭天皇坐師木嶋大宮。治天下也。天皇。娶桧[土冏]天皇之御子。石比賣命。生御子。八田王。次沼名倉太玉敷命。次笠縫王三柱。又娶其弟小石比賣命。生御子。上王一柱。又娶春日之日爪臣之女。糠子郎女生御子。春日山田郎女。次麻呂古王。次宗賀之倉王三柱又娶宗賀之稻目宿禰大臣之女。岐多斯比賣。生御子。橘之豐日命。次妹石[土冏]王。次足取王。次豐御氣炊屋比賣命。次亦麻呂古王。次大宅王。次伊美賀古王。次山代王。次妹大伴王。次櫻井之玄王。次麻奴王。次橘本之若子王。次泥杼王十三柱又娶岐多志毘賣命之姨。小兄比賣。生御子。馬木王。次葛城王。次間人穴太部王。次三枝部穴太部王。亦名須賣伊呂杼。次長谷部若雀命五柱。凡此天皇之御子等并廿五王。此之中。沼名倉太玉敷命者。治天下。次橘之豐日命治天下。次豐御氣炊屋比賣命治天下。次長谷部之若雀命治天下也。并四王治天下也。沼名倉太玉敷命坐他田宮。治天下壹拾肆歳也。此天皇。娶庶妹豐御食炊屋比賣命。生御子。靜貝王。亦名貝鮹王。次竹田王。亦名小貝王。次小治田王。次葛城王。次宇毛理王。次小張王。次多米王。次櫻井玄王八柱又娶伊勢大鹿首之女。小熊子郎女生御子。布斗比賣命。次寶王。亦名糠代比賣王二柱又娶息長眞手王之女。比呂比賣命。生御子。忍坂日子人太子。亦名麻呂古王。次坂騰王。次宇遲王。三柱又娶春日中若子之女。老女子郎女生御子。難波王。次桑田王。次春日王。次大股王四柱此天皇之御子等并十七王之中。日子人太子娶庶妹田村王。亦名糠代比賣命。生御子。坐岡本宮。治天下之天皇。次中津王。次多良王三柱又娶漢王之妹。大股王生御子。智奴王。次妹桑田王二柱又娶庶妹玄王生御子。山代王。次笠縫王二柱并七王。御陵在川内科長也。橘豐日命坐池邊宮。治天下參歳。此天皇娶稻目宿禰大臣之女。意富藝多志比賣。生御子。多米王一柱又娶庶妹間人穴太部王生御子。上宮之厩戸豐聰耳命。次久米王。次植栗王。次茨田王四柱。又娶當麻之倉首比呂之女。飯女之子。生御子。當麻王。次妹須加志呂古郎女。此天皇。御陵在石寸掖上。後遷科長中陵也。長谷部若雀天皇坐倉椅柴垣宮。治天下肆歳。御陵在倉椅岡上也。豐御食炊屋比賣命坐小治田宮治天下參拾漆歳。御陵在大野岡上。後遷科長大陵也。

                 

 


 

 

 



 

 

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      万葉集

 

            読万葉集

          真仮名マトリックス
      
    万葉集名所考 
      
    万葉集古義 鹿持 雅澄 訓 
            - 国立国会図書館 デジタルライブラリー


 
      巻第一  雑 歌  
        巻第二  雑 歌
        巻第三  雑 歌
        巻第四  相 聞
        巻第五  雑 歌    

 


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     竹取物語



       
目次

一 生い立ち  
二 求婚と難題  
三 仏の御石の鉢
四 蓬莱の玉の枝  
五 火鼠の裘  
六 龍の首の玉  
七 燕の子安貝  
八 帝の懸想
九 かぐや姫の昇天                


 


今は昔竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて、竹をとりつゝ、萬の事につかひけり。名をば讃岐造麿となんいひける。その竹の中に、本光る竹ひとすぢありけり。怪しがりて寄りて見るに、筒の中ひかりたり。それを見れば、三寸ばかりなる人いと美しうて居たり。翁いふやう、「われ朝ごと夕ごとに見る、竹の中におはするにて知りぬ、子になり給ふべき人なンめり。」とて、手にうち入れて家にもてきぬ。妻の嫗にあづけて養はす。美しきこと限なし。いと幼ければ籠に入れて養ふ。竹取の翁この子を見つけて後に、竹をとるに、節をへだてゝよ毎に、金ある竹を見つくること重りぬ。かくて翁やう\/豐になりゆく。この兒養ふほどに、すく\/と大になりまさる。三月ばかりになる程に、よきほどなる人になりぬれば、髪上などさだして、髪上せさせ裳着もぎす。帳ちやうの内よりも出さず、いつきかしづき養ふほどに、この兒のかたち清けうらなること世になく、家の内は暗き處なく光滿ちたり。翁心地あしく苦しき時も、この子を見れば苦しき事も止みぬ。腹だたしきことも慰みけり。翁竹をとること久しくなりぬ。勢猛の者になりにけり。この子いと大になりぬれば、名をば三室戸齋部秋田を呼びてつけさす。秋田なよ竹のかぐや姫とつけつ。このほど三日うちあげ遊ぶ。萬の遊をぞしける。男女をとこをうなきらはず呼び集へて、いとかしこくあそぶ。




世界の男をのこ、貴なるも賤しきも、「いかでこのかぐや姫を得てしがな、見てしがな。」と、音に聞きめでて惑ふ。その傍あたりの垣にも家のとにも居をる人だに、容易たはやすく見るまじきものを、夜は安きいもねず、闇の夜に出でても穴を抉くじり、こゝかしこより覗き垣間見惑ひあへり。さる時よりなんよばひとはいひける。人の物ともせぬ處に惑ひありけども、何の効しるしあるべくも見えず。家の人どもに物をだに言はんとていひかくれども、ことゝもせず。傍を離れぬ公達、夜を明し日を暮す人多かり。愚なる人は、「益やうなき歩行ありきはよしなかりけり。」とて、來ずなりにけり。その中に猶いひけるは、色好といはるゝかぎり五人、思ひ止む時なく夜晝來けり。その名一人は石作皇子、一人は車持くらもち皇子、一人は右大臣阿倍御主人みうし、一人は大納言大伴御行、一人は中納言石上いそかみ麿呂、たゞこの人々なりけり。世の中に多かる人をだに、少しもかたちよしと聞きては、見まほしうする人々なりければ、かぐや姫を見まほしうして、物も食はず思ひつゝ、かの家に行きてたたずみありきけれども、かひあるべくもあらず。文を書きてやれども、返事もせず、わび歌など書きて遣れども、かへしもせず。「かひなし。」と思へども、十一月しもつき十二月のふりこほり、六月の照りはたゝくにもさはらず來けり。この人々、或時は竹取を呼びいでて、「娘を我にたべ。」と伏し拜み、手を摩りの給へど、「己おのがなさぬ子なれば、心にも從はずなんある。」といひて、月日を過す。かゝればこの人々、家に歸りて物を思ひ、祈祷いのりをし、願をたて、思やめんとすれども止むべくもあらず。「さりとも遂に男合せざらんやは。」と思ひて、頼をかけたり。強あながちに志を見えありく。これを見つけて、翁かぐや姫にいふやう、「我子の佛變化の人と申しながら、こゝら大さまで養ひ奉る志疎おろかならず。翁の申さんこと聞き給ひてんや。」といへば、かぐや姫、「何事をか宣はん事を承らざらん。變化の者にて侍りけん身とも知らず、親とこそ思ひ奉れ。」といへば、翁「嬉しくも宣ふものかな。」といふ。「翁年七十なゝそぢに餘りぬ。今日とも明日とも知らず。この世の人は、男は女にあふことをす。女は男に合ふことをす。その後なん門も廣くなり侍る。いかでかさる事なくてはおはしまさん。」かぐや姫のいはく、「なでふさることかしはべらん。」といへば、「變化の人といふとも、女の身もち給へり。翁のあらん限は、かうてもいますかりなんかし。この人々の年月を經て、かうのみいましつつ、宣ふことを思ひ定めて、一人々々にあひ奉り給ひね。」といへば、かぐや姫いはく、「よくもあらぬ容を、深き心も知らで、『あだ心つきなば、後悔しきこともあるべきを。』と思ふばかりなり。世のかしこき人なりとも、深き志を知らでは、あひ難しとなん思ふ。」といふ。翁いはく、「思の如くものたまふかな。そも\/いかやうなる志あらん人にかあはんと思す。かばかり志疎ならぬ人々にこそあンめれ。」かぐや姫のいはく、「何ばかりの深きをか見んといはん。いさゝかのことなり。人の志ひとしかンなり。いかでか中に劣勝おとりまさりは知らん。「五人の中にゆかしき物見せ給へらんに、「御志勝りたり。」とて仕うまつらん。』と、そのおはすらん人々に申まをし給へ。」といふ。「よきことなり。」とうけつ。日暮るゝほど、例の集りぬ。人々或は笛を吹き、或は歌をうたひ、或は唱歌をし、或はうそを吹き、扇をならしなどするに、翁出でていはく、「辱くもきたなげなる所に、年月を經て物し給ふこと、極まりたるかしこまりを申す。『翁の命今日明日とも知らぬを、かくのたまふ君達きみたちにも、よく思ひ定めて仕うまつれ。』と申せば、『深き御心をしらでは』となん申す。さ申すも理なり。『いづれ劣勝おはしまさねば、ゆかしきもの見せ給へらんに、御おん志のほどは見ゆべし。仕うまつらんことは、それになむ定むべき。』といふ。これ善きことなり。人の恨もあるまじ。」といへば、五人の人々も「よきことなり。」といへば、翁入りていふ。かぐや姫、石作皇子には、「天竺に佛の御み石の鉢といふものあり。それをとりて給へ。」といふ。車持皇子には、「東ひんがしの海に蓬莱といふ山あンなり。それに白銀を根とし、黄金を莖とし、白玉を實としてたてる木あり。それ一枝折りて給はらん。」といふ。今一人には、「唐土にある、火鼠の裘かはごろもを給へ。」大伴大納言には、「龍たつの首に五色に光る玉あり。それをとりて給へ。」石上中納言には、「燕つばくらめのもたる子安貝一つとりて給へ。」といふ。翁「難きことゞもにこそあンなれ。この國にある物にもあらず。かく難き事をばいかに申さん。」といふ。かぐや姫、「何か難からん。」といへば、翁、「とまれかくまれ申さん。」とて、出でて「かくなん、聞ゆるやうに見せ給へ。」といへば、皇子達上達部聞きて、「おいらかに、『あたりよりだになありきそ。』とやは宣はぬ。」といひて、うんじて皆歸りぬ。




「猶この女見では、世にあるまじき心ちのしければ、天竺にあるものも持てこぬものかは。」と、思ひめぐらして、石作皇子は心のしたくみある人にて、「天竺に二つとなき鉢を、百千萬里の程行きたりともいかでか取るべき。」と思ひて、かぐや姫の許には、「今日なん天竺へ石の鉢とりにまかる。」と聞かせて、三年ばかり經て、大和國十市郡とをちのこほりにある山寺に、賓頭盧びんづるの前なる鉢のひたKに煤つきたるをとりて、錦の袋に入れて、作花の枝につけて、かぐや姫の家にもて來て見せければ、かぐや姫あやしがりて見るに、鉢の中に文あり。ひろげて見れば、
海山のみちにこゝろをつくしはてみいしの鉢のなみだながれき
かぐや姫、「光やある。」と見るに、螢ばかりのひかりだになし。
おく露のひかりをだにもやどさまし小倉山にてなにもとめけむ
とてかへしいだすを、鉢を門に棄てゝ、この歌のかへしをす。
しら山にあへば光のうするかとはちを棄てゝもたのまるゝかな
とよみて入れたり。かぐや姫返しもせずなりぬ。耳にも聞き入れざりければ、いひ煩ひて歸りぬ。かれ鉢を棄てゝまたいひけるよりぞ、面なき事をばはぢをすつとはいひける。




車持皇子は心たばかりある人にて、公には、「筑紫の國に湯あみに罷らん。」とて、暇申して、かぐや姫の家には、「玉の枝とりになんまかる。」といはせて下り給ふに、仕うまつるべき人々、皆難波まで御おくりしけり。皇子「いと忍びて。」と宣はせて、人も數多率ておはしまさず、近う仕うまつる限して出で給ひぬ。御おくりの人々、見奉り送りて歸りぬ。「おはしましぬ。」と人には見え給ひて、三日許ありて漕ぎ歸り給ひぬ。かねて事皆仰せたりければ、その時一の工匠たくみなりける内匠うちたくみ六人を召しとりて、容易たはやすく人よりくまじき家を作りて、構を三重にしこめて、工匠等を入れ給ひつゝ、皇子も同じ所に籠り給ひて、しらせ給ひつるかぎり十六そをかみにくどをあけて、玉の枝をつくり給ふ。かぐや姫のたまふやうに、違はずつくり出でつ。いとかしこくたばかりて、難波に密みそかにもて出でぬ。「船に乘りて歸り來にけり。」と、殿に告げやりて、いといたく苦しげなるさまして居給へり。迎に人多く參りたり。玉の枝をば長櫃に入れて、物覆ひてもちて參る。いつか聞きけん、「車持皇子は、優曇華の花持ちて上り給へり。」とのゝしりけり。これをかぐや姫聞きて、「我はこの皇子にまけぬべし。」と、胸つぶれて思ひけり。かゝるほどに門もんを叩きて、「車持皇子おはしたり。」と告ぐ。「旅の御姿ながらおはしましたり。」といへば、逢ひ奉る。皇子のたまはく、「『命を捨てゝかの玉の枝持てきたり。』とて、かぐや姫に見せ奉り給へ。」といへば、翁もちて入りたり。この玉の枝に文をぞつけたりける。
いたづらに身はなしつとも玉の枝を手をらでさらに歸らざらまし
これをもあはれと見て居をるに、竹取の翁走り入りていはく、「この皇子に申し給ひし蓬莱の玉の枝を、一つの所もあやしき處なく、あやまたずもておはしませり。何をもちてか、とかく申すべきにあらず。旅の御姿ながら、我御家へも寄り給はずしておはしましたり。はやこの皇子にあひ仕うまつり給へ。」といふに、物もいはず頬杖つらづゑをつきて、いみじく歎かしげに思ひたり。この皇子「今さら何かといふべからず。」といふまゝに、縁にはひのぼり給ひぬ。翁ことわりに思ふ。「この國に見えぬ玉の枝なり。この度はいかでかいなびまをさん。人ざまもよき人におはす。」などいひ居たり。かぐや姫のいふやう、「親ののたまふことを、ひたぶるにいなび申さんことのいとほしさに、得難きものを、かくあさましくもてくること」をねたく思ひ、翁は閨の内しつらひなどす。翁皇子に申すやう、「いかなる所にかこの木はさぶらひけん。怪しく麗しくめでたきものにも。」と申す。皇子答こたへての給はく、「前一昨年さをとゝしの二月きさらぎの十日頃に、難波より船に乘りて、海中にいでて、行かん方も知らず覺えしかど、『思ふこと成らでは、世の中に生きて何かせん。』と思ひしかば、たゞ空しき風に任せてありく。『命死なばいかゞはせん。生きてあらん限はかくありきて、蓬莱といふらん山に逢ふや。』と、浪にたゞよひ漕ぎありきて、我國の内を離れてありき廻りしに、或時は浪荒れつゝ海の底にも入りぬべく、或時は風につけて知らぬ國にふき寄せられて、鬼のやうなるものいで來て殺さんとしき。或時には來し方行末も知らず、海にまぎれんとしき。或時にはかて盡きて、草の根を食物としき。或時はいはん方なくむくつけなるもの來て、食ひかゝらんとしき。或時には海の貝をとりて、命をつぐ。旅の空に助くべき人もなき所に、いろ\/の病をして、行方すらも覺えず、船の行くに任せて、海に漂ひて、五百日いほかといふ辰の時許に、海の中に遙に山見ゆ。舟のうちをなんせめて見る。海の上に漂へる山いと大きにてあり。其山の樣高くうるはし。『是や我覓むる山ならん。』と思へど、さすがに畏おそろしく覺えて、山の圍めぐりを指し廻らして、二三日ふつかみか許見ありくに、天人あまびとの粧したる女、山の中より出で來て、銀の金鋺をもて水を汲みありく。これを見て船よりおりて、『この山の名を何とか申す。』と問ふに、女答へて曰く、『これは蓬莱の山なり。』と答ふ。是を聞くに嬉しき事限なし。この女に、『かく宣ふは誰ぞ。』と問ふ。『我名はほうかんるり。』といひて、ふと山の中に入りぬ。その山を見るに、更に登るべきやうなし。その山のそばつらを廻れば、世の中になき花の木どもたてり。金銀瑠璃色の水流れいでたり。それにはいろ\/の玉の橋わたせり。そのあたり照り輝く木どもたてり。その中にこのとりて持てまうできたりしは、いとわろかりしかども、『のたまひしに違はましかば。』とて、この花を折りてまうできたるなり。山は限なくおもしろし。世に譬ふべきにあらざりしかど、この枝を折りてしかば、さらに心もとなくて、船に乘りて追風ふきて、四百餘日になんまうで來にし。大願だいぐわんの力にや、難波より昨日なん都にまうで來つる。さらに潮にぬれたる衣ころもをだに脱ぎかへなでなん、まうで來つる。」との給へば、翁聞きて、うち歎きてよめる、
呉竹のよゝのたけとり野山にもさやはわびしきふしをのみ見し
これを皇子聞きて、「こゝらの日頃思ひわび侍りつる心は、今日なんおちゐぬる。」との給ひて、かへし、
わが袂けふかわければわびしさのちくさのかずも忘られぬべし
との給ふ。かゝるほどに、男をとこども六人連ねて庭にいできたり。一人の男、文挾ふばさみに文をはさみてまをす。「作物所つくもどころの寮つかさのたくみ漢部あやべ内麿まをさく、『玉の木を作りて仕うまつりしこと、心を碎きて、千餘日に力を盡したること少からず。しかるに祿いまだ賜はらず。これを賜はり分ちて、けごに賜はせん。』」といひてさゝげたり。竹取の翁、「この工匠等が申すことは何事ぞ。」とかたぶきをり。皇子は我にもあらぬけしきにて、肝消えぬべき心ちして居給へり。これをかぐや姫聞きて、「この奉る文をとれ。」といひて見れば、文に申しけるやう、「皇子の君千餘日賤しき工匠等と諸共に、同じ所に隱れ居給ひて、かしこき玉の枝を作らせ給ひて、『官つかさも賜はらん。』と仰せ給ひき。これをこの頃案ずるに、『御つかひとおはしますべき、かぐや姫の要じ給ふべきなりけり。』と承りて、この宮より賜はらんと申して給はるべきなり。」といふを聞きて、かぐや姫、暮るゝまゝに思ひわびつる心地ゑみ榮えて、翁を呼びとりていふやう、「誠に蓬莱の木かとこそ思ひつれ、かくあさましき虚事にてありければ、はや疾くかへし給へ。」といへば、翁こたふ、「さだかに造らせたるものと聞きつれば、かへさんこといと易し。」とうなづきをり。かぐや姫の心ゆきはてゝ、ありつる歌のかへし、
まことかと聞きて見つればことの葉を飾れる玉の枝にぞありける
といひて、玉の枝もかへしつ。竹取の翁さばかり語らひつるが、さすがに覺えて眠ねぶりをり。皇子はたつもはした居るもはしたにて居給へり。日の暮れぬればすべ出で給ひぬ。かのうれへせし工匠等をば、かぐや姫呼びすゑて、「嬉しき人どもなり。」といひて、祿いと多くとらせ給ふ。工匠等いみじく喜びて、「思ひつるやうにもあるかな。」といひて、かへる道にて、車持皇子血の流るゝまでちようぜさせ給ふ。祿得しかひもなく皆とり捨てさせ給ひてければ、逃げうせにけり。かくてこの皇子、「一生の恥これに過ぐるはあらじ。女をえずなりぬるのみにあらず、天の下の人の見思はんことの恥かしき事。」との給ひて、たゞ一所深き山へ入り給ひぬ。宮司候ふ人々、皆手を分ちて求め奉れども、御薨みまかりもやしたまひけん、え見つけ奉らずなりぬ。皇子の御供に隱し給はんとて、年頃見え給はざりけるなりけり。是をなんたまさかるとはいひ始めける。



右大臣阿倍御主人は財たから豐に家廣き人にぞおはしける。その年わたりける唐土船の王卿わうけいといふものゝ許に、文を書きて、「火鼠の裘といふなるもの買ひておこせよ。」とて、仕うまつる人の中に心たしかなるを選びて、小野房守といふ人をつけてつかはす。もていたりて、かの浦に居をる王卿に金をとらす。王卿文をひろげて見て、返事かく。「火鼠の裘我國になきものなり。おとには聞けどもいまだ見ぬものなり。世にあるものならば、この國にももてまうで來なまし。いと難きあきなひなり。しかれどももし天竺にたまさかにもて渡りなば、もし長者のあたりにとぶらひ求めんに、なきものならば、使に添へて金返し奉らん。」といへり。かの唐土船來けり。小野房守まうで來てまうのぼるといふことを聞きて、あゆみとうする馬をもちて走らせ迎へさせ給ふ時に、馬に乘りて、筑紫よりたゞ七日なぬかに上りまうできたり。文を見るにいはく、「火鼠の裘辛うじて、人を出して求めて奉る。今の世にも昔の世にも、この皮は容易たやすくなきものなりけり。昔かしこき天竺のひじり、この國にもて渡りて侍りける、西の山寺にありと聞き及びて、公に申して、辛うじて買ひとりて奉る。價の金少しと、國司使に申しゝかば、王卿が物加へて買ひたり。今金五十兩たまはるべし。船の歸らんにつけてたび送れ。もし金賜はぬものならば、裘の質かへしたべ。」といへることを見て、「何おほす。今金少しのことにこそあンなれ。必ず送るべき物にこそあンなれ。嬉しくしておこせたるかな。」とて、唐土の方に向ひて伏し拜み給ふ。この裘入れたる箱を見れば、種々のうるはしき瑠璃をいろへて作れり。裘を見れば紺青こんじやうの色なり。毛の末には金の光輝きたり。げに寳と見え、うるはしきこと比ぶべきものなし。火に燒けぬことよりも、清けうらなることならびなし。「むべかぐや姫のこのもしがり給ふにこそありけれ。」との給ひて、「あなかしこ。」とて、箱に入れ給ひて、物の枝につけて、御身の假粧けさういといたくして、やがてとまりなんものぞとおぼして、歌よみ加へて持ちていましたり。その歌は、
かぎりなきおもひに燒けぬかはごろも袂かわきて今日こそはきめ
家の門かどにもて至りて立てり。竹取いで來てとり入れて、かぐや姫に見す。かぐや姫かの裘を見ていはく、「うるはしき皮なンめり。わきてまことの皮ならんとも知らず。」竹取答へていはく、「とまれかくまれまづ請じ入れ奉らん。世の中に見えぬ裘のさまなれば、是をまことゝ思ひ給ひね。人ないたくわびさせ給ひそ。」といひて、呼びすゑたてまつれり。かく呼びすゑて、「この度は必ずあはん。」と、嫗の心にも思ひをり。この翁は、かぐや姫のやもめなるを歎かしければ、「よき人にあはせん。」と思ひはかれども、切に「否。」といふことなれば、えしひぬはことわりなり。かぐや姫翁にいはく、「この裘は火に燒かんに、燒けずはこそ實ならめと思ひて、人のいふことにもまけめ。『世になきものなれば、それを實と疑なく思はん。』との給ひて、なほこれを燒きて見ん。」といふ。翁「それさもいはれたり。」といひて、大臣おとゞに「かくなん申す。」といふ。大臣答へていはく、「この皮は唐土にもなかりけるを、辛うじて求め尋ね得たるなり。何なにの疑かあらん。さは申すとも、はや燒きて見給へ。」といへば、火の中にうちくべて燒かせ給ふに、めら\/と燒けぬ。「さればこそ異物の皮なりけり。」といふ。大臣これを見給ひて、御顔は草の葉の色して居給へり。かぐや姫は「あなうれし。」と喜びて居たり。かのよみ給へる歌のかへし、箱に入れてかへす。
なごりなくもゆと知りせばかは衣おもひの外におきて見ましを
とぞありける。されば歸りいましにけり。世の人々、「安倍大臣は火鼠の裘をもていまして、かぐや姫にすみ給ふとな。こゝにやいます。」など問ふ。或人のいはく、「裘は火にくべて燒きたりしかば、めら\/と燒けにしかば、かぐや姫逢ひ給はず。」といひければ、これを聞きてぞ、とげなきものをばあへなしとはいひける。




大伴御行の大納言は、我家にありとある人を召し集めての給はく、「龍たつの首に五色の光ある玉あンなり。それをとり奉りたらん人には、願はんことをかなへん。」との給ふ。男をのこども仰の事を承りて申さく、「仰のことはいとも尊たふとし。たゞしこの玉容易たはやすくえとらじを、况や龍の首の玉はいかゞとらん。」と申しあへり。大納言のたまふ、「君の使といはんものは、『命を捨てゝも己おのが君の仰事をばかなへん。』とこそ思ふべけれ。この國になき天竺唐土の物にもあらず、この國の海山より龍はおりのぼるものなり。いかに思ひてか汝等難きものと申すべき。」男ども申すやう、「さらばいかゞはせん。難きものなりとも、仰事に從ひてもとめにまからん。」と申す。大納言見笑ひて、「汝等君の使と名を流しつ。君の仰事をばいかゞは背くべき。」との給ひて、龍の首の玉とりにとて出したて給ふ。この人々の道の糧・食物に、殿のうちの絹・綿・錢などあるかぎりとり出でそへて遣はす。この人々ども、歸るまでいもひをして「我は居らん。この玉とり得では家に歸りくな。」との給はせけり。「おの\/仰承りて罷りいでぬ。龍の首の玉とり得ずは歸りくな。」との給へば、いづちも\/足のむきたらんかたへいなんとす。かゝるすき事をし給ふことゝそしりあへり。賜はせたる物はおの\/分けつゝとり、或あるは己が家にこもりゐ、或はおのがゆかまほしき所へいぬ。「親・君と申すとも、かくつきなきことを仰せ給ふこと。」と、ことゆかぬものゆゑ、大納言を謗りあひたり。「かぐや姫すゑんには、例のやうには見にくし。」との給ひて、麗しき屋をつくり給ひて、漆を塗り、蒔繪をし、いろへしたまひて、屋の上には糸を染めていろ\/に葺かせて、内々のしつらひには、いふべくもあらぬ綾織物に繪を書きて、間ごとにはりたり。もとの妻どもは去りて、「かぐや姫を必ずあはん。」とまうけして、獨明し暮したまふ。遣しゝ人は夜晝待ち給ふに、年越ゆるまで音もせず、心もとながりて、いと忍びて、たゞ舍人二人召繼としてやつれ給ひて、難波の邊ほとりにおはしまして、問ひ給ふことは、「大伴大納言の人や、船に乘りて龍殺して、そが首の玉とれるとや聞く。」と問はするに、船人答へていはく、「怪しきことかな。」と笑ひて、「さるわざする船もなし。」と答ふるに、「をぢなきことする船人にもあるかな。え知らでかくいふ。」とおぼして、「我弓の力は、龍あらばふと射殺して首の玉はとりてん。遲く來るやつばらを待たじ。」との給ひて、船に乘りて、海ごとにありき給ふに、いと遠くて、筑紫の方の海に漕ぎいで給ひぬ。いかゞしけん、はやき風吹きて、世界くらがりて、船を吹きもてありく。いづれの方とも知らず、船を海中にまかり入りぬべくふき廻して、浪は船にうちかけつゝまき入れ、神は落ちかゝるやうに閃きかゝるに、大納言は惑ひて、「まだかゝるわびしきめハ見ず。いかならんとするぞ。」との給ふ。楫取答へてまをす、「こゝら船に乘りてまかりありくに、まだかくわびしきめを見ず。御み船海の底に入らずは神落ちかゝりぬべし。もしさいはひに神の助けあらば、南海にふかれおはしぬべし。うたてある主しうの御み許に仕へ奉まつりて、すゞろなる死しにをすべかンめるかな。」とて、楫取なく。大納言これを聞きての給はく、「船に乘りては楫取の申すことをこそ高き山ともたのめ。などかくたのもしげなきことを申すぞ。」と、あをへどをつきての給ふ。楫取答へてまをす、「神ならねば何業をか仕つかうまつらん。風吹き浪はげしけれども、神さへいたゞきに落ちかゝるやうなるは、龍を殺さんと求め給ひさぶらへばかくあンなり。はやても龍の吹かするなり。はや神に祈り給へ。」といへば、「よきことなり。」とて、「楫取の御おん神聞しめせ。をぢなく心幼く龍を殺さんと思ひけり。今より後は毛一筋をだに動し奉らじ。」と、祝詞よごとをはなちて、立居なく\/呼ばひ給ふこと、千度ちたびばかり申し給ふけにやあらん、やう\/神なりやみぬ。少しあかりて、風はなほはやく吹く。 楫取のいはく、「これは龍のしわざにこそありけれ。この吹く風はよき方の風なり。あしき方の風にはあらず。よき方に赴きて吹くなり。」といへども、大納言は是を聞き入れ給はず。三四日みかよかありて吹き返しよせたり。濱を見れば、播磨の明石の濱なりけり。大納言「南海の濱に吹き寄せられたるにやあらん。」と思ひて、息つき伏し給へり。船にある男ども國に告げたれば、國の司まうで訪ふにも、えおきあがり給はで、船底にふし給へり。松原に御み筵敷きておろし奉る。その時にぞ「南海にあらざりけり。」と思ひて、辛うじて起き上り給へるを見れば、風いとおもき人にて、腹いとふくれ、こなたかなたの目には、李を二つつけたるやうなり。これを見奉りてぞ、國の司もほゝゑみたる。國に仰せ給ひて、腰輿たごし作らせたまひて、によぶ\/になはれて家に入り給ひぬるを、いかで聞きけん、遣しゝ男ども參りて申すやう、「龍の首の玉をえとらざりしかばなん、殿へもえ參らざりし。『玉のとり難かりしことを知り給へればなん、勘當あらじ。』とて參りつる。」と申す。大納言起き出でての給はく、「汝等よくもて來ずなりぬ。龍は鳴神の類にてこそありけれ。それが玉をとらんとて、そこらの人々の害せられなんとしけり。まして龍を捕へたらましかば、またこともなく我は害せられなまし。よく捕へずなりにけり。かぐや姫てふ大盜人のやつが、人を殺さんとするなりけり。家のあたりだに今は通らじ。男どもゝなありきそ。」とて、家に少し殘りたりけるものどもは、龍の玉とらぬものどもにたびつ。これを聞きて、離れ給ひしもとのうへは、腹をきりて笑ひ給ふ。糸をふかせてつくりし屋は、鳶烏の巣に皆咋くひもていにけり。世界の人のいひけるは、「大伴の大納言は、龍の玉やとりておはしたる。」「いなさもあらず。御眼おんまなこ二つに李のやうなる玉をぞ添へていましたる。」といひければ、「あなたへがた。」といひけるよりぞ、世にあはぬ事をば、あなたへがたとはいひ始めける。




中納言石上麻呂は、家につかはるゝ男どもの許に、「燕つばくらめの巣くひたらば告げよ。」との給ふを、うけたまはりて、「何の料にかあらん。」と申す。答へての給ふやう、「燕のもたる子安貝とらん料なり。」との給ふ。男ども答へて申す、「燕を數多殺して見るにだにも、腹になきものなり。たゞし子産む時なんいかでかいだすらん、はら\/と人だに見れば失せぬ。」と申す。又人のまをすやう、「大炊寮おほゐづかさの飯炊ぐ屋の棟のつくの穴毎に燕は巣くひ侍り。それにまめならん男どもをゐてまかりて、あぐらをゆひて上げて窺はせんに、そこらの燕子うまざらんやは。さてこそとらしめ給はめ。」と申す。中納言喜び給ひて、「をかしき事にもあるかな。もともえ知らざりけり。興あること申したり。」との給ひて、まめなる男ども二十人ばかり遣して、あなゝひに上げすゑられたり。殿より使ひまなく給はせて、「子安貝とりたるか。」と問はせ給ふ。「燕も人の數多のぼり居たるにおぢて、巣にのぼりこず。」かゝるよしの御返事を申しければ、聞き給ひて、「いかゞすべき。」と思しめし煩ふに、かの寮の官人くわんじんくらつ麿と申す翁申すやう、「子安貝とらんと思しめさば、たばかり申さん。」とて、御前に參りたれば、中納言額を合せてむかひ給へり。くらつ麿が申すやう、「この燕の子安貝は、惡しくたばかりてとらせ給ふなり。さてはえとらせ給はじ。あなゝひにおどろ\/しく、二十人の人ののぼりて侍れば、あれて寄りまうで來ずなん。せさせ給ふべきやうは、このあななひを毀ちて、人皆退きて、まめならん人一人を荒籠あらこに載せすゑて、綱をかまへて、鳥の子産まん間に綱を釣りあげさせて、ふと子安貝をとらせ給はんなんよかるべき。」と申す。中納言の給ふやう、「いとよきことなり。」とて、あなゝひを毀ちて、人皆歸りまうできぬ。中納言くらつ麿にの給はく、「燕はいかなる時にか子を産むと知りて、人をばあぐべき。」とのたまふ。くらつ麿申すやう、「燕は子うまんとする時は、尾をさゝげて七度廻りてなん産み落すめる。さて七度廻らんをりひき上げて、そのをり子安貝はとらせ給へ。」と申す。中納言喜び給ひて、萬の人にも知らせ給はで、みそかに寮にいまして、男どもの中に交りて、夜を晝になしてとらしめ給ふ。くらつ麿かく申すを、いといたく喜び給ひての給ふ、「こゝに使はるゝ人にもなきに、願をかなふることの嬉しさ。」と宣ひて、御衣おんぞぬぎてかづけ給ひつ。更に「夜さりこの寮にまうでこ。」とのたまひて遣しつ。日暮れぬれば、かの寮におはして見給ふに、誠に燕巣作れり。くらつ麿申すやうに、尾をさゝげて廻るに、荒籠に人を載せて釣りあげさせて、燕の巣に手をさし入れさせて探るに、「物もなし。」と申すに、中納言「惡しく探ればなきなり。」と腹だちて、「誰ばかりおぼえんに。」とて、「我のぼりて探らん。」とのたまひて、籠にのりてつられ登りて窺ひ給へるに、燕尾をさゝげていたく廻るに合せて、手を捧げて探り給ふに、手にひらめるものさはる時に、「われ物握りたり。今はおろしてよ。翁しえたり。」との給ひて、集りて「疾くおろさん。」とて、綱をひきすぐして、綱絶ゆる、即やしまの鼎の上にのけざまに落ち給へり。人々あさましがりて、寄りて抱へ奉れり。御目はしらめにてふし給へり。人々御み口に水を掬ひ入れ奉る。辛うじて息いで給へるに、また鼎の上より、手とり足とりしてさげおろし奉る。辛うじて「御み心地はいかゞおぼさるゝ。」と問へば、息の下にて、「ものは少し覺ゆれど腰なん動かれぬ。されど子安貝をふと握りもたれば嬉しく覺ゆるなり。まづ脂燭さしてこ。この貝顔かひがほみん。」と、御ぐしもたげて御手をひろげ給へるに、燕のまりおける古糞を握り給へるなりけり。それを見給ひて、「あなかひなのわざや。」との給ひけるよりぞ、思ふに違ふことをば、かひなしとはいひける。「かひにもあらず。」と見給ひけるに、御こゝちも違ひて、唐櫃の蓋に入れられ給ふべくもあらず、御腰は折れにけり。中納言はいはけたるわざして、病むことを人に聞かせじとし給ひけれど、それを病にていと弱くなり給ひにけり。貝をえとらずなりにけるよりも、人の聞き笑はんことを、日にそへて思ひ給ひければ、たゞに病み死ぬるよりも、人ぎき恥はづかしく覺え給ふなりけり。これをかぐや姫聞きてとぶらひにやる歌、
年を經て浪立ちよらぬすみのえのまつかひなしと聞くはまことか
とあるをよみて聞かす。いと弱き心地に頭もたげて、人に紙もたせて、苦しき心地に辛うじてかき給ふ。
かひはかくありけるものをわびはてゝ死ぬる命をすくひやはせぬ
と書きはてゝ絶え入り給ひぬ。これを聞きて、かぐや姫少し哀あはれとおぼしけり。それよりなん少し嬉しきことをば、かひありとはいひける。




さてかぐや姫かたち世に似ずめでたきことを、帝聞しめして、内侍中臣のふさ子にの給ふ、「多くの人の身を徒になしてあはざンなるかぐや姫は、いかばかりの女ぞ。」と、「罷りて見て參れ。」との給ふ。ふさ子承りてまかれり。竹取の家に畏まりて請じ入れてあへり。嫗に内侍のたまふ、「仰ごとに、かぐや姫の容いうにおはすとなり。能く見て參るべきよしの給はせつるになん參りつる。」といへば、「さらばかくと申し侍らん。」といひて入りぬ。かぐや姫に、「はやかの御使に對面し給へ。」といへば、かぐや姫、「よき容にもあらず。いかでか見まみゆべき。」といへば、「うたてもの給ふかな。帝の御み使をばいかでか疎にせん。」といへば、かぐや姫答ふるやう、「帝の召しての給はんことかしこしとも思はず。」といひて、更に見ゆべくもあらず。うめる子のやうにはあれど、いと心恥しげに疎おろそかなるやうにいひければ、心のまゝにもえ責めず。嫗、内侍の許にかへり出でて、「口をしくこの幼き者はこはく侍るものにて、對面すまじき。」と申す。内侍、「『必ず見奉りて參れ。』と、仰事ありつるものを、見奉らではいかでか歸り參らん。國王の仰事を、まさに世に住み給はん人の承り給はではありなんや。いはれぬことなし給ひそ。」と、詞はづかしくいひければ、これを聞きて、ましてかぐや姫きくべくもあらず。「國王の仰事を背かばはや殺し給ひてよかし。」といふ。この内侍歸り參りて、このよしを奏す。帝聞しめして、「多くの人を殺してける心ぞかし。」との給ひて、止みにけれど、猶思しおはしまして、「この女をうなのたばかりにやまけん。」と思しめして、竹取の翁を召して仰せたまふ、「汝が持て侍るかぐや姫を奉れ。顔容よしと聞しめして、御使をたびしかど、かひなく見えずなりにけり。かくたい\〃/しくやはならはすべき。」と仰せらる。翁畏まりて御返事申すやう、「この女の童は、絶えて宮仕つかう奉まつるべくもあらず侍るを、もてわづらひ侍り。さりとも罷りて仰せ給はん。」と奏す。是を聞し召して仰せ給ふやう、「などか翁の手におほしたてたらんものを、心に任せざらん。この女めもし奉りたるものならば、翁に冠かうぶりをなどかたばせざらん。」翁喜びて家に歸りて、かぐや姫にかたらふやう、「かくなん帝の仰せ給へる。なほやは仕う奉り給はぬ。」といへば、かぐや姫答へて曰く、「もはらさやうの宮仕つかう奉まつらじと思ふを、強ひて仕う奉らせ給はゞ消え失せなん。御み司冠つかう奉りて死ぬばかりなり。」翁いらふるやう、「なしたまひそ。官つかさ冠も、我子を見奉らでは何にかはせん。さはありともなどか宮仕をし給はざらん。死に給ふやうやはあるべき。」といふ。「『なほそらごとか。』と、仕う奉らせて死なずやあると見給へ。數多の人の志疎おろかならざりしを、空しくなしてしこそあれ、昨日今日帝のの給はんことにつかん、人ぎきやさし。」といへば、翁答へて曰く、「天の下の事はとありともかゝりとも、御おん命の危きこそ大なるさはりなれ。猶仕う奉るまじきことを參りて申さん。」とて、參りて申すやう、「仰の事のかしこさに、かの童を參らせんとて仕う奉れば、『宮仕に出したてなば死ぬべし。』とまをす。造麿が手にうませたる子にてもあらず、昔山にて見つけたる。かゝれば心ばせも世の人に似ずぞ侍る。」と奏せさす。 帝おほせ給はく、「造麿が家は山本近かンなり。御み狩の行幸みゆきし給はんやうにて見てんや。」とのたまはす。造麿が申すやう、「いとよきことなり。何か心もなくて侍らんに、ふと行幸して御覽ぜられなん。」と奏すれば、帝俄に日を定めて、御狩にいで給ひて、かぐや姫の家に入り給ひて見給ふに、光滿ちてけうらにて居たる人あり。「これならん。」とおぼして、近くよらせ給ふに、逃げて入る、袖を捕へ給へば、おもてをふたぎて候へど、初よく御覽じつれば、類なくおぼえさせ給ひて、「許さじとす。」とて率ておはしまさんとするに、かぐや姫答へて奏す、「おのが身はこの國に生れて侍らばこそ仕へ給はめ、いとゐておはし難くや侍らん。」と奏す。帝「などかさあらん。猶率ておはしまさん。」とて、御おん輿を寄せたまふに、このかぐや姫きと影になりぬ。「はかなく、口をし。」とおぼして、「げにたゞ人にはあらざりけり。」とおぼして、「さらば御供には率ていかじ。もとの御かたちとなり給ひね。それを見てだに歸りなん。」と仰せらるれば、かぐや姫もとのかたちになりぬ。帝なほめでたく思し召さるゝことせきとめがたし。かく見せつる造麿を悦びたまふ。さて仕うまつる百官の人々に、あるじいかめしう仕う奉る。帝かぐや姫を留めて歸り給はんことを、飽かず口をしくおぼしけれど、たましひを留めたる心地してなん歸らせ給ひける。御おん輿に奉りて後に、かぐや姫に、
かへるさのみゆき物うくおもほえてそむきてとまるかぐや姫ゆゑ
御返事を、
葎はふ下にもとしは經ぬる身のなにかはたまのうてなをもみむ
これを帝御覽じて、いとゞ歸り給はんそらもなくおぼさる。御心は更に立ち歸るべくもおぼされざりけれど、さりとて夜を明し給ふべきにもあらねば、歸らせ給ひぬ。常に仕う奉る人を見給ふに、かぐや姫の傍かたはらに寄るべくだにあらざりけり。「こと人よりはけうらなり。」とおぼしける人の、かれに思しあはすれば人にもあらず。かぐや姫のみ御心にかゝりて、たゞ一人過したまふ。よしなくて御方々にもわたり給はず、かぐや姫の御おん許にぞ御文を書きて通はさせ給ふ。御返事さすがに憎からず聞えかはし給ひて、おもしろき木草につけても、御歌を詠みてつかはす。




    
            


かやうにて、御心を互に慰め給ふほどに、三年ばかりありて、春の初より、かぐや姫月のおもしろう出でたるを見て、常よりも物思ひたるさまなり。ある人の「月の顔見るは忌むこと。」ゝ制しけれども、ともすればひとまには月を見ていみじく泣き給ふ。七月ふみづきのもちの月にいで居て、切に物思へるけしきなり。近く使はるゝ人々、竹取の翁に告げていはく、「かぐや姫例も月をあはれがり給ひけれども、この頃となりてはたゞ事にも侍らざンめり。いみじく思し歎くことあるべし。よく\/見奉らせ給へ。」といふを聞きて、かぐや姫にいふやう、「なでふ心ちすれば、かく物を思ひたるさまにて月を見給ふぞ。うましき世に。」といふ。かぐや姫、「月を見れば世の中こゝろぼそくあはれに侍り。なでふ物をか歎き侍るべき。」といふ。かぐや姫のある所に至りて見れば、なほ物思へるけしきなり。これを見て、「あが佛何事を思ひ給ふぞ。思すらんこと何事ぞ。」といへば、「思ふこともなし。物なん心細く覺ゆる。」といへば、翁、「月な見給ひそ。これを見給へば物思すけしきはあるぞ。」といへば、「いかでか月を見ずにはあらん。」とて、なほ月出づれば、いで居つゝ歎き思へり。夕暗ゆふやみには物思はぬ氣色なり。月の程になりぬれば、猶時々はうち歎きなきなどす。是をつかふものども、「猶物思すことあるべし。」とさゝやけど、親を始めて何事とも知らず。八月はつき十五日もちばかりの月にいで居て、かぐや姫いといたく泣き給ふ。人めも今はつゝみ給はず泣き給ふ。これを見て、親どもゝ「何事ぞ。」と問ひさわぐ。かぐや姫なく\/いふ、「さき\/も申さんと思ひしかども、『かならず心惑はし給はんものぞ。』と思ひて、今まで過し侍りつるなり。『さのみやは。』とてうち出で侍りぬるぞ。おのが身はこの國の人にもあらず、月の都の人なり。それを昔の契なりけるによりてなん、この世界にはまうで來りける。今は歸るべきになりにければ、この月の十五日に、かのもとの國より迎に人々まうでこんず。さらずまかりぬべければ、思し歎かんが悲しきことを、この春より思ひ歎き侍るなり。」といひて、いみじく泣く。翁「こはなでふことをの給ふぞ。竹の中より見つけきこえたりしかど、菜種の大おほきさおはせしを、我丈たち並ぶまで養ひ奉りたる我子を、何人か迎へ聞えん。まさに許さんや。」といひて、「我こそ死なめ。」とて、泣きのゝしることいと堪へがたげなり。かぐや姫のいはく、「月の都の人にて父母ちゝはゝあり。片時の間まとてかの國よりまうでこしかども、かくこの國には數多の年を經ぬるになんありける。かの國の父母の事もおぼえず。こゝにはかく久しく遊び聞えてならひ奉れり。いみじからん心地もせず、悲しくのみなんある。されど己が心ならず罷りなんとする。」といひて、諸共にいみじう泣く。つかはるゝ人々も年頃ならひて、立ち別れなんことを、心ばへなどあてやかに美しかりつることを見ならひて、戀しからんことの堪へがたく、湯水も飮まれず、同じ心に歎しがりけり。この事を帝きこしめして、竹取が家に御使つかはさせ給ふ。御使に竹取いで逢ひて、泣くこと限なし。この事を歎くに、髪も白く腰も屈り目もたゞれにけり。翁今年は五十許なりけれども、「物思には片時になん老おいになりにける。」と見ゆ。御使仰事とて翁にいはく、「いと心苦しく物思ふなるは、誠にか。」と仰せ給ふ。竹取なく\/申す、「このもちになん、月の都よりかぐや姫の迎にまうでくなる。たふとく問はせ給ふ。このもちには人々たまはりて、月の都の人まうで來ば捕へさせん。」と申す。御使かへり參りて、翁のありさま申して、奏しつる事ども申すを聞し召しての給ふ、「一目見給ひし御心にだに忘れ給はぬに、明暮見馴れたるかぐや姫をやりてはいかゞ思ふべき。」かの十五日もちのひ司々に仰せて、勅使には少將高野たかの大國といふ人をさして、六衞のつかさ合せて、二千人の人を竹取が家につかはす。家に罷りて築地の上に千人、屋の上に千人、家の人々いと多かりけるに合はせて、あける隙もなく守らす。この守る人々も弓矢を帶して居り。母屋の内には女どもを番にすゑて守らす。嫗塗籠の内にかぐや姫を抱きて居り。翁も塗籠の戸をさして戸口に居り。翁のいはく、「かばかり守る所に、天あめの人にもまけんや。」といひて、屋の上に居をる人々に曰く、「つゆも物空にかけらばふと射殺し給へ。」守る人々のいはく、「かばかりして守る所に、蝙蝠かはほり一つだにあらば、まづ射殺して外にさらさんと思ひ侍る。」といふ。翁これを聞きて、たのもしがり居り。これを聞きてかぐや姫は、「鎖し籠めて守り戰ふべきしたくみをしたりとも、あの國の人をえ戰はぬなり。弓矢して射られじ。かくさしこめてありとも、かの國の人こば皆あきなんとす。相戰はんとすとも、かの國の人來なば、猛き心つかふ人よもあらじ。」翁のいふやう、「御おん迎へにこん人をば、長き爪して眼をつかみつぶさん。さが髪をとりてかなぐり落さん。さが尻をかき出でて、こゝらのおほやけ人に見せて耻見せん。」と腹だちをり。かぐや姫いはく、「聲高になの給ひそ。屋の上に居る人どもの聞くに、いとまさなし。いますかりつる志どもを、思ひも知らで罷りなんずることの口をしう侍りけり。『長き契のなかりければ、程なく罷りぬべきなンめり。』と思ふが悲しく侍るなり。親たちのかへりみをいさゝかだに仕う奉らで、罷らん道も安くもあるまじきに、月頃もいで居て、今年ばかりの暇を申しつれど、更に許されぬによりてなんかく思ひ歎き侍る。御心をのみ惑はして去りなんことの、悲しく堪へがたく侍るなり。かの都の人はいとけうらにて、老いもせずなん。思ふこともなく侍るなり。さる所へまからんずるもいみじくも侍らず。老い衰へ給へるさまを見奉らざらんこそ戀しからめ。」といひて泣く。翁、「胸痛きことなしたまひそ。麗しき姿したる使にもさはらじ。」とねたみをり。かゝる程に宵うちすぎて、子の時ばかりに、家のあたり晝のあかさにも過ぎて光りたり。望月のあかさを十合せたるばかりにて、ある人の毛の穴さへ見ゆるほどなり。大空より、人雲に乘りておりきて、地つちより五尺ばかりあがりたる程に立ち連ねたり。これを見て、内外うちとなる人の心ども、物におそはるゝやうにて、相戰はん心もなかりけり。辛うじて思ひ起して、弓矢をとりたてんとすれども、手に力もなくなりて、痿なえ屈かゞまりたる中うちに、心さかしき者、ねんじて射んとすれども、外ざまへいきければ、あれも戰はで、心地たゞしれにしれて守りあへり。立てる人どもは、裝束さうぞくの清らなること物にも似ず。飛車とぶくるま一つ具したり。羅蓋さしたり。その中に王とおぼしき人、「家に造麿まうでこ。」といふに、猛く思ひつる造麿も、物に醉ひたる心ちしてうつぶしに伏せり。いはく、「汝をさなき人、聊なる功徳を翁つくりけるによりて、汝が助にとて片時の程とて降しゝを、そこらの年頃そこらの金賜ひて、身をかへたるが如くなりにたり。かぐや姫は、罪をつくり給へりければ、かく賤しきおのれが許にしばしおはしつるなり。罪のかぎりはてぬれば、かく迎ふるを、翁は泣き歎く、あたはぬことなり。はや返し奉れ。」といふ。翁答へて申す、「かぐや姫を養ひ奉ること二十年あまりになりぬ。片時との給ふに怪しくなり侍りぬ。また他處ことどころにかぐや姫と申す人ぞおはしますらん。」といふ。「こゝにおはするかぐや姫は、重き病をし給へばえ出でおはしますまじ。」と申せば、その返事はなくて、屋の上に飛車をよせて、「いざかぐや姫、穢き所にいかでか久しくおはせん。」といふ。立て籠めたる所の戸即たゞあきにあきぬ。格子どもゝ人はなくして開きぬ。嫗抱きて居たるかぐや姫外とにいでぬ。えとゞむまじければ、たゞさし仰ぎて泣きをり。 竹取心惑ひて泣き伏せる所に寄りて、かぐや姫いふ、「こゝにも心にもあらでかくまかるに、昇らんをだに見送り給へ。」といへども、「何しに悲しきに見送り奉らん。我をばいかにせよとて、棄てゝは昇り給ふぞ。具して率ておはせね。」と、泣きて伏せれば、御心惑ひぬ。「文を書きおきてまからん。戀しからんをり\/、とり出でて見給へ。」とて、うち泣きて書くことばは、「この國に生れぬるとならば、歎かせ奉らぬ程まで侍るべきを、侍らで過ぎ別れぬること、返す\〃/本意なくこそ覺え侍れ。脱ぎおく衣きぬをかたみと見給へ。月の出でたらん夜は見おこせ給へ。見すて奉りてまかる空よりもおちぬべき心ちす。」と、かきおく。天人あまびとの中にもたせたる箱あり。天あまの羽衣入れり。又あるは不死の藥入れり。ひとりの天人いふ、「壺なる御み藥たてまつれ。きたなき所のもの食きこしめしたれば、御心地あしからんものぞ。」とて、持てよりたれば、聊甞め給ひて、少しかたみとて、脱ぎおく衣に包まんとすれば、ある天人つゝませず、御衣みぞをとり出でてきせんとす。その時にかぐや姫「しばし待て。」といひて、「衣着つる人は心ことになるなり。物一言いひおくべき事あり。」といひて文かく。天人「おそし。」と心もとながり給ふ。かぐや姫「物知らぬことなの給ひそ。」とて、いみじく靜かにおほやけに御み文奉り給ふ。あわてぬさまなり。「かく數多の人をたまひて留めさせ給へど、許さぬ迎まうできて、とり率て罷りぬれば、口をしく悲しきこと、宮仕つかう奉らずなりぬるも、かくわづらはしき身にて侍れば、心得ずおぼしめしつらめども、心強く承らずなりにしこと、なめげなるものに思し召し止められぬるなん、心にとまり侍りぬる。」とて、
今はとて天のはごろもきるをりぞ君をあはれとおもひいでぬる
とて、壺の藥そへて、頭中將を呼び寄せて奉らす。中將に天人とりて傳ふ。中將とりつれば、ふと天の羽衣うち着せ奉りつれば、翁をいとほし悲しと思しつる事も失せぬ。この衣着つる人は物思もなくなりにければ、車に乘りて百人許天人具して昇りぬ。その後翁・嫗、血の涙を流して惑へどかひなし。あの書きおきし文を讀みて聞かせけれど、「何せんにか命も惜しからん。誰が爲にか何事もようもなし。」とて、藥もくはず、やがておきもあがらず病みふせり。中將人々引具して歸り參りて、かぐや姫をえ戰ひ留めずなりぬる事をこま\〃/と奏す。藥の壺に御文そへて參らす。展げて御覽じて、いたく哀れがらせ給ひて、物もきこしめさず、御遊等などもなかりけり。大臣・上達部かんだちめを召して、「何いづれの山か天に近き。」ととはせ給ふに、或人奏す、「駿河の國にある山なん、この都も近く天も近く侍る。」と奏す。是をきかせ給ひて、
あふことも涙にうかぶわが身にはしなぬくすりも何にかはせむ
かの奉る不死の藥の壺に、御文具して御使に賜はす。勅使には調岩笠つきのいはかさといふ人を召して、駿河の國にあンなる山の巓いたゞきにもて行くべきよし仰せ給ふ。峰にてすべきやう教へさせたもふ。御文・不死の藥の壺ならべて、火をつけてもやすべきよし仰せ給ふ。そのよし承りて、兵士つはものどもあまた具して山へ登りけるよりなん、その山をふしの山とは名づけゝる。その煙いまだ雲の中へたち昇るとぞいひ傳へたる。


                                         

                   了

 

 

         

      別卷 源氏物語

 

 


   全五十四帖 (初期アクセスに四十五秒要)


 
一桐 壺 二帚 木 三空蝉 四夕顔 五若紫 
  六末摘花  七紅 葉 賀  八花 橘 九 葵  
  十賢 木  十一花散里 十二須 磨 十三明石 
  十四澪 標 十五蓬 生 十六関 屋 十七絵合
  十八松風 十九薄雲 二十朝顔 二十一少女 
  二十二玉 鬘  二十三初 音  二十四胡 蝶 
  二十五 蛍   二十六常 夏  二十七篝 火 
  二十八野 分  二十九行 幸   三十藤 袴
  三十一真 木 柱 三十二梅 枝 三十三藤裏葉
  三十四若菜 上 三十五若菜 下 三十六柏 木
  三十七横 笛 三十八鈴 虫   三十九夕 霧  
  四十御 法   四十一幻   四十二匂兵部 
  四十三紅 梅  四十四竹 河  四十五橋 姫 
  四十六椎本   四十七総角   四十八早蕨
  四十九宿木   五十東屋  五十一浮 舟  
  五十二蜻 蛉  五十三手 習  五十四夢浮橋



    「源氏物語」朗読 - 試聴可
     
  平安時代の発音の面影をいまに伝へる
  兵庫県五峰山光明寺(仁徳天皇の勅願寺)。

  その地域出身者より採集された希少録音版 


   ■ 朗読 四本延子(三枝和子氏の実妹)
   ■ 録音・編集   TCM技研 宍戸 實
   ■ CD制作    オイキア  神林明美  
 


     
         

 

 


          
 
       終 章          




   


          
月 哥



  

 


 

 

万葉集 巻第一  
  中大兄三山歌 反歌

 
渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比紗之 

      今夜乃月夜 清明己曽  

 

 

 

万葉集 巻第一  柿本朝臣人麻呂

東 野炎 立所見而  

      反見為者 月西渡

 

 

 

万葉集 巻第三  柿本朝臣人麻呂 
        田部忌寸櫟子任大宰時歌

 
久堅乃 天歸月乎 網尓刺  

        我大王者 盖尓為有




  万葉集 巻第四 田部忌寸櫟子任大宰時歌

 朝日影 尓保敝流山尓 照月乃 

       君乎 山越尓置手 

 

 


万葉集 巻第四 湯原王歌一首

月讀之 光二来益 
   足疾乃 山寸隔而 不遠國 

 



万葉集 巻第七 柿本朝臣人麻呂

天海丹 雲之波立

   月船 星之林丹 榜隠所見

 

 

 

 

 


 

                                                     

 


        

 

新古今和歌集 巻第一 

夕月夜 しほみちくらし 難波江の 

      蘆の若葉に こゆる白波

 

山家集  八月十五夜

秋はただ 今夜一夜の 名なりけり 

     同じ雲居に 月はすめども


 

月瀧を照らすといふことを  西行

雲消ゆる 那智の高峯に 月たけて 

     光をぬける 瀧のしら糸

 

春の月あかかりけるに、花まだしき櫻の枝を
 風のゆるがしけるを見て  西行


月みれば 風に櫻の 枝なべて 

  花かとつぐる ここちこそすれ

 

雨後夏月 西行

夕立の はるれば月ぞ やどりける 

     玉ゆりすうる 蓮のうき葉に

 

海邊夏月 西行

露のぼる 蘆の若葉に 月さえて 

     秋をあらそふ 難波江の浦

 

月前女郎花 西行

庭さゆる 月なりけりな をみなへし 

    霜にあひぬる 花と見たれば


 

月枯れたる草を照らす  西行

花におく 露にやどりし 影よりも  

   枯野の月は あはれなりけり


 

山家冬月  西行

冬枯の すさまじげなる 山里に 

 月のすむこそ あはれなりけれ


 

西行

ともすれば 月澄む空に あくがるる 

    心のはてを 知るよしもがな


 

西行

西へ行く しるべとたのむ 月かげの 

   空だのめこそ かひなかりけれ


 

月の夜賀茂にまゐりてよみ侍りける 西行

月のすむ みおやがはらに 霜さえて 

     千鳥とほたつ 聲きこゆなり


 

 西行

月のゆく 山に心をゝ くりいれて  

 やみなるあとの 身をいかにせん



 

神樂に星を 西行

ふけて出づる み山も嶺の

あか星は 

    月待ち得たる 心地こそすれ

 



 

 

 

     

 

 


         
     

            

            
         山家集 西行


行方なく 月に心の 澄み澄みて

  果てはいかにか ならむとすらむ

 

 

 

 

 

 

 

 

    

      

 

            

 


           右中IMAGE 「座」KURA - B



ロケ地     天草 ・ 西伊豆  新島 ・ 伊予熟田津  参 照 「和歌」は水垣久氏、「源氏物語」は、渋谷栄一氏のTEXTデータに基づく。「古事記、万葉集」の最終LINK先 国立国会図書館デジタルライブラリー 
制 作    
   助監督・撮影 長谷川 義嗣、    舞踏 長谷川 恵美子、  古典指導 長谷川 昇雲    総監督・美術製作 長谷川 有    
        引き揚げて 知る人もなく 寝正        昇雲 一九四七 
              「哥座星座」  Utakura-Seiza

     



 

 

 

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